七話

 「悪魔の子」である白鷺は、超回復以外にも特異な能力を持っている。それはあのサソリのような尻尾だ。悪魔の子は体の一部を魔物のそれに変化させることができるらしい。恐らく〈マザー〉も悪魔の子なんだろう。

 そして黒狐いわく、白鷺は「多重人格」であった。白鷺自身があまりそのことを口に出さないため、あえてみんなは俺に教えていなかったらしい。

「昔、あいつは〈桜〉にいたんだ。チビのときに捕まっちまったとか。妹がいたらしく、それも目の前で〈マザー〉に殺されたんでかなり〈マザー〉を嫌ってる。普段は人を嫌うようなやつじゃねぇんだけどな」

 黒狐は俺に応急処置を施しながら言った。救急車みたいな車が空き地に二台あるのだが、怪我人は当然二台で間に合わないので救急箱だけもらって俺は外で手当てをしてもらった。

「そこでいろいろ苦しんだらしくな、人格がわかれてしまった。拷問されたんだと烏が言ってた……ああ、烏も白鷺と一緒に〈桜〉で暮らしてたんだ。〈マザー〉は悪趣味で、いわゆる美少年の白鷺をいたぶって楽しんでいたらしい。んでまた白鷺は回復しちまうから、丁度よかったんだろうな。見かねた烏がタイミングを見計らって一緒に〈秋桜〉に逃げてきてな。でも俺と会ったときは、白鷺はすでにどうしようもない状態になっていた」

 そんなぞっとするような話をしながら、黒狐は消毒液を傷に振りかけた。電撃のような痛みが走り、思わず呻く。

「白鷺には三つの人格がある。普段のちょっと……いやだいぶ天然で優しいやつと、戦闘中によく出てくる狂ったやつと、ごく稀に、ふと出てくる人間嫌いの最悪な性格のやつ。一番始めに言ったやつが、本来の白鷺に一番近いんだが、人格がわかれたせいで感情もわかれてしまった。優しい白鷺は本気で怒ることも悲しむこともないんだよ。だから妙に薄情に見えたりするんだな。

 俺が幼い烏と白鷺を山んなかで見つけて、本部に連れてきたんだが、烏はともかく白鷺は目を離すと何をするかわからなかった。だから、とある知りあいに預けてとりあえず人格が安定するように矯正してもらったら、普段は人格が替わらなくなった」

「すげえな、その人」

「そうだな。そいつは心理学科生だったんだが、まだ勉強中なのにあそこまで上手く治療してくれるとは思っていなかった。俺には絶対できねぇな。ああ、そうだ。白鷺の人格な、怖いやつもいるけど、あからさまに怖がったり無視したりしたら悪化するからな、まあ普通に接してやってくれ」

 黒狐はそう言って立ち上がると、救急箱を返しに行った。まもなくして白鷺が空き地に姿を現した。どきりとしたが、彼はすでに「天然で優しい白鷺」に戻っていた。


 「隊長は眠った。ウルフも無事だ。傷が膿んだり骨が折れたりはしていない。良かったな、〈マザー〉に遭遇してこのくらいで済んで。さあ、お前も早く車に乗れ。帰るぞ」

 黒狐は運転席に乗った。助手席では隊長がよだれを垂らしながら寝ていた。バンの一番後ろの席には白鷺がいる。

 車の中は静まり返っていた。いつも騒ぎ立てる隊長や黒狐のくだらない話が無いからだ。だけど俺はそれでちょうど良かった。

 戦場では忘れていたが、あることに気づいてしまった。

 隊長の母親は生きている。

 つまり、俺とアヤメが立てた「元帥の息子説」は間違っていることが証明されたのだ。残るは「龍王家連続殺害事件」。

 まさかと思う。当然他の事情があってここにいる可能性もある。だからそんなことは考えたくもなかった。だけど、もしそうなら、俺はこの三ヶ月を、じいちゃんの仇と過ごしていたことになる。同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下で寝て、一緒に遊んで、一緒に戦っていたのだ。頭がくらくらする。俺はいつか隊長に、「龍王家殺しは許さない」と言ったはずだ。そのときは言わなかったが、できればこの手で殺してしまいたいとも思っている。もしも、隊長が龍王家殺しなら……?

 恐怖にも似た怒りが沸き上がってくる。ずっと胸の中に巣食う怒りだ。そしてそれは憎悪でもある。

 隊長は自分が何者なのか絶対に言ってくれない。そのせいで、俺はこれからひどく悩むことになるのだろう。……知りたい。もしも本当に龍王家殺しなら、今以上に仲良くなってしまう前に、十五番隊を抜けてしまえばいい。殺すことは諦めても、仲良くなるのだけは嫌だ。いいかげん、隊長に尋ねなくてはならない。

 覚悟を決めたところで、車が〈秋桜〉本部に到着した。ウルフが隊長を叩きおこすと、隊長は寝ぼけてフラフラしながら広間に向かった。俺は後で訊こうと思い、続けて中に入った。しかしその機会はその日中には巡ってこなかった。会長が前回同様、労いの言葉を言うとすぐに会議が始まり、さらにそれが終わると隊長とウルフが呼び出された。俺は疲れ果てていたので、早めに夕食をとって宿泊部屋に行き、寝てしまった。本来ならアヤメと話をする予定だったが、その気力すら出なかったのでやめた。

 目が覚めるとまだ後夜から前朝に変わった直後の時刻だった。山中を散歩して時間を潰してから、隊長の部屋に行った。人のいる場所では気が引けるだろうと思ったからだ。しかし隊長は部屋にはいなかった。食堂にもいなかった。広間を探しても見つからないので、だんだんイライラしてきた。まるで俺から逃げているみたいだ。姿を隠して俺から質問されるのを避けているように思える。

 俺はいつも会長が立つ段上に上がってみようと思った。そのとき、段を降りたところの扉が開いているのに気づいた。「小会議室」というプレートが掲げられていた。

 中には病院の待ち合い室のように背もたれの無い長椅子が並べられていた。その一つに、隊長が座ってぼんやりしていた。俺が扉を閉めると、隊長は振り向いて少し笑った。

「イツキくん……ごめんね、昨日は。動揺しちゃって、何もできなくて……」

「そんなのはいい」

 俺がぶっきらぼうに答えると、隊長は俺の苛立ちを感じ取ったようだ。「どうかした?」と首をかしげた。俺は隊長の前に立った。

「そろそろ、お前の話を聞かせてほしいんだ」

「僕の話?」

 隊長はとぼけた。イライラする気持ちを心に押し込んで、俺はもう一度言った。

「昔の話。何か隠してるだろ」

 隊長は薄く口を開けていた。何か言おうとして唇が動いたが、すぐに閉じた。そしてうつむいて言った。

「まだ、その話はできない」

 思わず指に力が入った。俺はゆっくり首を振った。隊長が上目遣いで俺の動きを見ていた。

「どうしてだ」

 隊長の目を見つめた。隊長は静かに大きく息を吸う。沈黙が重々しく二人にのしかかった。

「言わなきゃいけないのはわかってるよ。でもまだ、待っててほしいの。勇気と、覚悟が要るから……僕にはまだ、どっちも無いから」

 隊長は目を逸らし、俺から少し離れた。また逃げている。まだ隠している。そのまま隊長が逃げて逃げて、俺が絶対に見つけられないところに隠れてしまうような気がした。卑怯だと思った。俺の過去は知っているくせに。俺には全部隠す。

「言い訳すんな……はぐらかしてばっかり……。そんなんで納得できるかよ。隠し事をされるのは、もう嫌なんだよ!!」

 俺は声を荒らげて、隊長の胸ぐらを掴み引き寄せた。逃げないように。遠ざからないように。隠れないように。

 隊長ははっと俺の目を見据え、反射的に胸ぐらを掴む俺の腕を両手で握った。

「いいか、俺はお前とあの家で暮らすのに、お前のことを何も知らないままっていうのは苦痛なんだ。親父を思い出すんだよ。ぎりぎりまで借金を隠して、そのせいで俺の家はつぶれた。

 お前も同じだ。教えてくれないなら、このままお前と今までみたいな付き合いはできない。返答次第では十五番隊を抜けようと思っている。それくらい、お前の話は俺にとって重要なんだ。わかるだろ」

 隊長から目を離さず、一息にまくし立てた。隊長は驚きか動揺か黙ったままだ。何の感情も読み取れぬ表情である。そしてまた、目を逸らそうとした。俺は隊長をさらに引き寄せ、無理矢理こちらを向かせた。

「だからさ……逃げてんじゃねぇよ」

 声が怒りで震えた。

「三ヶ月前のことを覚えているか? お前が強引に俺をここに連れてきたくせに、自分のことは……」

 そのとき、隊長がぐっと目を細めた。俺を睨み付け、静かに言った。

「何、その言い方。僕がイツキくんを十五番隊に引き入れたのは、間違ってたってわけ? イツキくんはこの三ヶ月、嫌だ嫌だって思いながら、笑ってたわけ? あの家に閉じ込められてると思ってたわけ?」

 隊長は俺の胸ぐらを掴み返した。痛いくらいに力がこもっている。その目は怒りと、恐れと、悲しみで満たされている。

 俺は言葉に詰まった。

「僕は良かれと思って引き入れたのに。最初は確かにこれで良かったのかって悩んだけど、イツキくんは僕と遊んでくれたし、いっぱい笑ってくれた。だから信じてたのに……」

 そう話すうちに隊長の声は段々消え入りそうになっていった。俺を掴む腕から力が抜けていく。怒りよりも悲しみで視線が弱くなる。

「そんなことは、ない」

 胸が詰まりそうだった。だが俺は腕の力を緩めたりはしなかった。

「今まではこんなに疑ったりはしていなかった。でも昨日のことがあって、このままじゃだめだと思ったんだ」

「嘘をつかないで」

 隊長は再び俺を睨んだ。俺は気迫に押されて、一瞬だけたじろいだ。その一瞬の隙に隊長は俺の腕をぴしゃりと払い、自分も手を離した。

「僕にはわかってるんだよ。僕の部屋にこっそり入ってたのも、アヤメちゃんとこそこそやってたのも。僕をあんまり侮らないで」

 全部バレていた。後ろめたさと驚きで心臓が脈打つ。苦し紛れに俺は返した。

「なんで、わかるんだ。盗み聞きでもしてたのか」

「……そうだね。僕は耳が良いんだ。君よりね。龍人族は純人より少し視力は弱いけど、聴力は秀でてる。学校の生物の授業で習ったはず。だからささやき声だって遠くからでも聴こえるんだ。だけど知ったのは盗み聞きしたからじゃない」

 隊長は言葉を切った。俺は必死で記憶を辿ったが、あまり授業にちゃんと参加していなかったのでそんなことは知らなかった。隊長は声のトーンを少し落として続けた。

「僕はの流れが読める」

「……は?」

「知ってるのは黒狐さんと涼子ちゃんだけだけど……僕は氣属性の魔術師だ。魔力の量は少ないからあまり使えないけど、僕は空気の流れを敏感に感じ取れる。イツキくんが部屋を勝手に漁ってたのも、部屋の氣の流れがいつもと違ったから読めた。何か探られてるってわかった。僕には誰がいるか、いたのかは目をつむっててもわかる」

 俺は心の底がじわりと冷たくなるのを感じた。

「だから僕の前でそんなごまかしは効かない」

 隊長は吐き捨てるように言った。そんな隊長が、俺の目には怪物となって映っていた。全貌の見えない怪物だ。今見えているのがどの部位なのかさえわからない。お前は、いったい、何者なんだ。

「思い出したくもないのにコソコソ嗅ぎ回られるなんて気持ち悪い。二度と僕のことに触れないで」

 隊長は冷ややかに言うと、きびすを返して立ち去った。大きな音を立てて、俺の入ってきた扉を後ろ手に閉める。あとには孤独な沈黙が訪れた。しばらくぼうっと突っ立ったまま扉を見つめていたが、再び怒りが沸いてきて、どさりと長椅子に腰を下ろした。

 俺だって、好きでこんなことしてた訳じゃない。二度とあいつなんかに口をきくか。

 そう心に誓ったときだった。

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