四話
蝉の鳴き声が激しく降ってくる。濃い緑の匂いがゆらゆらと漂う。
夏が来た。隊長と出会って三ヶ月。たった三ヶ月しか経っていないのに、もう十年はあの十五番隊基地に住んでいるような気がする。
隊長が車から降りてきた。ここから半時間ほど歩いた先にある、〈桜〉の研究施設の地図を持っている。俺たちはまた戦うのだ。
昨夜は本部に泊まり、朝になってから三番隊や十番隊と共にここへやって来た。本部へ行くのは二度目だった。アヤメたち十四番隊も来ていた。ヤナギに絡まれながらもアヤメと話すことができた。
「久しぶり……だな」
「この前会ったばかりじゃない? 全然久しぶりじゃないよ~」
アヤメは笑った。俺はぎこちない笑みを返すことしかできなかった。二人で食堂の端の席に座り、冷たいコーヒーを飲んだ。
「なんかさっきから、フーマがこっち見てニコニコしてるんだけど」
「……気にすんな。変顔の幽霊でも見えてんだろ」
「怖い、周りには見えていないことに気付いてないのね」
「馬鹿だからな、隊長は」
冗談を言っているうちに、二人きりというこの状況に慣れた。どうにか平静を保つ。
「どう? 訊いてみた?」
アヤメが少し声のトーンを落とした。
「何を?」
「フーマに。この前、死神って子が、直接訊けって言ってたでしょ」
「あぁ、そのことか。実は何も聞いてないんだ」
俺は正直に言った。アヤメが落胆するだろうか、と思って心が疼く。
「そう……まあ、そうよね」
案の定の反応に、胸が痛んだ。
訊くのがなんとなく怖かった。あの闇のような目を向けられることを恐れていた。こうしてこっそり彼の素性を探っていることがバレて、あの家に安心できなくなったら嫌だった。俺にその勇気はなかった。死神の言う通り、俺には曖昧な覚悟しかなかった。
「あぁ……でもちょっとだけ」
「ん? 何かわかったの?」
「隊長の部屋に入ったんだ」
アヤメは瞬きをした。
「今まで入ったことがなかったんだ。でも、ちょっと届けるものがあって、入った」
俺は本の話をした。本の題名、その本が隠されてあったこと、俺はその本をたまたま見つけたこと、そして『滅び』の章にふせんがあったこと。
「ますます『元帥の息子説』が有力になるわね。でもフーマ、『滅び』にふせんを貼るなんて、何考えてるのかしら」
それがわかれば、と、もどかしい気分になる。それと同時に、わからないままでいたい気もした。「きっと後悔する羽目になる」。
「あ、私ちょっと呼び出しがかかってて、もう行くね」
「あ、うん」
がっかりしていることが声音で悟られないよう、短く答えた。アヤメを見送ったあとすぐに隊長が寄ってきた。
「ね? ね? どうだった? 何の話してたの?」
「余計なお世話だ」
「お? やっぱりアヤメちゃん可愛いもんね~」
「うっせぇ!」
お前の話をしてたんだとは絶対に言えない。
隊長はさっきまでアヤメが座っていたところに腰を下ろした。夕日が沈んでいくにつれて、食堂が混みあってくる。このままこの辺りの席で、十五番隊は夕飯を食べるんだろう。ウルフや白鷺が来るまで隊長と二人きり。
「そういえば、さ」
「なにー?」
隊長はいつもの間延びした口調で返事をした。
「ウルフって隊長以外とまともに喋ってるのみたことないんだけど。何考えてるかちょっとよくわからないし」
副隊長もわりと謎の人物だった。普段から無口であまり多くを喋らないが、隊長といるときはそこそこ口を開く。もっと言うと、隊長と二人のときは普通に雑談もしている。うるさい隊長に影響されているのかもしれないが、少なくとも俺や黒狐といるときよりかは口数が多い。
前回ここ本部で、隊長とウルフは一緒に〈秋桜〉に来たと聞いた。つまりウルフは昔の隊長、〈秋桜〉に来る前の隊長を知っているわけだ。
「ウルフさんねー。確かにそうだね」
隊長はいつの間にかロリポップキャンディーを取り出して口に含んでいた。
「表情はわかりやすいと思うけどなぁ。ほら、嬉しいときは尻尾振ってるし、恥ずかしいときは耳が後ろに倒れてるの」
「そ、そうなんだ」
犬みたいだ。
「ずっと昔はもう少し、しゃこーてき《社交的》と言うか、なんというか、もうちょっと積極的だった気がするけどなぁ。前からウルフさんは人見知りだったし、黒狐さんとか白鷺くんたちが十五番隊に来たときも全然喋らなかったよ。イツキくんにはまだ喋ってるほう」
隊長はにっと笑った。
「それって俺が喋りかけるから?」
「だと思う。自分から話すことなんてそんなに無いよ、僕といるときも」
「じゃあお前って、やっぱり極端にうるさいんだな」
「何だって! 違うもん!」
笑いが込み上げてきた。否定する言葉までもがうるさい。
「僕とウルフさんは昔から仲良しだからだもん」
隊長はそれだけ言ってそっぽを向いた。これ以上話をするとあやしまれそうだし、何だかウルフに悪い気がするのでやめておいた。
「今回は僕が指揮ね」
木かげに落ち着いた隊長が言った。俺も涼しそうな草むらに避難した。虫に刺されそうだが、今は長そでの上着を着ているのでそんなに気にする必要は無かった。だが防刃加工が施された上着は熱がこもって暑い。
空き地に次々と車が到着し、戦闘員が集まった。炎天下なのにみんな長そでの上着で身を包み、汗を流している。
「黒狐さんは涼子ちゃんと。イツキくんはウルフさんと……あ、白鷺くん一人でいい?」
「いいですよー」
白鷺も木かげに隠れているが、ほとんど汗をかいていない。またあの薄茶色のメガネをかけている。
隊長が他隊の隊長と話をしに行った。その間に黒狐と涼子が何やら話しあっている。「魔術」とか「属性」とか聞こえてくる。二人とも魔術師だから、打ち合わせで先にどんな魔術を使うか決めているらしい。涼子は魔術だけでなく使い魔の召喚術にも長けているらしい。
俺たちもミニ・作戦会議をしようと思い、ウルフを探したが見つからない。車にもいないようだ。そこへ隊長が戻ってきた。
「何か落としたの?」
「いや、ウルフがどこ行ったか知らないか?」
「あ、さっき他の部隊の人と大事な話とかってどっか行っちゃったよ」
いつのまに抜け出したんだろう。巨体のくせに影が薄い。ともかく今は何もできないのだ。
「なー、隊長」
「ん?」
俺たちは再び日かげに移った。日なたにいたら暑くて頭が焦げそうだ。
「なんで、あんな話をしたのに俺とウルフを一緒にしたんだ? キズナを深めるためとかじゃねぇよな、まさか」
「ちがうよー。たまたまだよ。今回の作戦的に、イツキくんはウルフさんが組めばいい感じになるかな~って決めただけ。もしかして、変えてほしいとか?」
隊長は少し心配そうにこっちを向いた。何か勘違いをしているようだ。ケンカしたとでも思われているんだろう。
「そんなんじゃなくて、単に気になっただけ」
「ならいいや。あ、帰ってきたよ」
極限まで目を細め悪人面になっている副隊長が戻ってきた。夏毛とはいえもふもふした毛皮が暑そうだ。少し同情してしまう。
「そろそろ向かうそうだ」
「わかった。気を付けてね」
十五番隊はみんなめんどくさそうに腰をあげた。
山をしばらく歩いて、途中で黒狐たちとわかれた。色んな方向から攻め入る作戦だとか。俺もウルフも黙々と歩き、持ち場についた。攻撃合図がなかなか出ないので、無線機で訊いてみると、トラブルが起きたとかで待たされることになった。二人とも沈黙していた。だけどやっぱり黙っていられなくて、ささやいてみた。
「隊長と幼馴染みって、本当?」
「ん? ああ……幼馴染みって言うほど、幼い頃からではないが、十年以上の付き合いにはなるな」
ウルフも退屈していたのか、「ああ」だけで会話を終わらせなかった。
「じゃあ、隊長の学生時代とかを知ってるのか……いや、アイツ学校行ってたのか?」
今気づいたが、隊長がちゃんと授業を受けているところなんて到底想像できない。絶対寝てるか落書きして遊んでいるだろう。
「お前の想像している通りだ」
俺の頭を見透かしたかのようにウルフが言った。そんな冗談めかした物言いを初めて聞いた気がする。黄緑色の目がおかしそうに光った。
「まともに行っていなかったから、俺と出会ったと言っても過言ではない」
「なんじゃそりゃ」
俺が声を出さずに笑うと、ウルフも口角を上げて笑った。
「俺とは学校が違ったんだ。隊長は小学生のころから授業を抜け出して先生と追いかけっこをしていた」
ウルフは少し顔を伏せて言った。
「あんまり言うと隊長に怒られる」
驚いて俺は目をぱちくりさせた。
「どうして?」
「口止めされてるんだ……『昔のことは誰にも話さないで』と」
俺は絶句して返す言葉がなかった。他人の口にも鍵をかけるとは。それほどに守備の堅い……いや、秘密主義だとは驚きを通り越して呆れ返る。そこまでして何を隠しているのだろうか。余計に気になる。
「すまないな」
「いや、お前が謝る必要はないさ……」
ウルフは尻尾を垂らして耳を横に倒していた。隊長が言っていたとおり、ちゃんと見ているとわかりやすい。
「イツキは、元は中央区に住んでいたそうだな」
ウルフは話を変えるつもりのようだ。
「そ。王宮の間近だぜ」
「そうか。俺も、中央区に住んでたんだ。王宮から20セアほど歩いたところだ」
「近っ!」
俺は思わず大きな声を出してしまった。なんだか嬉しい。同じようにウルフも嬉しそうだった。
「なあ、良かったらさ、そこに住んでた頃の話をしてくれよ!」
驚きと喜びのあまり、勢いよく食いぎみに頼んでしまったが、ウルフはうなずいた。そのとき、無線機から甲高い呼び出し音が鳴った。
『右手に見える背の高い建物、あれを目指して、進んで』
ウルフが返事をして無線機のマイクを切ると、肩をすくめた。
「また後でな」
「いいよ」
二人は武器を手にし、壁に沿って歩き始めた。ばりばり稼働している大きな謎の機械のそばを通り抜け、白い水蒸気を噴き出すパイプをまたいだ。敵らしき人影は一切見当たらない。俺たちが攻めてきているのがバレていようがいなかろうが、少しくらいは誰かいそうなものなのに。
パイプだらけの機械とタンクローリーの隙間にいったん体を押し込んだ。ウルフが隊長に報告している間に、タンクローリーの下の隙間から覗いてみた。遠くに三番隊の誰かが見えた。歩いている。〈桜〉の連中は誰もいない。
「とりあえず建物に行けと言われた」
ウルフは俺をつついた。隙間からそっと抜け出し、また隠れ歩いた。
結局誰とも戦わず、建物に辿り着いた。白いのっぺりとした壁が眩しい。何もこんな真っ昼間から戦わなくてもいいと思う。暑くて士気が下がるだろう。
窓から確認したがやはり人気はなかった。いったいどこに隠れているんだか。入口と思わしき扉を見つけると、俺たちは扉の両側に立った。
ウルフが俺にうなずきかけて、勢いよく扉を蹴り飛ばした。ウルフの威嚇射撃の音が鳴り響いた。ガタンと壁にぶつかった反動で自然に閉まろうとする扉を潜り抜け、俺はウルフの陰から飛び出した。が、敵はいない。
「おいおい、どーなってんだ」
ウルフが耳の間を掻いた。副隊長も同じく訳がわからないといった表情で周りの部屋を見ていた。
「人の気配も匂いも音もしない。ここにはいないようだな。だが居場所がバレてしまった」
さっきの発砲はとんだ大損だったわけだ。
建物の屋上にあがると、上から施設を見渡せた。点々と〈秋桜〉の戦闘員たちが散らばっている。こんなふうに上から見ながら指揮ができたら、便利なんだろうな……。
「なあ、思ったんだけどさ、もしかしてこんだけ人がいないのってさ」
言い終わらないうちに言い知れぬ気配を感じて、俺は屋上のふちから転がって離れた。隣の建物から何人も敵がやって来る。
敵は上から見張っていたらしい。かなりの人数だ。二人で応戦はキツい。四方八方から剣の切っ先が襲ってくる。なかなか攻撃に手が回らない。
俺は一か八かで大胆に出てみた。一人に狙いを定め、他の敵は無視し、暑い上着を信じて懐へ飛び込んだ。ぶしゅっと血が散って狙った敵が倒れる。よく見たら女だった。同じ要領でもう一人倒した。
さすがに三度も同じ手は通用しない。素早く考えを巡らせて、今度は突っ込むと見せかけて身を引いた。さっきまで俺がいた場所に男がが剣を降り下ろした。空振ったその剣先を左手の刀で弾き飛ばし、右手で首を突き刺した。さらにやって来た敵の剣は、突き刺した男を盾にして防いだ。剣が肉体に刺さった一瞬の隙に敵の腹を切り裂くと、屋上のもっと真ん中の方まで引き返した。
ウルフが苦戦していたので応援に入った。ウルフの背後を取った女のさらに背後から足を引っかけて、よろめいたのを突き飛ばした。銃士でありながら体術も得意なウルフは、銃で敵を殴り剣を払っていた。俺はウルフの背後を狙う敵を次々とやっつけた。
気がつくと〈桜〉の連中はほとんど倒れて動かなくなっていた。気を失っているだけの者もいたが、わざわざ殺すのも気が引けたので放っておくことにした。刀に付いた血液を拭き取って鞘に納めた。
「助かった」
ウルフが低い声で言った。
「イツキは強いんだな」
「そ、そんなことねぇよ。お前もすごいし」
褒められて嬉しいけどちょっと恥ずかしくて顔がほてった。ウルフはそんな俺をからかうように小突いた。
「行こう。向こうの建物から見られてるかもしれないからな」
ウルフは西のほうを顔で示した。ここより背の高い、灰色のビルが俺たちを見下ろしている。監視されていると思うと気味が悪い。二人は貯水タンクの下の階段を降りた。
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