脳みそ気球の絶望

ちびまるフォイ

あんまり怒って脳をあっためないで!

『ご覧ください! あれは……人、でしょうか!?』


カメラが映していたのは遠くに見える気球のような影。

大きなバルーンの下には人らしきものがぶら下がっている。


「まったく、人なわけないだろ!」


俺はテレビに毒づいた。

最近はなにを見てもイラついてしまう。


数秒後には美味しいスイーツの紹介をはじめるような変わり身の早さも鼻につく。

きっとこれも新しく入った新人が使えないからだ。

そのストレスが来ているに違いない。


「だから! どうしてこんな初歩的なミスをするんだ!

 わからなかったら聞けばいいだろう!?」


「すみません……」


「俺が若い頃は上司に提出する前には

 何度も何度も見直してから提出したんだぞ!

 それをお前は……なんだ? どこを見ている?」


「あっいえ」


「人が話をしているときは目を見るものだろ!!」


「部長……あ、頭が……」


「ああ!?」


頭に触れてみると、こめかみから頭頂部にかけて。

妙に膨らんでいるような気がする。

自分の輪郭はこんなだったか。


トイレの鏡で確かめると明らかに頭が大きくなっていた。

それも脳の部分。


「どうなってる!? やばい病気じゃないだろうな!?」


脳がんと宣言されたら受け止められる自信がない。

とにかく怒るのをやめようと心に刻んだ。


ムカムカするのはたいてい空腹時。

常にお菓子を持ち歩いて満腹状態をキープする。


市販で手に入る怒りを抑える薬も定期的に飲み、

アンガーマネジメントの本の表紙と帯も読み込んだ。


それでも怒りはおさまらない。


「ちーがーうー!! いいかげんにしろ!」


「ぶ、部長!!」


「話をそらすな!! 俺がいいたいのは……ん!?」


部下への叱責の最中に足元がふわついた。

視線を落とすと床に足がついていない。


「こ、これは!? どうなってる!?」


脳は熱気球のバルーンのように膨れ上がり、

地面から俺の体を浮かせてしまっていた。


換気用にあけていた窓から強い風が入る。


「うわっ! 誰かーー!! 助けてくれぇ!!」


高層ビルの風にあてられて窓から外へと出てしまった。

けれど誰も助けてくれなかった。


窓の外に出ると脳気球に持ち上げられてみるみる空へと上がった。

雲の上まで浮き上がると待っていたのは穏やかな世界だった。


「広い……まるで天国じゃないか」


騒がしい音も、忙しい人間もいない。

時間が止まったようにたゆたう雲の世界。


「あれは……?」


遠くの方からなにか近づいてくる。

目を凝らしてみる。


同じように脳が膨らんで気球となった人間だった。

平泳ぎするように腕を動かしてこちらへ流れてくる。


「やあ、こんにちは」


「ど、どうも」


「その慣れてない感じ。ここへ来たのははじめてか?」


「ええ。実はさっき浮き上がったばかりで……」


「ここはいい。イライラするものがなにもない。

 静かで雄大で、外界から解放されてよかった」


「……たしかにそうですね」


下にいるときは3秒に一回はキレていた気がする。

どういうわけか空に来てからそれもなくなった。


「ここには君を悪く言う敵もいない。

 外界で荒んだ心を癒やしていくといい」


「ありがとうございます」


周りを見渡せば他にも脳気球の人間が多く浮いていた。

顔を合わせれば軽く挨拶し、空の遊泳を楽しんでいる。


穏やかな日々に俺はすっかり馴染んでしまった。


競争社会で目をギラつかせていた自分は失われ、

仙人のような広い心で毎日のんびりと暮らしていた。


ある日のこと、他の脳気球の人に比べて高度が下がっていることに気づいた。


「おかしいなぁ。なんで俺だけこんなに雲に近いんだ……?」


のんびりした生活に慣れたことで深く考えることもなかった。

日を追うごとに高度は下がっていく。


これまで見えていなかった外界の町も見えるようにまで下がった。

頭を触ってみると、脳がしぼみはじめているのに気づいた。


「脳がしぼんでいるから浮き上がる力が弱くなってるのか!?」


怒って脳が熱くなれば浮き上がるのかと思い、

必死に怒ろうとしても起こる理由がない。


穏やかな日常に毒されている脳では、

対局にある怒りへと大きく振り切るのは難しい。


「うわ! うわぁぁーー!!」


脳はますます小さくもとのサイズへと戻っていく。

ついに外界へと落ちてしまった。


「いたたた……ああ、どうしよう。戻ってきちゃった」


またせかせかした日常に戻るのか。

憂鬱な気分で顔を上げると、歩いている人は誰もいなかった。


どういうわけか、すべての人間が地面に頭を打ち付けたまま動かない。


「だ、大丈夫ですか!?」


頭は地面に埋まり、コンクリートからは首が伸びて胴体が生えている。

いくら声をかけてもこちらの声は届かない。


体に触れれば見えない恐怖からか暴れてしまう。


「俺が空に浮き上がっている間に何が起きたんだ……!?」


どこへ行っても、みな地面に頭をめり込ませて動けなくなっている。

自分が知らない下界での出来事を理解するためにさまざまな資料やネットを漁った。


宇宙人が攻撃したとか、危険な物質が漏れたとか。

そういう原因らしき事件はなにひとつない。


あるのは相互監視によるスキャンダルや、

自由を制限していく出来事ばかりが多かった。


「知らない間にこんなにも生きづらくなってたのか……」


結局、原因はわからずじまいだった。

もうこの世界には普通に暮らす人はいないだろう。


みんな地面に頭を埋められて動けなくなっている。

これから自分はどうしていけばいいんだろう。


そう考えると、頭が重い。


「これからどうしよう……」


絶望するとますます頭が重くなる。

物理的に。


「お、重いっ……! なんだ!?」


怒って脳がふくれ軽くなっていくのとは真逆。

絶望すると頭が重くなり立っていられなくなる。


「ダメだ! もっ……もう支えられないっ……!」


立っていると首が折れそうになる。

土下座するように頭を地面に置くとめり込んだ。


「まさか……みんな今の世界に絶望して……っ」


その先はもう声が出せなくなった。


ますます重くなった頭が地面へと埋まってしまい、

誰も聞こえないコンクリートに遮られてしまった。

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