自己効力感の話

高校時代の顔がかわいくてビールの売り子のバイトをしていた同級生に「私顔がかわいくない人生なんて絶対嫌やわ!うちらはな、勝ち組やねん!神様が特別にかわいく作ってくれてん!だからかわいいで生きよう!」って言われたことがあって、それは「顔がいいのに変人だから嫌われて標的にされてしまう」らしい私に対しての慰めだったのかもしれないけど、なんか逆に落ち込んだしある意味ショッキングすぎてもう2年前のことなのにずっと忘れることができない。

中学までは共学に通っていたけど地味で無口だから全然モテなかったし2年生の二学期から卒業するまで不登校だったし。入院で大人になってから初めて男女混合の共同生活を経験して人生で初めてちょっとモテたけどなんかあんまり嬉しくなかった。

今までの人生で一番嬉しかった時は中学一年生の時に自作の小説を部活の同級生に読んでもらって面白いって言ってもらえた時で、その時の感動を忘れられなかったからどんなにデッサンが下手くそでも美大に行くことを諦めきれなかった。美大時代、一度だけ講評で先生から「これ一番好き」って言ってもらえたことがあって、その日はずっと嬉し泣きしていた。人生で嬉し泣きしたのはこれが最初で最後だ。

自己効力感という言葉があって、人間は落ち込んだ時に癒しが必要になるが、誰かに慰められるよりも落ち込んだ人が誰かを助けたり楽しませたりする方が癒しになることがあるらしい。私はまさにそっち側の人間で、自分にできることで誰かを喜ばせたりすることができたらそれ以上に幸せなことはないんだけど、人の気持ちがわからないし表情から相手の気持ちを察したりできなくて日常会話だけで相手をムカつかせてしまうから誰かの役に立つとか喜ばせるみたいなのはもうなんか夢のまた夢で、そんな自分が嫌いすぎるから好きだと言ってもらえても複雑になるんだと思う。

医者にあなたの欝は発達障害からの二次障害だから欝の治療だけではなく発達障害による生きづらさとかに対処しなければ根本的な解決にはならないと言われた。もし欝が治って発達障害による生きづらさにも柔軟に対応して生きることができるようになったとしても社会人としてはフリーターか障害者枠での就職で、一人暮らしして充実した生活を送ることは難しいんじゃないかと思う。じゃあ結婚して家庭人になろうと思ってもただでさえ人間関係うまくいったことない私が旦那さんと良好な関係を築きながらちゃんと子育てできるのかっていう。欝はいつか治るかもしれないけど発達障害とは一生付き合わなきゃいけないからもうお先真っ暗ですよ。それでも生きていくのも悪くないなって思える何かがあればいいけどヤク中のひきこもりにそんな転機訪れるわけないじゃないですか。

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