かいこ

青空邸

かいこ

 古河は四年務めた会社を辞めた。

 彼が二十六歳の春だった。


 古河は決して仕事が嫌いではなかった。

 昔から人と話すことが得意だったこともあるが、スポーツから音楽、映画に漫画と、世間の流行は一通りかじるその性格上、年齢が倍ほど違う社内外の人々との会話に苦慮することもなかった。

 社内では突き抜けて成績が良かったということもなかったが、朝は早くに出社し、体を壊すこともなく、いつも明るく元気な振る舞いは模範的だと評価されていた。

 古河はインターネット黎明期に生まれ、製造機械のエンジニアだった父の影響で物心ついた時からからパソコンに触れていた、いわゆるデジタルネイティブだった。学生の頃からミーハー気質だったことも相まってパソコン周りには人一倍強く、部署の内外からよく相談や頼み事もされていた。


 そんな古河が会社への不満を自覚しだしたのは、入社してから三年目に差し掛かった頃だった。

 同期入社の仲間たちとは一人だけ違う部署に配属された彼は、最初の頃こそひとり取り残されることが多かったが、少ない人数で仕事をする中でどんどん技術を習得していき、ぶつかり稽古の日々の中に楽しみを見いだしていた。

 そんな折──もともと出入りの多い部署ではあったのだが──上司が相次いで辞めることがあった。

 自分より後から入った人間が、過去の実績から古河の上司となり、それで先に消えていくのだ。


 組織の安定しなかった古河の部署は業績も次第に傾き始め、次第に皆の前で詰められることも増えていった。

 反対に、同期入社の仲間たちは頭角を現しだし、もてはやされる機会が増えた。その頃から古河は太りだした。


 その後、信頼していた上司の退職を皮切りに、古河は今まででは有り得なかったような業務上のミスをするようになり、社内での口数が減っていった。

 やがて遅刻を重ねるようになった頃、入社時から面倒を見てもらっていた部長に申し入れをし、挨拶もそこそこに会社を去ることになった。



 東京の端にある家賃六万円の木造アパートを引き払い、親を頼って、千葉の港町にある実家に戻った。

 父親は既に定年退職しており、趣味の庭いじりをしているか、パソコンで内職をする毎日。母親は専業主婦であった。兄弟はおらず、庭には外飼の犬が一匹いた。

 ここ一年帰省することがなかったため、古河の両親は丸々と太ったその姿に驚いた。


 しばらくは家族三人で毎食食卓を囲んでいたが、落ち着いてくると、古河は学生時代の友人達と飲み歩くようになった。皆一様に様変わりした彼の姿を見て驚いたが、それだけで、下らない話で笑いあったりした。

 一人との約束が終わるとまた次の一人と、会社勤めになってから疎遠になっていた人に端から連絡し、その友人の勤め先近くまで向かった。

 いつも最終電車で帰路につくが、バスの運行は終わっている時間なので、木々が揺れるさざ波の音が響き渡る住宅街を、三十分以上かけて歩いた。

 以前の何倍も明るく見える星空を眺め、大きなに溜め息を吐く日々だった。


 犬を起こさぬよう静かに帰宅し、そのまま昼過ぎまで寝るような日々が続いていく中で、両親と顔を合わせる時間も少なくなっていった。

 日が傾いた頃にゆっくりと起き出し、夕飯を家族三人で食べるか、隠れるように静かに酒を飲みに出かけるか。深夜に帰ってきてはパソコンに向かい、日が昇り出すと両親の朝食を用意してから布団に潜り込む。

 ずっとこんな生活してはいられないとわかっていながらも、古河は日に日に気だるくなるのを感じていた。



 いつしか朝食が用意されなくなった。

 夕飯にも顔を出すこともなくなり、飲みに出かけている気配すらしなくなった。


 心配になった両親が、様子を見ようと古河の部屋の扉を開く。


 万年床の上に彼の姿はなかった。

 そこにあったのは、楕円形の大きな繭だった。



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かいこ 青空邸 @Sky_blu

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