26.その後




「悪いけど、あまり詳しいことは話せないの」


 ヘヴン状態になってちょっと危ない笑みを浮かべているさくらの胸を揉みながら、ハヅキが真面目な顔でそう言った。


「ほんとは誰にも正体を明かすつもりなかったんだけど、お父さんにバレちゃったから」


 ほとんどお前がばらしたようなもんだけどな……。


「でも私は未来から来たお父さんとお母さんの娘、それは間違いないよ」


「そう、なんだ……」


 紅葉がハヅキの顔を見つめ、信じられないという表情ながらも、納得したように頷いた。

 まぁ、こうして比べて見てみると、ハヅキと紅葉はとてもよく似ている。姉妹だと言われても、だれも疑わないだろう。だからこそ紅葉も俺も、こんな突飛すぎる話に納得したのだ。

 どうしてハヅキが転校してきた時に気付かなかったという話だが、まぁ流石に何も知らない状態では未来からやって来た娘と思わないよね。

 確かに誰かに似ているとは思ったが、紅葉とは結び付かなかったな……。


 しかし、世界で一番と言っていいほど滅茶苦茶かわいいと思っていたハヅキが、紅葉とそっくりだという事実に改めて気づかされると、なんか、こう、気恥ずかしいものがある。顔が熱くなって、紅葉の顔をまともに見れなくなる。

 紅葉も俺のことをチラッと気にするように見てから、顔を赤くして目を逸らす。

 

 そんな俺たちを見て、セリスが煩わしいとでも言いたげに「けっ」と息を漏らしていた。


 その後、それ以上未来の話をしようとしないハヅキの話は一旦区切りとなり、今度は花咲さんの話になった。

 

 アモデウスによって『悪魔堕ち』し、紅葉を襲った花咲百合という少女。花咲さんは今までの俺たちの話をずっと黙って聞きながら、顔を伏せていた。


「ユリ―、ごめんネー? 偶然ちょード堕としやすそうなユリが居たからね、誘っちゃったんだヨ。ごめんネー? んー、そんなに落ち込むことだったかな……?」


 絶対に反省していないアモデウスが花咲さんにそんな風に声をかけたが、花咲さんは膝を抱え、黙って俯いたままだ。

 今の花咲さんに、あの時のような悪魔らしいツノや羽、尻尾はついていない。リヒトたちの話では、悪魔堕ちした人間は、悪魔堕ちしてから時間が経つと、どうしよもなくなって人間に戻ることもないらしいのだが、花咲さんが悪魔落ちしてからすぐに俺とリヒトが花咲さんの『欲』を壊したことで、無事に元の人間の姿に戻ったのだ。


 そんな声の掛けづらい花咲さんに、真剣な顔をした紅葉が立ち上がる。

 紅葉は花咲さんと向かい合う位置に移動すると、しゃがみ込んで視線の高さを合わせた。


「ねぇ、百合」


「……」


 紅葉に声を掛けられても、花咲さんは顔を上げようとしない。そんな花咲さんをジッと見つめて、紅葉が口を開く。


「ごめんね」


「え?」


 花咲さんが驚いたように顔を上げて、紅葉を見た。紅葉は視線を合わせ、言葉を続ける。


「私、百合の気持ちに全然気づいてなかった。ずっと一緒にいたのに。それなのに、百合にあんな無責任なこと相談したりして」


「ううん、違う、違うの……」


 「違う、違う」と言いながら、花咲さんはゆるゆると首を横に振った。彼女の瞳に、大粒の涙が浮かぶ。


「だから、昨日、百合が私のこと好きなんだって知ってびっくりした。だから、ごめんね。私、百合の気持ちには応えられない」


「え?」


「私、好きな人がいるから」


 紅葉は真剣な表情でそう言って、花咲さんを見据えた。一方で花咲さんは、口を開けて呆然としている。


「私のこと……、怒ってないの?」


 花咲さんは驚きが隠せない様子で、ポツリとそう言った。

 その言葉を受けて、紅葉はふっと表情を崩して微笑む。


「どうして私が百合のことを怒るのよ」


「私のこと、嫌いになってない……?」


「なる訳ないじゃない。百合は昔からずっと一緒にいた大切な存在だもの。今更ちょっとやそっとで嫌いになんてなったりしないわ」


 百合が穏やかな表情でそう言うと、花咲さんは瞳からポロポロと涙がこぼし、紅葉に抱き着いた。


「もみじぃ……っ、もみじっ、ごめんね、ごめんね……っ、ありがとう……っ! だいすき、だいすきだよぉ……っ」


 紅葉はわんわんと泣きじゃくる花咲さんを抱き留めて、落ち着かせるように花咲さんの背中をさすっていた。


「いやァ、よかったよかっタ、よかったネェ、ユリー」


 そんな彼女たちの様子を見ながら、アモデウスがパチパチと手を叩きながら笑っている。

 ……他人事っぽく言ってるけど、大体全部こいつが悪いんだよな。

 しかも特に悪意がなさそうなのが怖い。悪魔ってこういう生き物なの?


 俺が無邪気に笑っているアモデウスを一発ぶん殴ってやろうかどうか考えていると、急にアモデウスの目の前の空間が爆発した。

 びっくりしすぎて呼吸が止まりそうになった。


呼吸を整えて何が起こったのかを確認すると、爆風に吹き飛ばされたアモデウスが背後の壁に顔面から突き刺さって、バタバタと脚をバタつかせながらもがいている。


「えぇ……」


 ギャグみたいな光景だが、ここ、俺んちなんですけど……。


「おいセリス! いきなり何を!」


 リヒトが驚いたようにセリスを見た。どうやら今の爆発はセリスの仕業だったらしい。


「……なんか色々ムカついたから」


 ぼそりとセリスが呟く。俺の代わりにぶっ飛ばしてくれたのはいいけど、俺んちの壁に穴が空いたんだけど。どうしてくれんのこれ……。


 その後、ひとまずの情報の共有は済んだという事で、その場はお開きになった。リヒトとセリスは個人的にまだアモデウスと話があるという事で、壁に刺さったアモデウスを引き抜いてどこかに行ってしまった。

 さくらも残ったお菓子を食べ終えてから「では先輩、また会いましょー」と滅茶苦茶軽い様子で帰って行った。


 この場に残っているは、俺と紅葉と花咲さん、そしてハヅキの四人になった。

ついさっきまで泣いていた花咲さんもまた、去っていった人たちと同じように立ち上がって、何故か俺を見た。彼女の泣きはらした目が、ジッと俺を見つめる。


「河合くんも、本当にごめんね」


 彼女は頭を下げて、俺に謝る。


「え? あ、あぁ、いや、別に。花咲さんも、悪魔に操られてた訳だし、俺も大したことはしてないし」


 俺がやったことと言えば、花咲さんを挑発して『欲』を追い出したことくらいだ。実際に壊したのは、リヒトだし……。


「ううん、でも、悪魔にそそのかされちゃった私が悪いの。私が弱かったから……」


 そこまで言うと、花咲さんは顔を上げて俺を見据える。


「だから、本当にごめんなさい。それに、河合くんに紅葉のことで相談をもちかけたことも、ごめんなさい。私ね、百合が河合くんのことが好きだって分かった上で、河合くんにあんなことを言ったの。絶対に、取られたくなかったから……」


 花咲さんのそんな言葉に、紅葉が「ちょっと百合……っ」と言って顔を赤くする。こちらを見た紅葉と目が合って、気恥ずかしくなった。顔が熱い。


 そんな俺たちを、花咲さんは羨むような、胸が痛むような、複雑な表情で見てから、俺に向かって言う。


「でもね河合くん、私まだ、負けたつもりはないから……」


 そう言って笑うと、花咲さんは「じゃあ、またね」と俺たちに言って、部屋を出て行った。


 なんていうか、花咲さんも凄い子だよなぁ……。


 そんな風に思って、俺は花咲さんが出て行った後を見つめる。

 隣にいる紅葉の方を見るのが恥ずかしくて、視線を元に戻せなかった。


「はぁ……お父さんはヘタレだなぁ……」


 俺と紅葉に聞こえるように、まだ部屋に残っていたハヅキが呟いた。


「……」


 部屋の中に沈黙が落ちる。なに、この気まずい感じ。

 

「て、ていうかハヅキ、お前はこれからどうするんだよ」


「えー、そこで私?」


 ハヅキが呆れたようにそう言ってから、「うーん、そうだなぁ」と考えるように顎に手を当てた。


「何にしても、私はお父さんがお母さん意外に浮気しないかどうかを見張る必要があるし、実は他にやることもあるし、まだ未来には帰らないよ。色々状況も変わっちゃったし」


「そうなのか……」


 つまり俺は未来の娘と一緒に同じ学校に通わないといけないのか。しかもハヅキが居ると色々落ち着かなそうだし……。いやだなぁ。


「なにその残念そうな顔―、こんなに可愛い娘とまだ一緒に居られるっていうのに」


 ハヅキが不満げに頬を膨らませて俺を睨む。


「いや、って言ってもな……」


「まぁいいや、それじゃあこれからもよろしくってことで。私も変えるよ、じゃあまたね、お父さん、お母さん」


 ハヅキが立ち上がって俺たちにフリフリと手を振って、部屋を出て行った。アイツもう平気で俺と紅葉のことを父母扱いするよな。

 今の状況を分かって行っているのか。控えめに言って気まず過ぎるんだけど。


 俺は紅葉と二人きりで部屋に取り残されたこの状況を鑑みて、そう思う。


「……」


「……」


 俺と紅葉は互いに無言だった。

 気まずい……。


 だが、ここは俺が動かねばならない。もう紅葉の気持ちに気付いてしまった以上、自分の気持ちに気付いてしまった以上、誤魔化しは効かない。

 俺は紅葉のことが好きだ。

 幼馴染としてじゃなく、一人の女の子として。ぼやっとして、花咲さんに取られる訳にもいかない。


 俺は紅葉の方を見ると、改まって「紅葉」と、名前を呼んだ。

 すると、紅葉は無言のまま俺を見返した。その表情は、真面目だ。


 俺は大きく深呼吸してから、口を開く。


「紅葉。俺は紅葉が好きだ。俺と付き合ってください」


 そう言って俺は頭を下げる。が、ほぼ勝利は確信していた。紅葉もまた俺のことが好きだったらしいし、何より未来からきた娘が俺と紅葉が結ばれることを保証しているのだ。敗北する要素がない。


 ――そして、紅葉が口を開く。その顔は眩しいくらいに笑顔だ。


「うん、喜んで――」

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