9.流れの話




 セリスによる襲撃があった次の日の朝、俺の部屋はなかなかカオスな状況になっていた。


「ぁぁ、リヒトの側にいると落ち着く……。大好き……ホントに好きぃ……、もうどこにもいかないで」

 

「……い、いや、でもボクは……」

 

「ね?」


 俺が朝食の準備をしていると、居間の方から二人の会話が聞こえてくる。

 異世界の勇者リヒトと、翼を持つ少女セリスである。


 昨夜に聞いた話を要約すると、次のようになる。

 

 リヒトは、未来に魔王が現れ世界を蹂躙するという運命を変えるため、この世界にやってきた。

 本来、リヒトは一人でそれを成し遂げる予定だった。

 しかし、予想外が発生した。リヒトを追ってこの世界にやってきたあの魔族の存在だ。

 リヒトはその情報を、異世界に伝えていた。

 詳しいことは分からないが、異世界の『教会』という大きな権力を持つ集団、勇者リヒトを支える集団らしいが、その教会とやらがリヒト一人では危ないと判断したらしい。

 そこで新たに派遣されたのが、この翼を持つ少女セリスということらしい。

 セリス曰く、セリスはリヒトの婚約者らしいが、リヒトはそれを否定していた。

 どっちが正しいのかは置いといて、一つ断言できることがセリスはリヒトに惚れているらしい。


 ほら見なさい。

 昨夜、服を全部公園に放置してきたせいで、裸ワイシャツ(俺の)を着て、色々と際どいセリスがリヒトに抱きついて離れようとしない。

 昨夜、帰ったばかりの時は、セリス(裸)がリヒトに襲いかかろうとして、それにリヒトが抵抗していたのだが、あまりにも騒がしすぎて、また隣に住む紅葉が壁を叩いて怒ったので、この部屋の主たる俺があることを取り決めた。


 この部屋で、セリスとリヒトが一線を超えない代わりに、リヒトはセリスに抵抗してはいけないと。

 その時の俺たちの会話がこうだ。


『じゃあボクは、外でならリヒトと愛し合っていいの?』


『お好きにどうぞ』


『主!? ボクを見捨てるのか!?』


 そんな訳で、リヒトはセリスに抵抗できない。

 昨日からずっとセリスはリヒトにくっついている。この上なくイライラさせられる光景だが、昨夜の騒がしさのことを考えるとまだ我慢できる。本当に怖いのは隣の壁だ。

 

「はぁ……、はぁ……、りひとぉ……、すきぃ……、あぁぁ……んっ、からだが熱いよぉ……」


「待ってくれセリス! 脱ぐのはやめるんだ!」


「恥ずかしがらなくていいよ? ボクはどんなリヒトでも受け入れるから……」


「ひぃ! 主助けてくれぇ!」


「だからお前らうるさいんだよ! お願いだから静かにしてください!!」



 ――ドンッッ!!――

 壁が怒った。


「ひぃ!」





「うむ、主の作る飯は毎度うまいな」


「はいリヒト、あーん」


「いや、ボクは自力で食べられるので……」


「……あーん」


「む、むごっ、ふぐ」


 『あーん』というより、リヒトの口の中に無理やり食べ物を押し込んで、満足そうにしているセリス。リヒト以上にぶっ飛んだ奴だった。


 それから朝食も終え、食器の片付けをしている最中、BGMのような感覚でつけていたテレビからあるニュースが流れて来て、俺は茶碗を落とした。


 カランカランと静かな空間に音が響く。


 うるさくすると壁こと紅葉もみじが怒るので、無言のままセリスと格闘を繰り広げていたリヒトが彼女を床に押さえつけて――「あぁんっ、らめぇ、りひとぉ、そこ、感じちゃう……っ」――顔を上げた。


「どうした主。まるで突然自分が指名手配されたような顔をして」



『――のある公園にて、昨晩、一人の少女が二人の若い男に襲われる事件が発生したとのことです。発見したのは付近に勤める一人の警官で、十歳前後の少女を二人の男が押さえつけていたということです。

 現在、犯人二人は少女を連れて逃亡中であり、公園には少女のものと思われる衣類が一式と、男性のものと思われる衣類の一部が残されていました。

 現在警察が調査中です。今のところ唯一の目撃者である警官の話によると、犯人の一人は、犯行があった公園の近くにある高校の制服を着ていたということで――』



 そこで耐えきれなくなった俺はテレビの電源を切る。

 冷や汗が止まらなかった。

 強烈に学校に行きたくなかったが、行くしかなかった。



 ◯



 学校に行くと、全校生徒が集められる緊急の集会が開かれた。予想の通り、昨晩起こった『少女誘拐事件』についての話だった。

 皆の前に立った校長先生は、「本当に悲しい」だとか、「仮にこの中に魔が差してやってしまった生徒がいるなら名乗り出て欲しい」だとか、「犯罪は自分を貶める行為」だとか、同じような話を5回ずつ繰り返した。

 普段はそんな校長の話に、文句ばかり言っている生徒たちも、「最低」だとか、「信じられない」だとか、「気持ち悪い」とか、「ロリコンは死ね」とか、そんなささやきがそこら中から聞こえて来た。


 唯一真実を知っている俺は、だらだらと冷や汗を流しながら、ボロを出さないように正面に視線を固定していた。

 そんな可哀想な目に合った女の子はいない、とか、むしろ襲われそうになったのは男の方、だとか主張したかったが、出来るわけがない。


「あの、実樹さん……、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」


 なんの因果かこの場でも俺の隣にいる相河さんが、心配するような表情で俺を見た。


「い、いやっ、大丈夫。今朝からなんか熱っぽいだけで、大したことはないから」


「大丈夫なんですか?」


 すみませんウソです。


「気をつけてくださいね。あまり無理はなさらずに」


「あ、あぁ、うん。ありがとう」


 なんていい子なんだ。まるで天使。昨日現れた見た目だけ天使とは違って、本物の天使の様だ。

 だけど、すげぇいたたまれない。


しかし相河さんは、引き続き心配するような顔で俺のことを見つめていた。

 な、何でこんなに見られてるの。


「あの、実樹さん。いきなりこんなことを言うのも、おかしな話かもしれませんが……」


 もの凄く複雑な表情でそう前置きをしながら、相河さんは俺だけに聞こえるような小さな声で言う。


「年下の女の子と関わるのは、気を付けた方がいいですよ」


 待って。

 ……待って?


「くれぐれも、気を付けてくださいね」


 俺じゃないから! そう叫んで色々弁明したかったが、こんな所で大声を出すわけにはいかない。

 しかも、相河さんの表情が、真剣に俺を心配するようなものだったから、目を合わせた俺は何も言えなくなる。


 俺は、「あ、あぁ、うん……」と曖昧に笑って誤魔化しながら、相河さんから目を逸らす。

 

 え、俺ってそんなにロリコンに見える……? え?

相河さんの言葉で動揺する俺。校長の話はまだ長引きそうだし、このまま何もしないでいると本当にボロをだしかねないので、俺は思考の海に逃げる。


 昨夜のことだ。

 一応、応援としてこの世界にやってきたセリスを交えて、魔王を特定する作戦を話しあったのだ。


 次が昨夜に交えた会話だ。



『どうしてまだ見つかっていないのかが理解できない。ミツキの学校にいるヤツラの背中を片っ端から確かめたらいい。そしたらボクとリヒトはすぐに元の世界に帰れる』


『セリス、それはできない。この世界で、派手な動きはできない。それも多くの人と関わるようなことなら、なおさらだ。

 ボクらの世界と、この世界は紙の裏と表のような関係だ。一番近い位置にいるが、本来なら交わることがない。その摂理をボクらは捻じ曲げてこの世界に来ている。だから行き過ぎると、最悪流れが変わる恐れがある。セリスも分かっているだろう』


『むぅ……、でも既にボクらがここに居て、この世界に関わっているんだから今更なんじゃないの』


『あまり褒められたことではないが、多少ならさほど問題ない。《流れ》には勢いがあるからな。けれど、あまり派手なことはできないということだ。

 それに加えて、この世界には既にヤツラがいる。確認したのは一人だが、何人潜んでいるのかは不明だ。もし魔王の前世をヤツラが先に見つけて対処されてしまったら、ボクらが予言を外すことは困難になる。慎重に動いた方がいい』


『あー、一つ聞いていいか?』


『なんだ主?』


『まぁ疑問は山ほどあるんだけど、とりあえずその《流れ》ってのはなんなんだ?』


『そうだな。主には説明せねばならないな。ふーむ。ひとまず主には『永遠に続く川の流れ』をイメージしてもらいたい。

 もし、川の上に水に浮くボールなどを浮かべると、ボールは流れにのって進んで行く。この流れのスピードは、一般的にはずっと一定だ。つまり、何も邪魔がなければ、数秒後、数分後、数年後に、ボールがどの位置にいるのか、予想できるというわけだ。

 《流れ》とは、このような川の流れにとてもよく似ている。

 だからだ。ボールをこの世界の全ての事象に置き換えれば、これからどんなことが起こるのか予測が可能となる。これが『予言』だ。まぁ口で言うほど簡単なことではないがな。

 でももしこのボールにいくらかの力を加えると、ボールが到達する地点は大きく変わってくる。だから予言はボールがどの位置にあるか分かれば、意図的に外すことも可能なのだ。これが、ボクらが魔王を探している理由だ。

 『《流れ》の勢い』とは、そのまま川の流れの勢いと同じ意味だ。ちょっと力を加えたくらいでは、勢いに負けてボールの方向を大きく変えることはできないのだ。

 でも、いくらちょっとした力といえど、手当たり次第に様々なボールにちょっかいをかけていると、連鎖反応のようにボールがぶつかり合って、未来が大きく変わる。混沌だ。そうなると、誰も未来を予測できなくなる。それだけは避けなければならない』


『ふーん、なるほどな。まぁ要するに、あの悪魔ってやつらより先に魔王の前世を見つけ出さないといけない。でもあまり派手すぎる行動は起こせない。悪魔側もその条件は同じって訳か』


『そう言うことだな。おそらくヤツラも今は、血眼になって魔王の前世を探しているはずだ』


『なぁ、ちょっと気になったんだけど、その《流れ》っていうのは要するに『時間』の流れだよな?』


『まぁ、そうだな。『時空』の流れと言った方が正しいやもしれぬが』


『それって飛び越えたりとかはできないのか?』


『む……? どういうことだ? 主』


『要するに未来に行ったり過去に行ったりはできないのかなって、それができるならもっと他にやりようがありそうなもんだが』


『おぉ、面白い事を考えるな主。流石だ、そんなことは考えもしなかったぞ』


『そうか……?』


『しかしそうだな……、《流れ》を越える……と。世界線移動の技術を応用すれば可能かもしれないな。だが、そんなことをしてしまったら、《流れ》の乱れは今の比ではないくらい酷くなるだろう。やるべきではないぞ主』


『可能かもしれないのか……。すげぇなお前の世界の技術。流石ファンタジー……』


『……で、結局ボクたちはどうやって魔王の前世を見つけるの?』


『……』


 セリスのその問いに対する具体的な答えが出せないまま、昨夜の話し合いは終わったのだった。


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