アラサー監察医に謎とショタを添えて~お寿司のワサビは大人の味~後編

 吹き出した鼻血をティッシュで止めた神崎は、瀕死の状態だった。


「と、とにかく橋本先輩。服を……服を、どうにかしましょう」


 ブカブカのシャツから見える美少年の素肌、という格好の時点で刺激が強すぎて、視線に入る度に悩殺される。

 橋本は余った袖を眺めながら頷いた。


「元に戻る方法も探さないといけないが、その前に服が必要だな。あ、靴がないから買いに行けない」

「では、私が買ってきます! さっそくサイズを計りましょう!」

「ちょっ、ちょっと待て! サイズを計るだけなんだよな!? なぁ!?」


 わきわきと神崎の指が怪しい動きをする。橋本が後ずさると、同じ早さで神崎が距離を詰めてくる。


 じわじわと退路を塞がれ、蛇に睨まれた蛙のように橋本が身の危険を感じていると、神崎の携帯が鳴った。表示された相手の名前に神崎の顔がこわばる。


「ゲッ」


 橋本が逃げ道を探しながら訊ねる。


「誰だい?」

「菅田警部です」


 このまま放置したいが、絶対に出るまで鳴らし続ける。

 携帯を無視することを諦めた神崎は、重い指で通話ボタンを押した。


「もしもし? はい、神崎です。休みと分かっているなら電話しないでください。えぇ? いまからですか?」


 電話口から懇願するような声が漏れる。神崎は綺麗な眉をハの字にして折れた。


「……分かりました。行きます」


 神崎が電話を切ると橋本が声をかけた。


「仕事かい?」

「はい。どうしても、すぐに検死してほしい遺体があるそうです。はぁ……橋本先輩にいろんな服を着せたかったのに」


 菅田警部と見知らぬ遺体よ、ありがとう! と橋本は心の中で感謝した。この二人のおかげで着せ替え人形を回避することが出来た。

 ひとまず目前の危機が去ったことに橋本がホッとしていると、神崎が握りこぶしを作って決意表明をした。


「もう、こうなったら速攻で終わらせて服を買いに行きましょう! って、先輩はどうしよう……このまま一人で家に置いておくのは……」

「ん? いや、ちょっと待ってくれ」


 何かを思い出した橋本が、小走りで部屋から出ていく。それからしばらくすると、軽い足音をたてて帰って来た。


「待たせた。靴も見つけたから、これで出掛けられるぞ」


 そこにはピッタリサイズの襟付きの長袖シャツにハーフパンツを履いた美少年がいた。デザインは古いが、丁寧に保管していたのだろう。虫食いやシミなどの汚れもなく、畳んでいた折り線が付いている。


 神崎は鼻血を吹き出しそうになったが、鼻を押さえて、どうにか堪えながら言った。


「どこぞの声楽隊かと思いました」

「子どもの頃に着ていた服だと思うが、残っていてよかった。だいぶん時間を使ってしまったな。急いで行こう」

「そ、そうですね」


 向けられた華奢な後ろ姿。形の良い丸い頭に無防備な背中。そこから続く細い腰に絶対領域。そしてスラリと伸びた足。すべてがパーフェクト。


 神崎が恍惚の表情で先を歩く橋本をじっとりと愛でる。その視線を橋本は悪寒で受け取っていた。





 二人が解剖室の前に到着すると、無精髭を生やし、スーツの上にヨレヨレのコートを羽織った、いかにも漫画に出てくる警部という服と雰囲気を持つ男がいた。


 男が神崎に気づいて軽く手を上げる。


「よっ、休みにすまないな」

「すまないと思うなら、呼び出さないでください」

「仕方ないだろ。おまえじゃないと見つけられない案件だからよ」


 神崎の顔から表情が消える。


「菅田警部、遺体の状況は?」

「その前に、それは誰だ? おまえの子じゃないだろ?」


 菅田に指を差され橋本が神崎の後ろに隠れる。橋本が子どもになったことに気づくことはないだろうが、念のため顔を見られないようにする。


 神崎は橋本と話し合って決めておいた設定を話した。


「私の親戚の子です。急遽、預かっていたのですが、菅田警部に呼び出されましてね。家に一人で留守番させるわけにもいかないので、連れてきました」

「あー、それは悪かったな。よし、姉ちゃんの仕事が終わるまで、おっちゃんと待っていような?」


 菅田が手を差し出したが、橋本が逃げるように神崎にしがみつく。その愛らしくも萌える動きに、神崎は喜びにうち震えたが、そこは一切顔に出さずに堪えた。


「人見知りなんです。大人しい子なので、解剖室の端で待たせときます。で、仕事の内容は?」


「急に呼び出した俺も悪いし、仕方ないか」


 菅田が困ったように髪をかきながら報告書を神崎に渡した。


「事件だが、服毒による中毒死だ。それが、どうもおかしくてな」


 神崎が書類に一通り目を通して頷く。


「どこもおかしくないですよ。この症状。どこをどう見ても毒による中毒死じゃないですか。むしろ、それ以外で死んだ証拠を出せというほうが無理です」

「確かにそうだが、聞いてくれ。被害者に毒を仕込めたヤツが一人だけいるんだが、そいつは犯行を否定している。それに、オレもヤツは犯人じゃないと思う」


 神崎が肩をすくめる。


「またお得意の勘ですか?」


 神崎の指摘に菅田が吠える。


「仕方ねぇだろ! こう、気持ち悪いんだよ! 犯人じゃないヤツを尋問していると、全身がザワザワしてよ! で、犯人っぽいやつは明日から海外に旅行へ行くっていうんだ」

「高飛びですか」

「そうなる前にアリバイを崩したい」

「分かりました。被害者の体内に証拠が残っている、というのであれば、見つけ出しましょう」


 神崎が無表情のまま、唇を三日月のような形になる。人形のような無機質な美が神崎を包む。


「私に見つけられないものは、ありませんから」


 独特な雰囲気にのまれかけた菅田が慌てて頷く。


「お、おう。頼むぞ。ところで橋本は?」

「急病で休みです」

「珍しいな。一人で大丈夫か?」

「大丈夫です。では、待っていてください」


 神崎は子どもの橋本を連れて解剖室へと入っていった。




 術衣に手袋、マスク、ゴーグルと、神崎は完全防備で遺体が置かれた台の前に現れた。反対側にはダブダブの術衣と手袋、マスクをした橋本がいる。踏み台に乗っているため、頭と目がどうにか見えている状態だ。


「橋本先輩、無理しなくてもいいですよ?」

「こんな姿だが、筋鈎きんこうぐらい持てる」

「……無理なら言ってください」


 神崎が視線を下げると、幅が狭い解剖台に寝かされた遺体があった。

 胸から腹まで縦に真っ直ぐ一本線に切開創があり、太い糸で無理やり皮膚を引っ付けるように縫われている。そのため、皮膚が山のように盛り上がり痛々しい。


「雑に縫ってますね」


 神崎が嫌悪感を隠すことなく呟くと、皮膚を縫い合わせている太い糸を、先端に爪がついた鑷子ピンセットで摘まみ上げた。皮膚と糸の間に隙間を作り、そこに先が湾曲したハサミの刃を入れて糸を切る。

 そうして縫合している糸を全て切り、切開創を開いた。そこに橋本が指先サイズの鍬の先を切開創に当てて軽く引っ張る。すると、筋肉層を縫合している糸が露になった。


「橋本先輩、筋鈎きんこうをもう少し左にずらしてください。はい、そこです」

「すまない。中まで見えなくて上手くサポートできない」

「大丈夫です。私が指示しますから」


 そう言いながら神崎が手際よく縫合糸を切っていく。

 こうして全ての縫合糸を切り終えたところで、神崎は棒に湾曲した二枚の羽根が付いた器材を取り出した。すかさず橋本が筋鈎を腹膜の間に入れて臓器と隙間を作る。神崎はその隙間に器材の羽根を入れて、切開創を左右に開いた。しっかり切開創を開いたところで羽根をネジで固定する。


 この光景を例えるなら、電車の閉じかけたドアに手を入れて、無理やり左右に押し開けた状態だ。


 開腹器をセットして腹部を広げた神崎に橋本が声をかける。


「ここから、どうアプローチするんだ?」

「資料では胃と十二指腸を解剖したが食残のみで問題なし、とありました。なら、それ以降の臓器になにかあるはずです」


 神崎が小腸の端を引っ張り出す。遺体が傷まないように冷やしているため、冷たくぬめる。全神経を手先に集中させ、小腸を左から右へと流していく。手袋をしているため、どうしても感覚は若干鈍くなる。少しの違和感も見落とさないように細心の注意を払う。


 数十分後、流れ作業のように動いていた神崎の手が突然止まった。


「どうした?」

「ここだけ……触った時の感触が違います」


 神崎が説明をしながらも、先が平らな鉗子かんしを二本取りだし並べて小腸を挟んだ。それから小腸の下に膿盆を置き、真っ直ぐなハサミで鉗子の間を切った。

 そして切れ端を膿盆に載せると、五十センチほど先の小腸も同じように鉗子で挟み、その間をハサミで切った。

 小腸を載せた膿盆を隣の小さな台に置く。鉗子を外して小腸をメスで開くと、そこには食残があった。その食残を先端に爪がない鑷子ピンセットで丁寧に広げていく。そこから、あるものを見つけた神崎は口角を上げた。


「あったか?」

「はい」


 橋本の問いに神崎は笑顔で答えた。




 写真と記録を手早く作った神崎は、切除した小腸を繋ぎ合わせ、切開創を閉じていった。

 最後の皮膚のところで、神崎は細い糸と半円形の針を手に取った。左手には爪がついた鑷子、右手にはハサミのような形をした持針器じしんきを持ち、持針器の先で糸を通した針を挟むと皮下に針を通した。そのまま皮下と皮下を縫い合わせていく。

 皮膚と皮膚を無理やり縫い合わせたような盛り上がりはなく、平らな真っ直ぐな一本の線がある。糸は最初と最後にちょろんと出ているだけで注意しなければ、どこにあるのかも分からない。


 神崎は糸が出ているところに半透明なテープを貼った。そして、切開創の上にも同じテープを貼る。そうすると、傷はほとんど分からなくなった。


 自分の仕事に満足した神崎は回収した証拠の処理をすると、外で待っている菅田のところへ移動した。


「どうだ? 見つかったか?」


 術衣を脱いだ神崎が手書きの書類と数枚の写真を渡す。


「小腸の回腸部分からカプセルが見つかりました」

「カプセル?」


 菅田が写真を見ると、開かれた小腸の上にボロボロに崩れかけたカプセルだったものらしき物体が写っていた。が、それよりも胸からこみ上げてくるものを押さえるために口を押えてしゃがみ込む。


 その様子を神崎は呆れたように見下ろした。


「相変わらず臓器が苦手ですか。それでよく死体現場とか見れますね」

「ここは現場じゃないだろ」

「はい、はい。現場は根性で乗り切っているんですよね。では、説明を続けます。普通のカプセルは胃で消化されるので、回腸でここまで形が残っていることはありません」

「で、では、このカプセルは何故、形が残っているんだ?」

「成分分析の結果が出るまで確実なことは言えませんが、たぶん酸に強くアルカリ性になると溶けるカプセルです」


 座り込んでいる菅田の頭にクエッションマークが羅列する。


「酸に強くて、アルカリ性に弱い? なんだ、そりゃ?」

「人体の消化器は胃だけが酸性であとはアルカリ性です。大抵の物は胃酸で溶かされ、小腸で吸収されます」

「あー、なんか習った気がする」

「酸に強いカプセルなら胃で溶けず、他の食物と一緒に十二指腸から小腸へと移動します。そして、徐々にアルカリ性の腸液を浴び、少しずつ溶けていきます。もし、そのカプセルの中に毒があったら?」


 菅田が立ち上がり神崎に飛びつく。


「そうか! 時間差か! あらかじめ、その毒入りカプセルを飲ませておいて、毒が効いて倒れた騒ぎの時に人目を盗んで、こっそりと直前まで食べていた物に毒を入れれば……これで、あいつのアリバイは崩れた!」

「カプセルに毒が入っていたかは、このカプセルと食残を調べないと分かりませんが、今日はそこまで調べられませんよ。明日、他の人に鑑識を頼んでください」

「分かっている! だが、重要参考人になるから海外への高飛びは防げる! 助かった!」


 菅田がバン! と神崎の手に札を叩きつける。


「別に金一封はいらないですよ? 警部だって安月給なんですから、無理しないください」

「これで罪を犯していないヤツを捕まえなくて済むんだ! そう考えたら安いもんだろ! それに、こんなことは滅多にないからな!」

「そう言って、今月二回目なんですが」

「たまたまだ 普通は数年に一回レベルのことだしな! じゃあな!」


 菅田が走り去る。

 神崎は手の中の札を見たあと、何気なく壁にかかっている時計を見た。針は六時を指している。


「これから器材を片付けるとなると……夕食の時間が……」


 ため息ともに体が重くなり腹が鳴った。時間を忘れて集中していたらめ、その反動が辛い。

 沈む神崎に、橋本が解剖室から顔だけ出して声をかけた。


「片付けはほとんど終わった。あと確認とサインだけ頼む」


 ひょっこりと顔だけを出している、その姿勢、動作、全てが可愛らしくツボになる。

 一瞬で癒された神崎は手の中の札を握りしめた。


「よし! 今日の夕食はお寿司にしちゃいましょう!」


 橋本の少しだけ丸くなった目が輝いている。


「寿司? 握り寿司かい?」

「そうですけど……なにか食べれないネタがありますか?」

「あ、いや、そうではなくて……握り寿司を食べるのは、初めてだから」


 恥ずかしそうに嬉しがる美少年の姿に、神崎が鼻を押さえる。


「好きなだけ食べちゃってくだひゃい!」


 こうして帰宅途中で寿司屋に寄った二人は、大量の握り寿司を購入した。




 二人は橋本の家に帰ると客間へ移動した。神崎が寿司が入っているケースを確認して、橋本に差し出す。


「先輩はワサビ抜きですからね」

「そこは子ども扱いしなくても……」


 どこか寂しそうな橋本に神崎がハッとする。


「あ、でもワサビでツンときて涙目で悶える美少年の姿を見るチャンスだった! 失敗した!」

「やっぱり、ワサビはいらない。いただきます」


 橋本は何も聞かなかったことにしてマグロを食べる。少し噛んだだけなのに赤身がトロけ、米がほぐれる。脂の甘さと酢飯が合わさり、口の中でカーニバルが始まった。


「こんなに美味しいのか」


 天に昇りそうな顔で寿司を頬張る橋本を愛でながら神崎が訊ねる。


「どうして、今までお寿司を食べたことなかったのですか?」

「食事はいつもキヌさんが準備してくれるんだが、生はあたるといけないから、と必ず火を通したものなんだ。巻き寿司とか、ちらし寿司なら食べたことあるけど」

「キヌさん?」

「この家の管理をしてくれている人だ。僕は早くに両親を亡くしていて、キヌさんがいろいろ助けてくれている」


 思いの外、重い回答に神崎が言葉に詰まる。急に話題を変えるのも変だし……と考えた結果、気になったことを質問していた。


「……橋本先輩ってお坊ちゃんですか?」

「そんなことはない。んー、旨い」


 恍惚の表情を浮かべる美少年に、神崎はすべてがどうでもよくなった。今は目の前の美少年を愛でる。そのことに全力を賭ける時間だ。

 神崎は携帯でこっそり盗撮しようとしたが、何故かバッテリーがゼロになっており、泣く泣く諦めた。




 年端もいかない美少年を一人で残すのは不安と言い張り、神崎は橋本の客間に泊まった。そして、迎えた翌朝。


 神崎は橋本の部屋を覗いていた。


「起こすだけです。美少年の寝顔を見たいという欲望ではないです」


 神崎は言い訳を自分に言い聞かしながら、そっと橋本か寝ている布団に近づく。


「おはようございます」

「……ん? 朝か?」


 神崎の予想に反して低い声がした。橋本がゆっくりと体を起こす。


「なんか、服がキツい……お、戻ってる」


 体が元に戻り、嬉しそうに全身を見ている橋本に対して、神崎は白目を向いた。


「せっ、せせせ、せせっ、世界的大損失ぅぅぅぅぅ!!!!!」


 神崎は叫び声とともに崩れ落ちた。

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