ペイル・ブルードットの彼方から

中村雨

The_Pale_Blue_Dot

Stage 01

01 バス停

 放課後、学校帰りのバス停。

 いつものバスを、ちょうど乗り逃してしまった空白の時間。何気なくタブレット端末を取りだしてアプリケーションを選択すると、読みかけのSF小説が、粒子センサネットワークによって空中に描きだされた。


 五月。今日は少し肌寒かった。


 備え付けのベンチに腰掛け、ひといきに数ページ読んで、フッ、と息継ぎのように顔を上げると、ふいに後ろから、タブレットの映像を覗き込む顔。


「うわ」


 ちいさく悲鳴が出る。


「あ、ごめん」


 そう悪びれた様子もなく謝ったのは、同い年ぐらいの女の子だった。でも制服は着ていない。うちの高校の生徒ではないようだ。大学生かも知れない。


 綺麗で、儚げなで、涼しげな、そんな印象。


 サラサラの髪に、色素の薄い白い肌。

 それに声も。透明な、耳に心地のいいウィスパー・ボイス。それがベンチの後ろから聞こえてくる。

 その声に誘われて、なんだか空気が少し、青さを増した気がした。


「それ、ペイル・ブルードットのスピンオフ……面白い?」


 不審がって見つめていると、ささやき声の少女は、タブレットの映像を指さして言う。後ろから読んでいたらしい。


「あ、ああ、面白いけど……知ってるの? P・B・Dペイル・ブルードット


 P・B・D――ザ・ペイル・ブルードット――粒子センサ・ネットワークの、仮想空間VRオンライン・スタークルーズ・ロボット・ゲーム。

 最近のゲームのジャンル名は、独創性に溢れている。


 ようは銀河を旅する宇宙開拓ゲームだ。

 人気のコンテンツは、人型の戦闘宇宙艦での戦闘や、領地の奪い合い。あるいはもっと泥臭く、海賊のように商船の襲撃したり。

 こんな綺麗な顔と透明な声の女の子には、あまり似つかわしくないな、と思った。


「知ってる……よく遊んでいるよ?」


 そう、彼女は言う。


「……採掘マイニングとか、建築ビルディングとか……それとも、未発見の恒星や惑星を探したりする探検家エクスプローラー?」


 涼しげな少女のイメージに、どうにも泥臭い宇宙戦争はイメージにあわなくて、そう聞いた。

 宇宙の開拓が元々のゲームで、戦ったりする方が、後で追加された要素だったりするのだけれど、しかし、P・B・Dペイル・ブルードットを「どういうゲーム?」と聞かれれば、今のプレイヤーは大半が、ロボットで戦うゲームと答えるだろう。


「んーん、骨格艦レヴナントで、毎日レイドしてる」


 言外に「変なこと言うね」という雰囲気で、彼女は答えた。

骨格艦レヴナント』と『レイド』いう単語が出てくるのなら、現役プレイヤーだろう。


 骨格艦レヴナントは、ロボットの形をした、プレイヤーの乗艦。

 それに『レイド』は、他のプレイヤーが所有する施設を攻撃する意味のスラング。

 それを聞いて戸惑っていると、その色素のすこし薄い、夕日でオレンジ色に輝く瞳で、こちらをまじまじと見つめてくる。


「君は、強いの?」


 また、ささやき声。

 彼女の透き通った声が耳をくすぐる。


「強い……よ? ああ、いや、うん……知り合い三人のチームだけど……ステーションを一つ、持ってる」


 彼女の声に誘われて、中途半端に見栄を張る。間の抜けたことを言ってしまったと、すこし後悔。


「そっか……三人のチームだったか」


 がっかりしたような、拗ねたような、でも優しい声。

 彼女を落胆させたことに、なぜだか罪悪感を抱いてしまって、それが妙な悔しさになって胸を焦がした。


「君は? 強い?」


 聞き返すと、彼女は微笑んで「強いよ」と、はっきり答えた。


「……それじゃあ今度、対戦する?」

「いいよ。対戦、しよっか」


 透明な声が、ふたつ返事で、魅惑的な言葉をささやいた。

 思わず言葉を失って、彼女と見つめ合う。


「あ……」


 ようやく言いかけた言葉は、バスの停車の音にかき消された。


「バス、来ちゃったね」


 彼女は残念そうに言って、サヨナラの代わりに、バス停のひさしの陰に立ったまま、ヒラヒラと手を振った。

 それ以上は諦め、立ち上がって、会釈する。


「それじゃ」

「ねえ……私、伊澄イスミ――伊澄世良イスミ・セラっていうの」


 乗車券を切ったところで、突然、名を告げられた。

 扉の締まる音。


 あわてて「志渡、志渡直親シド・ナオチカ」と、かろうじて自分の名を伝える。


 閉じる扉の向こうで彼女は、菫色の瞳で「ん……」とうなずいて、微笑んでいた。

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