原野奇譚

いも林檎

 「二度と行ってはなりません」

 あんな、恐ろしい森になど。

 

 幼い記憶が、月夜になると蘇る。それは、深い草の海を越えた場所にある森だ。

 その森は、鬱蒼として暗く、果てしなく広かった。そこは、娘や子供が迷い込めば二度と戻ることがない場所である。

 アカは神隠し遭ったが、その三日後、きょとんとした顔で屋敷の前に突っ立っていた。服装に乱れはなく、どこも怪我はなかった。

 唯一変わったことといったら、アカの首に、緑の玉を通した紐がかかっていたことくらいだ。


 「森の石だ。間違いない」

 まじない師はそう言った。その石のお陰で無事に家に戻ってこれたのだと。


 以来、アカは緑の玉を肌身離さず身に着けた。

 

 時々アカは、無償に森に行きたくなった。特に月夜には、森から誰かが呼ぶような気がした。

 ふらふらと屋敷から出て、身の丈以上に高い草が風になびくのを眺めた。この草原の向こうに森があり、その深い場所で、自分を待つ誰かがいるように思えた。


 「二度と行ってはなりません」

 森は人の敵。今度行ったら命はありませんよ。

 

 アカの様子を案じた母は、月夜には、屋敷の守りを厳重にさせた。

 そして、妹のアオをアカの側に侍らせ、姉が外に行かないよう見張らせた。


**


 その約束は、ずいぶん前から交わされていた。それは親同士の契約ごとであり、アカは相手の顔すら見たことがないまま十三の秋を迎えようとしていた。


 国造りの三番目の息子は、でばった腹を持っており、顎髭を生やしているという。

 「立派なご様子」と、母は彼の事を言った。立派故に、もう九人もの妻を持ち、二十人以上の子をこしらえている。アカは十人目の妻として迎えられようとしていた。


 婚礼の支度は春の頃から始まっていた。秋も深まる今、アカの周囲は華やかな衣装や装身具であふれかえっていた。

 父母も乳母たちも、大げさな程アカを大事にした。


 婚礼の前に、アカから婿へ、餅を贈った。

 餅は女たちに混じり、アカ自ら丸めて並べたものだった。

 

 その餅に、毒が入っていた。

 婿は腹を壊して床に伏せ、アカは極悪人として捉えられることとなった。

 

 「今捕まれば生きてはおれまい」

 知らせを受けた母は、青ざめてアカの手を取った。母の目は強く輝いており、涙を浮かべてはいたが、きっぱりとしていた。

 「丁度今は萩がたわわと茂っている。馬も隠れるほどの草原だ。お前はそこに、ほとぼりがさめるまで潜んでいなさい」


 「わたしがお供をしましょう」

 アオが申し出た。

 支度をする間もなかった。ほとんど着のみ着のまま、姉妹は原野に逃げた。それから間もなく、荒々しい男たちの声や、馬のいななきが二人を追ってきた。

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