それでも僕は、英雄になりたい。

「さあ、特訓を始めるよ」


 なぜこうなったのか?

 それは昨日のこと。

 僕がルーナさんに船で拐われた桂華のことを話した。


「僕は拐われた桂華を救いたいんだ」


「多分その船は最近出没している王国船ね。王国が若い市民を拐い、その者を奴隷として扱っている」


 ファンタジーの世界ではよくあることだけど、まさかそれが本当に行われているなんて、少し気分が悪い。


「なら今すぐ王国にいかないと」


「待って。この都市は壁で覆われている。この場所はモンスターや悪党が大勢いるからね」


「それじゃあ、桂華を救う方法が……」


「あるんだよ。それは四日後の一月一日に行われる闘技場での戦い。もしその戦いでとある猛獣に勝利すれば、この壁に囲まれた都市から抜け出すことができる」


「とある猛獣って?」


「それは自分の目で確かめてこい。今の君じゃ敵わないが、特訓すれば勝てない相手でもないぞ」


 そういうわけで、僕は特訓をしている。

 木刀を握り、その剣を何度も振る。


「もっと力を込めて。それじゃあ何者にも打ち勝つことはできないよ」


 桂華を救えないのは嫌なんだ。

 苦しい時、いつでも側にいてくれたのは桂華だから、だから僕は桂華に恩返しがしたい。なのに、桂華を奴隷なんかにさせるわけにはいかない。


 僕は必死に剣を振るい、決闘が行われるその日まで、死ぬ気で頑張った。


「なあ。お前の名は、何だ?」


「赤羽福寿ふくじゅ。僕はこの名に誇りをもっています」


「そうか。なら救ってみせろ。その名に恥じることがないよう、ただ全身全霊を尽くせ。戦って勝った者にのみ、女神は微笑む」


 女神は微笑む、か。

 僕は一度女神に会っている。僕は女神に転生させられ、この世界に来ている。


 正直、後悔している。この世界に来たことを。

 この世界に来なければ、桂華を失うこともなかったし、僕がこんなに努力をすることもなかった。だけど、この世界に来なければ、僕は怠け者のまま、何も努力せずに生きるところだった。


「ルーナさん。僕は、この勝負で生き抜いて、必ず桂華を救ってみせるよ」


「頑張れよ。福寿」


「ああ」


 そして、その日はやってきた。

 たった四日の短い特訓。その四日で剣の扱いに慣れただけ。正直言って、戦うのはまだ怖い。それでも、やらなければただ負けるだけ。そんなのは嫌だ、だから僕は戦うんだ。


「行ってこい」


「はい」


 僕はルーナさんから貰った剣を握りしめ、闘技場の中へと入った。

 闘技場には僕以外にも参加者はいて、その多くがリザードマンであった。


 僕は控え室のような場所に入り、その部屋に置かれている椅子に座り、天井につけられているモニターを見ていた。

 モニターにはリザードマンとミノタウロスが戦っている。


 そこで僕は悟った。


「なるほど。この戦いではミノタウロスと挑戦者が戦うのか。少し怖いな……」


 ミノタウロスの恐ろしさを知っているからこそ、僕はミノタウロスが相手だと知り、恐怖する。

 だが、既に退路は塞がれている。


「では、次は福寿さん」


 僕は名を呼ばれ、戦場へと足を運ぶ。

 足を進めるのが怖い。今からミノタウロス化け物と戦うのが怖い。

 考えれば考えるほど、僕の体は震えてしまう。


「福寿。震えているぞ」


 戦場へと続く小さな一本道で僕に声をかけたのは、ルーナさんだった。


「ルーナさん。客席で見ていてくださいよ。僕の頑張りを」


「福寿。強がるな。お前はまだ弱い。わざわざ死にに行く必要はないんだぞ」


「生きる意味がないんですよ。だからこの決闘、死ぬ気で死にます」


 虚無と言う感情の中で、僕は孤独を語る。

 そんな僕に、彼女は言葉を掛ける。


「知っているか?世界には苦労している人が多くいると」


「それは他人のことでしょ。自分のことでもないのに、どうして他者を気にする必要があるのですか?」


 他者は他者。

 自分は自分。

 そんなこと、この長い人生の中で何度も思い知らされた。この先、この結論が思い知らされるのだとすぐに理解できる。

 あの時こうしていれば良かったなんて、それはただの後日談に過ぎない。


 どうして僕は、後悔ばかり背負って生きていくのだろう。


「相変わらず、君は悲観的だな」


「人それぞれに感情や経験がありますからね」


「そうだな」


「そうですよ」


「だがな、世界なんてそんなものだ。そう言い聞かせてみれば世界なんてどうでもいいものなんだって思えるんじゃないか?」


「そうですね……」


 どうなのだろうか?

 世界なんてどうでもいい。

 だがそれは自分を偽るための薄っぺらい言葉というただのまやかし。どうせなら、救いの手でも差しのべられたら、なんて少し傲慢すぎたな。


「君には応援してくれる者がいないのか?」


「いますよ。僕には僕を今まで大切にしてくれた彼女がいます。まあ、まだ感謝の気持ちは伝えられてないんですけど……」


「そうか。なら君には生きる意味があるじゃないか」


「生きる、意味?」


「世界という大きな不幸が君を襲っている。だからこそ君は傷つき、だからこそ君は死のうとしている。だが違うだろ。君にはたった一人でも君を待っている人がいる。君を愛している者がいる。人生というのは、そういう人が一人いるだけで幸せなんじゃないか?」


「訂正します。たった一人じゃなくて、かけがえのない一人ですよ」


「福寿、良い目になったじゃないか」


「もう、世界がどうでもいいとは思えませんね」


 僕は剣を強く握り直した。

 生きる意味を見つけた僕は、もう負けない。


「勝ってきますよ。この決闘」


「存分に暴れてこい」


「ああ。あと……」


「何だ?まだ何かあるのか?」


「ありがとうございます」


「本当にお前は……良い弟子だ」


 どれだけ生きていても、生きようと思えなかった。

 どれだけ抗っても生きたいと思えなかった。

 それでも、たった一人、いいや、二人でも応援してくれた者がいる。かけがえのない二人は、僕の側にいてくれて僕を励ましてくれる。その期待に僕は応えたい。


「この戦い。生き残らないとしばかれちゃうな」


 そう言えばお爺ちゃんが言っていた。

 ーー醜く抗っても良い。獣のように泣きわめいても良い。だが一番良いのは、カッコ良く敵を圧倒すること


「勝って、僕は必ずお前に会いに行く。だから待っていてくれ」


 僕は堂々と戦場へと足を運んだ。

 この戦いにどんな結末が待っていようとも、僕は桂華のためならどれだけだって頑張れる。


 円形のリング。周囲は観客席という大きな壁に阻まれて逃げ場はない。

 緊張感が漂う中、空から降ってきた一人のミノタウロス。そのミノタウロスを、僕は知っている。


 隻眼隻腕のミノタウロス。

 その個体は、僕を一撃で吹き飛ばしたミノタウロスに間違いない。


「まじかよ……」


「さあ。戦いを始めよ」


 戦いが始まった。

 熱い声援、多くの人の群れ、伝わる熱気。

 僕は多くの者の多くの感情を浴びた。それでも僕は堂々と、そしてカッコ良く歩く。


 この円形のリング。

 逃げ場である入り口は塞がれ、僕はこの円形のリングに狂暴な猛獣と二人きりとなった。


「ヴぉおおおおおおおおおおお」


 ミノタウロスの雄叫び。

 僕は一歩足を後退させたが、体勢を全体的に前に倒し、剣をミノタウロスに向けた。


「勝つ。ここで、勝つ」


 僕は剣でミノタウロスを威嚇しながら近づき、ミノタウロスに剣が届く範囲まで近づいた瞬間、剣でミノタウロスの腹を何度も切り裂いた。

 血が周囲にこぼれ、ミノタウロスは膝をつく。


 とどめを刺そうと剣を上に振りかぶらせた瞬間、ミノタウロスの巨腕が僕の体へ直撃し、僕を観客席の壁まで激突させた。

 剣を遠くへ落とし、僕は頭から血を流して倒れ込む。


「福寿」


 観客席から僕の名前を叫ぶ声が聞こえる。

 どうやらルーナさんが僕の醜い姿を見ているようだ。


 こんな時、毎回僕はお爺ちゃんの言葉を思い出す。

 ーー結局、勝った奴が一番スゲーって言われる。だから醜くても戦え。腹に剣が刺さっても、足がなくなってもいい。それでも戦え。それでこそ、英雄と呼ばれるにふさわしい。


 どうしてかな。

 先輩の言葉は、心に深く突き刺さる。


 僕はゆっくりと立ち上がる。

 ミノタウロスは立ち上がる僕を見た後、叫びながら僕へと突進をしてくる。


「ヴぉおおおおおおおおおおおおお」


「うおおおおおおおおおおおおおお」


 僕は拳を振るってくるミノタウロスの動きをよみ、避けてミノタウロスの顔面へ拳を直撃させる。

 だがリザードマンの拳ではーー


 僕が胸の奥底から湧き上がってくる感覚に体を支配されていた。これは、まるで体全身に炭酸を入れられたような感覚。

 力が全身にみなぎってくる。


「うおおおおおおおおおお」


 僕はミノタウロスの腹へ拳を入れる。拳がミノタウロスを吹き飛ばし、遥か先の壁へと激突させる。


「おいおい、見たか。あのパワー、ほぼミノタウロス並みだぞ」


「スピードタイプのリザードマンが、パワー系のミノタウロスに勝てるはずないのに。どうしてあのミノタウロスに!?」


 観客は騒ぎだした。

 それも当然。ミノタウロスとリザードマンは上位互換の存在。その関係で下位にいるリザードマンには、ミノタウロスを倒すことは不可能である。


「そういえば、今日は一月一日だったな。誕生日か……」


 僕は二十歳と嘘をついた。そして、今日は誕生日。二十一歳となった僕は、ミノタウロスになった。


「今の僕なら、どんな敵が来ようとも、怖くないよ」


「ヴぉおおおおおおおおおお」


「ヴぉおおおおおおおおおお」


 負けられるわけがない。この戦いに、敗北するわけにはいかない。


 ミノタウロスの大きく振り絞った片腕を避け、僕はミノタウロスの腹部に体勢を低くしながら潜入し、頭上にあるミノタウロスの顎に全身全霊を込めた拳を直撃させる。


「負けられないんだよ……。僕は、負けられない」


 地に転がるミノタウロス。それを見下す形で、僕は戦場で立っている。


 やったよ。ルーナさん。僕は、ミノタウロスに勝ったよ。


 僕がミノタウロスに勝利したことにより、僕の目の前にあった扉が開いた。僕は開いた扉を通り、この闘技場を抜ける。

 ここを抜け、そして桂華に会いに行く。


「桂華。すぐに、すぐに助けに行く」

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