キーマン

涼風すずらん

第1話

 平日昼のスーパーといえど、多勢の買い物客で埋め尽くされている様は休日と然程変わらない。客の大半は夕食のおかずを買いに来ている主婦で、すでに本日の献立が頭の中に入っているのだろう、商品を取る手付きに迷いは感じられない。


 荻田宗一郎おぎたそういちろうは、そんな主婦たちと目的を同じとしているはずなのに、気になる商品を手に取っては棚に戻す行為を繰り返していた。


「魚が食べたいけど値段を考えたら肉の方が良い……だが一品だけだと栄養が偏る。好きなもんばっか買ったらおふくろにどやされるよなぁ……」


 ぶつぶつと呟きながら食材を買い物かごに入れるのは不審者そのものだが、宗一郎は周りの視線などどこ吹く風といった様子で商品棚を物色している。


 今日は父親の葬儀の関係で母が外出しているから、夕食は自分で作らなければならない。一人暮らしをしている時は誰も見ていないからと、好きな食べ物を優先して食べていたが、一時的にとはいえ実家に帰っている今は母の目がある。偏った食事をしているとバレたら「あんたまで私を置いてくの!」と、烈火の如く怒りだすに違いない。一日二日ぐらい栄養を無視した食事をしても死にはしないが、些細なことがきっかけで爆発してしまうかもしれない。


 母は孤独を恐れてヒステリックになっている。しばらくすれば現実を受け入れて落ち着くと思うが、今はヒステリー状態の母を放っていると何をしでかすかわからない。

 昔は父が体を張って受け止めてくれていたが、先日父が他界したから一人息子である宗一郎が支えなければならない。母に無用な心配を抱かせてはいけない――実家に帰省してすぐに母の状態を察した宗一郎は、少しでも心に負担をかけさせてはいけないと悟ったのだ。



 徐々に活気づいていくスーパー。ここは宗一郎が東京郊外のアパートで一人暮らしをはじめた後に開店したスーパーだ。母は家から近いし、何よりも品揃えが豊富だと喜んでいたが、普段はコンビニばかりでスーパーはあまり行かないから、商品の違いはさっぱりわからない。豊富な品揃えがウリだとは言っていたが区別はついていない。安いか高いか、宗一郎にとって重要なのは値段だけだ。


 そんなことより、住宅街に近いせいで主婦たちの憩いの場となっているのがいただけない。入店してからずっと訝るような視線がチクチクと刺さっている。すれ違う人も「なぜ昼間から男の人が?」と詰め寄りたいのだろう、怪訝そうな顔でこちらを注視してくる。べつに男がお昼に買い物しても良いじゃないかと言ってやりたい。


 思い返せばスーパーに入店する前から好奇な視線に晒されていた。そういう雰囲気が男性を敬遠させるのだろう。現在の時刻は十二時半。この時間帯なら昼食を買いに来たサラリーマンがいてもおかしくないはずだ。なのに一人も男性を見かけないのは奇妙というほかない。相当近寄りがたいのだろう。

 そういえばレジを担当している従業員も女性しかいない。男性従業員がまったくいないというのは考えられないから、裏方で作業をしているのかもしれない。


 ヒソヒソヒソ。


 ささやかな声。

 会話の内容こそ聞こえないが、宗一郎に見えるように二人の主婦が寄り添っている。きっと陰口を叩いているに違いないが、どうして隠れもせず堂々とこちらを見ながら話し合っているのか。言いたいことがあればハッキリ言えばいいのに。


 しかし入店して三十分、こうも視線に晒されていると居心地が悪く感じるものだ。さっさとこの店から出よう。そして二度と入るものか。


 宗一郎は手に持っていた鶏むね肉をかごに入れ、次いで野菜コーナーで四分の一にカットされたキャベツ、そして母に頼まれていた食材を手早く買い物かごに詰め込んでセルフレジへと向かった。

 機械の指示に従って会計を済ませて小銭を受け取り、乱暴に尻ポケットに突っ込んでまるで逃げるように出口へ歩く。これは陰口を叩かれたから逃げるんじゃない。用事が済んだから帰るだけなんだと、誰に聞かせるわけでもない言い訳を脳内でひたすら捲し立てる。


「悪いことしてないんだから堂々としてればいいんだよ」


 ふと、昔の同僚の言葉が蘇る。

 新卒で入社した会社で、右も左も分からずおどおどしていた宗一郎にかけてくれた言葉だ。それから宗一郎とその同僚はライバルのように切磋琢磨してきたが、あいつは今、元気にしているだろうか。



「鍵、落としましたよ」

「え?」


 不意にすぐ後ろから聞き覚えのある――さっきまで思い描いていた人物の声が聞こえてきた。まさか自分の思い出が現実になったのかと信じられないような気持ちになる。


「二年ぶりでしょうか? お久しぶりです。荻田さん」


 バッと勢いよく振り向くと、かつてライバルのような関係だった同僚――松末広宣ますえひろのぶが微笑みながら宗一郎が借りているアパートの鍵を差し出していた。


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