第1章 九重蓮ーコルチカムー

2話 ヤンデレ妹の愛を甘くみてはいけなかった

 徐々に意識が戻ってくるのを感じ、僕はそっと瞼を開ける。視界に映ったのは、薄暗い天井だった。


 どこだ、ここは? 見覚えのない天井に困惑しつつ、僕は腰に痛みを感じた。どうやら床に背をつけ眠っていたようだ。


 ぼんやりとした頭に、徐々に数分前の出来事が蘇ってくる。


 僕は死んで、その後天使さんから異世界転生の話を聞き、いざ異世界へと旅立つはずだった。だけど、その直前に魔法陣が変容し、突如現れた触手に飲み込まれてしまったんだ。


 もしかして、異世界転生に失敗して、地獄に来てしまった? あのおどろおどろしい魔法陣を見てしまったから、尚更そう思えてならないんだけど。


「目を覚ましたようね、お兄様」


 突如かけられたその声に、思わず心臓が跳ねた。この声⁉ 何でここに⁉


 声の正体に気づいた瞬間、反射的に体が強張った。そして、床に倒れている僕の視界に、その姿が映った。


「気分はどうかしら?」


 元から低い背を屈めて、妹の寧が覗き込んできた。黒髪ロングに、長いまつ毛に琥珀色の瞳を持つ寧の姿は、お人形のような容姿だった。


 僕はそんな寧を見た瞬間、思わず声を出していた。


「な、何で寧がこっ…………⁉」


 何で寧がここにいるの、と言おうとしたが、言えずに思わず手で口を押さえてしまった。なぜなら、僕の出した声が自分のものとは思えないほど高音だったからだ。


 何だ? 今の、僕の声⁉


 明らかに元の声とはかけ離れている。いうなれば、女の子のような声だった。


 だけど、もう一つ異変に気づいてしまった。それは今口を押さえている手だ。男のごつごつとしたような手ではなく、小さくサラッと、すべすべしている手だった。


「ふふっ。今の状況に戸惑っているのね、お兄様。そんなお兄様も可愛いわ」


 寧は戸惑う僕を見て、頬を赤くしている。


「ね、寧……⁉ こ、これはどういう、こと⁉」


 ダメだ、この声を自分が出していると思うと、凄く恥ずかしくなってくる!


「ちゃんと説明するわ。その前に、起き上がれるかしら?」


 寧のひんやりとした手に腰を支えられつつ、僕は体を起こした。……何で今ひんやりしたんだ?


 その原因はすぐに気づいた。


「はい、お兄様。これが今のお兄様の姿よ」


 寧は手鏡を取り出し、僕の前に掲げた。そうして手鏡に映った姿を見て、僕は言葉を失った。


 手鏡には知らない女の子が映っていた。金色の長い髪に、くりっとした目元に青い瞳、長いまつ毛。……完全に女の子だ。


 咄嗟に、僕は自分の両手を確かめるために手元を見た。


「…………はい?」


 間の抜けた声も、女の子のもの。だけど、今度はその声を気にする余裕はなかった。


 視線の先、僕の胸に二つの膨らみがあった。それはまさしく、女の子だけが持つあれだろう。それに気づくと同時に、自分が今一糸まとわぬ姿であると気づいた。


 腰まである金髪に、胸の二つの膨らみ。それに股の間には、本来男にあるはずのものがない。


「何だこれぇぇぇぇーーーー⁉」


 ついに脳がパンクし、僕は叫んでいた。女の子の声で。




 数分後、僕は何とか落ち着きを取り戻した。


 ちなみに、寧に服を用意してもらったため、今は裸ではない。さすがにあのままでいるのは色々と目に毒だ。


「それで……これは一体どういうことなの?」


 この声には慣れないけど、話さないわけにもいかないから我慢するしかない。


「ふふっ、どういうこともなにも、お兄様は生き返ったのよ」


 …………寧は何を言っているんだ?


 生き返ったって、確かに僕は死んだらしいけど、その後異世界へ行くはずだったんだぞ? それがそうならず、現実世界に生き返っただって?


「待って! 意味がわからない……確かに僕は死んだっぽいけど、そこから生き返るなんてありえないよ!」


 死者が生き返るなんて聞いたことない。それに、天使さんの話によると僕は電車に身投げをしてしまったんだから、体ごとめちゃくちゃになっているはずだ。その状態から生き返るなんて尚更ありえない。


「いえ、お兄様はたしかに生き返ったわよ。寧が蘇生の儀でお兄様の肉体を再構築し、魂を呼び戻したんだもの」


 ……寧が何を言っているのか、僕には理解できないんだけど。


「ツッコむところが多すぎるんだけど……。その蘇生の儀って何?」


「その名の通り、死者を生き返らせる儀式よ。またの名をゾンビ転生とも言うわ」


「いや! サラッと言ってるけど、何その危なくて怪しい儀式⁉」


 ゾンビ転生? つまり死者蘇生だろうけど、そんなものがこの現実世界にあるの? というか、え? じゃあ僕は今人間じゃなくてゾンビなの? 


「別に怪しくはないわよ。寧の知人に蘇生関連に詳しい人がいるの。その人より以前から教えてもらっていたのよ」


 蘇生関連に詳しい人って、それ完全にオカルトじゃないか⁉ え? 僕そんなオカルトな儀式を受けたの?


「というか、まさか寧、その儀式を行なったってことは、これまでその儀式の練習をしていたの?」


「ええ、そうよ。お兄様がもしも死んでしまった時のためにずっと練習を積み重ねてきたの。実際に人相手に行なったのはお兄様が初めてだったから、上手く行くか心配だったけれど、こうして成功してお兄様を取り戻せたんだから、教えてもらっておいて良かったわ」


 寧のその考えに、僕は思わず頭を抱えた。


 兄を心配するあまり、死んだ後のことまで考えてオカルトじみた儀式を用意していた妹なんて普通いないだろう。だけど、寧ならやりかねなかった。


「……仮に生き返ったと信じるよ。でも、何で僕の姿はこうなったの?」


 正直、自分が死んだと告げられた時より衝撃を受けた。その原因の多くを占めるのは、僕のこの姿だ。ゾンビとして生き返るなら創作とかでもよくある。だけど、生き返って何がどうやって女の子になる?


「……お兄様の蘇生には、少なくとも肉体の約8割は必要だったの。だけど、お兄様の体のほとんどは電車との衝突によってバラバラになってしまったわ。そうして集められた肉体は、4割ほどしかなかった」


 ……え? もしかして、寧はグロテスクであろうバラバラになった僕の肉体を集めたの?


「それでも、蘇生のための他の物質で、お兄様の肉体の足りない部分を補完したわ。……さすがに元の肉体が半分ほどしか満たなかったから、寧の愛した元のお兄様の姿を再構築することはできなかったわ……!」


 寧は悔しそうに顔を俯けているけど、何でそんな危うい状態で、危険な儀式をやろうと思ったの⁉ 僕からしたら普通に怖いよ!


 だけど寧はそう思っていないらしく、悔しそうな顔から一転して嬉しそうな顔をした。


「お兄様が女の子になってしまったのは予想外だったけれど、安心して、お兄様。女の子になっても、寧は変わらずお兄様を愛しているわ!」


 寧は頬を赤らめて体をくねらせている。


 もうやだ、このヤンデレ妹! まさか死んだ後にもこうして現実世界に引き戻されるなんて!


 こうして、僕の異世界転生は寧の手によって失敗に終わり、現実世界に引き戻されたのだった。

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