あなたにも起こるかも知れない・・・・短編集

阿之根 満

竹沢城

 蝉の鳴き声がけたたましい。汗が引かないままに同じ道を下ってきて、中腹に大きな欅の木陰を見つけた。駆け込むようにその陰に飛び込んだのは良かったが、これほどの蝉の声を浴びようとは思いの他であった。しかし、今は容易にそこを離れ難いもう一つの魅力を受けてしまっている。南に面したこの斜面は裾野に広がる田圃が遠く濃尾平野へと見渡せる。その平野を吹き抜け、稲波を作りながら竹沢城の斜面を駆けのぼってくる南風なのである。その風を全身に受けるというのは何と心地良いことか。先ほどまでシャツにへばりついた嫌な感触が見る見る内に消えて行く。それにしても賑やかな木陰である。まあ鳴き声の主の彼らにとって、この短い夏を懸命に生き抜こうと頑張っているのだと思えばこの位の姦しさは大目に見てやらなければなるまい。庄吉は我慢なるまいと思ってきた騒音が何やら愛しい懸命の叫びに思えて一人でに笑えて来た。

 庄吉は帰省中の大学生である。初めての夏休みを今は兄と兄嫁の仕切る実家に帰ってきたのである。両親は健在だし先祖代々の農地を主になって守ってはきているが、それで経済的にやっていけているとは思えない。長男の庄一が勤める郵便局長の収入が二人の子供や庄吉自身を含めた一家を支えている。三男坊の庄吉の上には台湾に海外赴任中の次男、庄太がいるが既に一家を構えて独立している。去年二月の旧正に家族を引き連れて帰省したそうだが庄吉とはもう二年以上会ってはいない。

 農業一筋の父庄蔵はそれでも町会議員を三期も勤め、一応、地元では田舎の名士と呼ばれる顔役である。顔役と言えばかなりの権力者のイメージが強いが今の彼は余りにも違い過ぎる。一言でいえば温厚な好々爺そのものなのである。その小柄で穏やかな丸顔を慕ってか議員を止めて三年も経つのに未だに訪ねて来ては話し込んでゆく人が絶えない。母に言わせると、どこどこの竹やぶの根がそろそろ町道に顔を出すから気を付けろなどと、村の隅ずみまで頭に入っていて、まるで村の生き字引のような人だと言われているそうだ。しかし、若い時分からそんな一目も置かれる切れ者ではなかったのではないか。と兄の庄一がある時、そんな我が家の村中での位置付けを話してくれたのを思い出す。

 竹沢村の竹沢家、地名を苗字にして何百年、この地に根を張って生きてきた。村の中央の百メーターそこそこの小高い丘に竹沢城がある。何もかもが竹沢一色の村なのである。竹沢庄蔵はそんな村の八割を超える竹沢姓の宗家に当たる本家に生まれた。明治十年八月のことだ。伝わる系図に寄れば元亀三年、武田の三河攻略軍に攻められて落城した。その時、城を守っていた城士たちが帰農したのが始まりと書かれている。その後の徳川の世になっても用いられることはなく、郷士となって武人を保ったが分家を輩出し続けて、いつの時代かには庄屋の勤めを果たすようになったとある。系図の片隅にその頃、村で流行った流行歌を書き込まれてある。

 “庄屋の庄兵衛小人で少々物を尋ねても少々待てよと言う後に正直言って分からんと正面切って言うばかり”何とも娯楽のないこの時代、こんな愚にもつかない歌が流行るものだと感心する。それにしても庄屋と言えば村の顔役である。そんな庄兵衛と庄蔵が何と似通った人柄を感じさせることか。これは我が竹沢家の遺伝子のなせる所かと唖然とする。兄はそう言って話を締めくくった。話を終えた兄に対しついに口元まで出かかった言葉を飲み込んでしまったのだが、兄の一番目の長男、庄喜君は祖父である庄蔵に生き写しのごとくよく似ている。まだ、小学校の三年生だが、背丈も前から何番目かに並んでいて高くはない。もし、これが隔世遺伝という事なら、竹沢家の遺伝子は相当にしぶとい。しかし、その前に自分たち兄弟はどうなのかと、改めて各々の顔を思い出してみる。はっきり言えることは長男は母親似である。次男の兄はどちらかと言えば父親似か。それなら、自分は・・・・。

 庄吉は鏡で見る自分の顔よりも何枚かの写真の自分を思い出してみる。う~む、やはり親父似か。それに次男の兄はそこそこに背丈があるが自分はどちらかと言えば小柄と言える部類に属する。これは困ったことになった。いつの間にか親父に似ることが困ったことなのだと思い込んだことに気が付いて、慌てて妄想を打ち消すことになった。それにしても、遺伝子と言うやつは隠れてしまって消え果てたかと思いきや、突然に表れて何代か前の、または何十代も昔の人間をコピーして見せるのだろうか。それならば、顔形だけではあるまい。考え方や性格までもそのままに伝えてくるのではないだろうか、そう思と何だか空恐ろしさすら感じる。因縁と言えば他にもある。一家の男の名前に庄と言う字が必ず使われる事実である。庄吉がそのことに気付いたのは小学校の三年生にもなった頃だったろう。クラスにいる同性の竹沢という同級生に庄の字を付けた者が多かったからだ。今でも幾人かの名前を思い出す。庄三、庄吾、庄多、庄治、我が家の男たちの名前とは皆、微妙に違う漢字を当ててだぶらないように苦労の後も見える。一族が申し合わせたように既存を避けて名前を付けてきたかが分かる。そう言えば兄が見せてくれた我が家の系図の名前も江戸時代の半ば位から父と同じ庄蔵を代々名乗っている。その前には庄助であったり、竹沢城を守っていたころまで遡ると庄衛門、庄左エ門が現れてくる。よくもまあ、これほどまでにこだわってきたものだと思う。それならことのついでに女子にも同じく庄子などと拘ってくれば良いものを、それが全く女子の名前には頓着してこなかったのである。長男庄一の上に長女がいてトメと言った。勿論、とっくに嫁に行って今はもう高校生、中学生の親である。それも遠くもない竹沢村の遠い縁続き゚の同じ竹沢姓に嫁いでいるのであるから驚きだ。その家は丁度、竹沢城の東、竹沢川が大きく迂回する内側の東竹沢村と呼ばれる村落にある。今も庄吉の母であるヨネは何かあるとそのトメ可愛さに足しげく通っている。そのヨネはもっと特殊だ。昔で言う三河の岡崎から遠く嫁いできたからだ。その経緯にについては聞いたことが無いが、どういう伝手があったのか何かの折に確かめておきたい一つではある。

 竹沢城の丘陵は村のほぼ中央に位置していて、南に向かって庄吉が登った大手道が作られている。今は郭のすべては形をとどめないが、その大手道は大きく西に向かって折れて三の丸に向かい、三の丸から再び山頂に向かって登ると次は東に折れて二の丸に達する。二の丸から西に上ると本丸の広場に出る。このように俯瞰すると、さも広大な敷地を有する山城を想像するが、たかが百メートルほどの小山に位置する竹沢城である。石垣もあちらこちらに残存するが、その昔は小さいながらも竹沢川を外堀とし、三の丸まで備えた強固な山城であったことを伺わせる。昭和の四十年ごろまで真っ直ぐに伸びる大手道は田圃の中の畔道程度の道幅しかなかったが、竹沢川に掛けられた大手橋の架け替えに伴い道幅が広げられた。それに尽力したのは当然、当時も町会議員の庄蔵であった。その後押しをしたのは全国的なお城ブームであったのは紛れもない。当然のことに町民の関心が竹沢城に向くのを幸いに、城地を整備して町民の憩いの場にしようという話が議題に上った。その時、問題になったのは三の丸にある竹沢家の墓地の扱いであった。墓地は一家または一族の所有物である。これを含めた整備は当然あり得ないとする反対議員らの主張であった。しかし、庄蔵は譲らなかった。あの墓地は伝わる文献によって竹沢城の歴代城主が葬られているのは明らかだし、これは竹沢城の文化的歴史的な遺産であり、共に整備の対象とすべきものだ。というのがその主張であった。しかし、矛盾もあった。明治以降の竹沢家と主な株内の歴代当主の墓も合わせて並んでいるからである。竹沢を名乗る議員も数人いることから議論百出した結果、城主時代の墓石以外を他へ移して整備することに話がまとまった。当然、庄蔵は面白くはなかっただろうが、これも時代の流れだと、家族に述懐したらしい。結局、竹沢家とその株内の墓地を村の共同墓地に移すことで一件落着となった。

 大手道の拡張は橋の架け替えと並行して行われた。当然、道の両側の田をそれこそ二束三文の安値で買収し二メートルほど広げられた。それが、不思議な事にタダ同然の安値でも持ち主からはさしたる抵抗もなくスムースな買収が行われたという。ただ、田の持ち主の八割が竹沢姓であったことが結果に繋がったのは紛れもない。それを今もなお一族の結束は強固なりと庄蔵の胸の内を代弁する者がいたそうだ。

 整備事業は竹沢橋からの山手、城内ともいえる大手道の山道から始められた。幾星霜の歳月が石組みの大手道を土道に替えてしまっている。木の葉や小枝、両側の山土が流れ込んで積み重なった結果である。これをもとの石組みに戻すのに取入れの済んだ秋の終わり口から冬場にかけての農閑期を三年掛けた。勿論、業者に委託すれば数か月の短期に可能であっただろうが、竹沢村の財政はそんなに豊かではない。力仕事を生業にしてきた農村の人々である。ほんのパート代程度の賃金でも人手には事欠かない。しかも、この仕事が郷土の文化遺産を守ることに繋がると言えば、すわ敵襲だと、嘗ての城士魂ではないが、老も若きも馳せ参じてきた。そして、後の二年を本丸を中心に、二の丸、三の丸、城主墓地の整備に費やして完成したのだった。その後も収まりはつかない。折角の整備をこのままにしては又、いつの日にか朽ち果ててしまう。年に数日、城地維持の日が設けられていて、その後の維持作業が続けられている。

 この一代整備事業が完成したころから、村に今までにない変化が起こり始めていた。それはこの村の玄関口ともいえるバス停から始まった。一日に上り三便、下り三便の日常便は日曜日にはそれぞれ一便増えて四便になる。この日曜日のバス停で村人が呼び止めれて道を聞かれることが増えたのである。相手は若い男女がほとんどだが、中には中年や白髪頭の老齢の人も混じるという。

誰かの家を訪ねて聞くのかと思いきや、すべてが竹沢城へはどう行けばよいのでしょうかという。バス停に近い南村の竹沢庄貴が田植え機を運んでいてそう呼びかけられた。忙しい最中だったが、今日こそは確かめてやろうと田植え機を止めてその若い男に向き合った。

 「あんた、何処からおいでになったのかいね」

 「えっ、あの~、東京ですけれど・・・・・・何か」

 「こんな田舎の山城の跡を見にわざわざ東京から起こしになったの」

 「ええ、趣味にしているもので」

 「へ~わざわざね、そういう人って沢山居るの」

 「ええ、同好会もありますし、ホームページやSNSで仲間と情報交換し合って楽しんでいる人って結構大勢いますよ。私もその一人ですけどね。それはそうと、地元に伝わっている耳寄りな伝承ってないですかね。そういうの探してるんですよ。竹沢城ってまだ知られていなくって、仲間内でも興味持ってる人って多いんですよ」

 「知らないね、城跡にある案内板以外は・・・・・・」

 「そうですか、それじゃ、僕も登って来ますよ。ありがとうございました。あっ、そうだ、この村に郷土史家っておられないですか」

 「さあ、そんな人は知らないね」

竹沢庄貴は思った。村の城山が山城同好の仲間内では隠れた興味の対象であって、当の村人だけが埒外に置かれていたことをである。尤も、日本には有名な名城が沢山ある。実物の天守閣を備えた立派なものもあれば再建天守の城もある。山の上で霧に浮かぶ幻想的な城、石垣が十重二十重に美しさを競う山城もある。どの城もカラー写真を満載した城の特集誌である。それが、写真を変え表現を変えて多くの出版社から出版されている。それを知らぬでもなかったがこんな名も知られぬ、歴史の片隅に埋もれた小さな山城にまで、人の注目が集まりかけている。竹沢庄貴はこの話をわざわざ竹沢庄蔵に知らせにやってきたのである。聞き終えた庄蔵はニコニコ笑顔を作りながら、まだまだそんなことくらいでは人集めとは言えんでな、バスが増発されるとか観光バスが押しかけてくれば話は別じゃで、と大した興味は示さなかった。

 庄吉はそんな愛好家の一人にも出会ったことはない。夏休みに入った七月の十五日から三日に一度は城山に上っている庄吉である。今日は八月の十日、もう一月近く実家に滞在しているのにである。ただの城好きだというだけで、夏のこのクソ暑い日中にこんな小山城に登って汗をかくこともなかろうがと思ってしまう。だが、庄吉自身はこの地が先祖のゆかりの地であり、知られていなくとも郷土の誇りだと思って汗をかいている。しかし、一人くらいそんなもの好きな愛好家に出会ってもいいものだと思う。一方でそんなに暇を持て余してやることを探している若者ば多くはないだろうとも思う。自分だって結構忙しいはずだ。そう思ってちょっと現実に引き戻された。そうだ、そろそろ東京に戻らなければ・・・・・・急に現実が蘇ってしまった。いつもの焦りに似た落ち着かない自分だ。それはこの夏休みに入って、のんびりした帰郷中も胸の奥に蟠っている一つの思惑であった。難関である東京の有名私大、経済学部に現役で合格した時は家族はもとより隣近所までもの羨望を浴びたのだったが、憧れの志望校へ通い始めて一月も経たない四月の中頃には自分の進路に疑問を持ち始めたのだ。よく考えもしないで決めた学部の将来を考えると憂鬱な気分になる。しまったと後悔が先に立ってこの失敗の修復の仕方を考える余裕を失っていた。しかし、六月に入ってから友人の一人から耳寄りな話を聞いた。学部編入試験が毎年十月にあるというのだ。庄吉はこれに望みをかけることにした。勿論、帰郷の目的の一つが東京よりは幾分暑さをしのげて編入試験の勉強に打ち込めるというのもあった。入試の再来かと家人たちは奇異の目で見たが、当の庄吉自身はそんな目を構っていられなかった。庄吉は文学部への編入試験に応募する積りであり、大学事務局への手続きを済ませて帰郷していたのだ。

 ただ、兄の庄一がそんな庄吉を問い詰めた。それで、経済学部から文学部へ編入して将来は何を目指しているのだ。庄吉はその問いに明快な答えを用意してはいない。朧気で自分でもその姿を思い描くことが出来ないのだ。自然曖昧で口先だけの言い訳を言っているようにとられてしまう。学費やこの編入試験費も兄の財布から出ることになる分、頭を下げて只管お願いするほかない。大学生活ももう少し落ち着いてくればバイトで少しは兄の負担を軽くしたいとは思っているが、入学早々のことで気が引けるのは確かである。

 「あ~あ」

 庄吉は声を出して腰を下ろした。数日前に草刈りがされた後だけれど、もう新芽が噴き出して柔らかい。大手道から一段高い木陰のこの草地も朝夕の夏の陽を受けて生育が早そうだ。時々欅の幹を揺らすほどに南から吹き上がる風は心地良い。あれほどに姦しい蝉の鳴き声も耳が慣れてしまったのかそれほどでもない。兄嫁が勧めてくれるまま誰よりも先に昼の冷や麦をすすって出てきたのだから、途中の城主墓標にお参りしての本丸までの往復である。昼はとっくに過ぎてはいてもそれほどに時間は経ってはいないはずだ。陽は天頂を過ぎて西に傾きかけてはいるが欅の木陰は大きい。庄吉は背中を落として欅の大木を見上げた。梢の葉が重なり合って陽の光は漏れ出てこない。

 その時、同時に一段と強い南風が竹沢橋の砂埃を巻き上げ、幹の葉を大きく揺らして通り過ぎて行った。砂塵の影響なのか陽が西に傾いたためなのか分からない。先ほどより幾分周りが茜色に染まっている。

 「今のは珍しく強い突風だったなあ」

 庄吉は独り言を言って体を起こした。相変わらず真上から夏の陽が欅の影を作っていて、相変わらず南の風が頬に心地よい。蝉の声は幾分遠のいて欅の幹の天辺から聞こえてくるようだ。

 ふと見下ろした竹沢橋に人影が見えた。橋を渡って大手道を上ってくる。朝の城山は村の多くの人たちが運動を兼ねてか散歩に訪れる。そんな人たちとは気軽に挨拶を交わすのだが、夏の午後には滅多に人には出会わない。誰だろう。こんな時刻に、自分もそんな村人の一人なのに庄吉はそんなことを思って待った。

 その人が庄吉の居る欅の大木の直ぐ下へと差し掛かってきた。老人である。しかし、余程足腰が鍛えられているのか足取りも姿勢も決して老人のものではない。背丈はなく歩幅は小さいが、つま先が伸びた摺り足である。その服装が変わっている。短い筒袖の麻地の着物に古びたたっつけ袴の様なものを履いている。田植えの季節でもないのに、今、田から上がってきたようなそんな錯覚をしそうだ。頭には竹の皮で編んだ笠を冠り、髪は後ろで束ねて垂らし草鞋を履いている。時代錯誤のような人だ。庄吉は思った、田舎の事だ、そう言う人がいても不思議でもないとそう思い返した。庄吉の座っている欅の根方は大手道から一間半ほども高みにある。そこから見下ろす庄吉の視線に気付いたからであろうか、老人は立ち止まると左手で笠を上げた。顎髭を蓄えている。太い眉に大ぶりの鼻、熱い唇は何処かで見た事のある丸顔をなさっている。年の頃は六十をいくらか過ぎたかに見える。見上げてくる目はじっと指すような視線が鋭い。右手に手桶をぶら下げその中に一枝の卯の花が指されている。城主墓に参りに上ってきたものらしい。老人は庄吉を無視するように大手道の正面に向き直ると、道を上り始めた。老人の行動に釣られるように庄吉はその姿を追った。大手道を十数メートルほど登って老人はこの欅の根方と同じ高さに達するとひょいと身軽な身のこなしで飛び移った。そして、こちらへやって来る。庄吉は緊張した。

 老人は笠を脱いで満面の笑みで近づいてきた。先ほどの鋭い視線や身のこなしは感じられない。温厚で人の好さそうなお爺さんである。

 「此処は風のよく通る涼み所ですな」

 庄吉の半間ほどの距離を保って老人は腰を下ろすと話しかけてきた。

 「ええ、気持ちいいです」

 「ああ、いつもここへ来ると気持ちが和む、何というか故郷へ帰ってきたような、母親の胎内に戻ったような安息がある」

 老人は遠くを見るように目を漂わせている。

 「そうですね、私もここが好きです。落ち着きますから」

 「ほー、貴方は見掛けん方だが、この村のお方かな」

 老人は探るような面差しを向けてきた。

 「はい、南村の竹沢庄蔵の三男です」

 「えっ、庄蔵さんとは本家のか」

 「ええ、まあ・・・・・・庄吉と申します」

 「これは御見それいたした。ご本家の方だとは知らず失礼いたした。わしは東村の庄の助と申す者じゃ。そう言えば竹沢一族の顔立ちゆえ、それらしいとは思ったが、そうか、本家ののう」

 この老人、竹沢一族の人らしい。姿形もさることながら、古風なものの言い方をする人だ。庄吉は再度まじまじとその出で立ちを眺めた。気が付かなかったが扇子を一本前腰に差していて様になっている。

 「お墓詣りですか」

 「ああ、月命日には欠かさずお参りいたすが、今日は備前の守様の命日じゃでな特別の日じゃ」

 「あの、備前の守様って・・・・・・」

 庄吉の問いかけにあの鋭い眼光を向けてくる。

 「うむ、備前の守様を知らぬのか、ああ、嘆かわしいことじゃ。今どきの若い者はご恩を忘却してしまって居る。それもわしらが伝える心が薄れてきた証かのう」

 「あのう・・・・・・・」

 庄吉は城主墓地の中央に一際高い五輪の墓標が立っていて両側に一族の墓が並んでいるのを思い出している。

 「この上の中央の五輪の墓標のことでしょうか」

 「ああ、備前の守様のお陰でこの村は滅亡を免れた。今もこうして穏やかに暮らせるのはお命を捧げて下されたお陰じゃでな」

 「あの~、お爺さん、いや、庄の助さんでした。仰っているのは武田の三河侵攻の時のことでしょうか」

 庄吉は系図に書かれている年号を思い出して言った。武田の三河への侵攻は三度行われている。元亀元年十二月に信長の窮地に際し、この隙を突かんとしての小手はじめのような侵攻。二度目が元亀三年信玄自らが大軍を率いて東三河から侵攻。そして、三度目が勝頼の代になって念願の三河併合の野望を成し遂げんとし、長篠の戦いで織田の連合軍に大敗を喫する。その三度である。

 庄吉にもこの位の知識はあったが、系図に書かれていた年号は確か元亀三年であった。とすると信玄が本格的に三河へ進出し余勢を駆って上洛を果たそうとしたそのころだ。

 「お~お、知っておるか、信玄の懐刀と言われた秋山虎繁じゃよ。あの者中々の切れ者じゃで、奴は信玄から三千の兵を授けられると木曽谷を恵那に向かって南下して来よったのよ。我らは集めても三百足らず、籠城するのは止む無くとしても、三河の徳川どのへ一報すると同時に岩村のおつやどのへ書状を使わし一計を画策したのじゃった」

 「おつやどのって・・・・・・」

 「ああ、岩村の女城主じゃよ、知らぬか。歴代の城主、遠山氏も景任が病で倒れてからは養子の坊丸君が成人するまではと奥方であるおつやの方が変わって城主となっておられたのよ」

 「ああ、その話なら聞いたことがあります。その女城主は信長公の伯母に当たられるということを」

 「そうそう、だからこそじゃ、美濃は決して岩村を見殺しにはせぬだろうと我らもそこに目を付けたのよ。岩村への密書には秋山軍への共同奇襲計画を申し送ったのじゃ。我らは地の利を生かして山伝いに木曽谷を南下する秋山隊の荷駄隊を襲う。これがようもよくやったというほどに成功したんじゃな。痛快じゃった。勿論、わしはその中で二番隊を率いておったがな」

 「えっ、まさか、御冗談を・・・・・・」

 「うむ、まあ良いわ、だがなその成功が裏目に出たと言う訳よ。そんなことでは武田はびくともせなんだ。倍する荷駄隊を送り付けて来よった。こうなれば頼りは織田の援軍だけじゃな。三河の徳川どのも東三河の武田本隊へ、我らへの援軍どころではなかったのでな」

 「それで・・・・・・」

 いつの間にか庄の助爺さんの話にすっかり魅せられてしまっているのを庄吉は気づいていない。

 「勿論、籠城じゃよ。士分だけでなく領内の百姓も含めて四百人ほどの小城じゃ。兵糧を運び入れ空堀を掘って逆茂木を巡らせるに大騒動じゃったな。秋山は三千の兵の内八百で我らの竹沢城を囲みおった。残りを岩村城に向かわせたのじゃな。小城とはいえ我らの竹沢城も堅固に固めておったのでな、そう易々とは攻め落とさせるものじゃない。城攻めは倍の人数がないと無理じゃと言われておったが、その言葉通り、四百に対し八百の人数で囲んだが、まだまだ、城方の意気は盛んじゃった。織田殿がその内に数万の軍勢で押し寄せるってな皆、信じておったからの」

 「でも、来なかった・・・・・・」

 言ってしまって庄吉はしまったと思った。一瞬、庄の助爺さんの顔が醜く歪んだからだ。

 「しかしな、岩村城は城兵八百に対し二千二百の大軍に囲まれて頑張っておったでな。岩村も織田の援軍を待ち焦がれておったことじゃろう。一月が過ぎた。攻め手は倍の兵力ながら力攻めはしてこなかった。そこが秋山の偉いところじゃな、織田の援軍は来ない。それが城方に分かるまで待つ算段じゃったのよ。無暗に戦はしない。戦で殺し殺されれば残るのは憎しみや恨みだけじゃでな。しかし、我らはそんなことは何も知らず今に織田が来ると信じて、血気に逸っては夜襲しかけておった。いつも適当にあしらわれておったのじゃな。大した戦果はなかった。二か月が過ぎた頃じゃろう。山伝いに岩村の密使が来たんじゃ。顔見知りなのでその密使の言葉は誰もが信用した。確かに嘘はなかった。それは信長公からの書状であったそうな。今は助けに行きたいがどうにもならぬ。何とか算段して凌げとあったそうな。信玄はそこまで見定めての三河侵攻だったと言う分けよ。岩村城は援軍の来ない孤立無援の城に陥った。竹沢城とて同じ運命に立たされた。二つの城はこのまま頑強に抵抗を続け、兵糧が無くなれば全員が一丸となって打って出て潔く滅ぶ他なし。城兵たちは決死の覚悟を固めざるを得なかったのじゃ」

 絶対絶命の危機に直面した岩村城と竹沢城、庄吉はこの先の成り行きを考えると、単なる聞き手を超えた運命共同体の気持ちにさせられている。

 「岩村城のことは詳しく伝わっていて、私も凡そのことは知っています。しかし、竹沢城は誰もが良く知ってはいない。どうなったのかは興味がありますね」

 ついに庄吉は庄の助爺さんの話術に嵌ってしまっている。初めからこれからのことを話すのが目的だったのは明らかだ。

 「そうだ、秋山は岩村の降伏開城の条件におつやさまと虎繁の婚姻を出してきた。当然城士の主だった方々は猛反対なされた。それを飲むくらいならわしが腹を切ろうと申し出た者は何十人にも及んだということだった。しかし、おつや様は承知なさらなんだ。我らは織田から見放された。この後は武田の一城地として生きるしかない。この後に臨んでは織田に義理立てしても始まらぬ。秋山の申し出を私は受ける。そう断じ成されたという」

 庄の助爺さんはそこまで話して空を見上げると大きな溜息をついて沈黙した。余程、この後の竹沢城の顛末については話し難いのであろうと庄吉は思いやった。暫くの間、両者に沈黙の時間が過ぎた。

 「我らへの降伏条件は厳しいものじゃった。夜襲が祟ったのか、荷駄隊への奇襲が悪かったのかよくは分からぬが、城主の首、又は荷駄隊襲撃の首謀者五人の首を差し出せという過酷なものじゃった。岩村への条件を知っていただけに城士達は激昂したのじゃ。最早、開城はできぬ。一人残らず討ち死にするまで戦い抜くまでじゃとな。しかし、城内には百姓や女子供も百名近くはいる。もし、総攻めにあえば敵は見分けなく皆殺しの挙に出るだろう。誰もがどの道を取るべきかの選択に悩んだ。真っ先に申し出たのはわしを含めた五人の城士じゃった。我らの命で主君や大勢の領民の命が救えるのであればなんの惜しい命ではない。喜んで差し上げようぞというてな。わしもまだ若い二十五の歳じゃったが、本気でそう思っておった。殿をお守りするのが臣下の勤めならば当然のことじゃったからの」

 「庄の助さんにはまだ奥さんやお子さんはおられなかったので」

 話の腰を折るようだったが、庄吉は思わず口を挟んだ。

 「ああ、若い嫁が居た。今はお婆じゃがな、はははははっ、しかしな五人の中じゃ年を繰っておった方じゃで、まだ嫁ももらわん十八の若者も一人おった。そんな若い者までが差し上げても惜しい命にては候らわずと息まいておる。わしが嫁がおるでなとは言えぬるはずもなかろう」

 「本当は庄の助さん、命が惜しかったのではなかったですか。誰も死にたくはない」

 「はははははっ、あんたは今の武士の廃れた時代のことを言っておられる。わしらはそんなものじゃなかった。命は誰もが惜しいし大切なものだとそれは今も同じじゃで、それはな、いざという時にその命を本当に値打ちのある使い方がしたいと思ったからじゃ。無暗に投げ出す命など真の武士のすることではない。だが、あの時、我らは今こそ命を投げ出すべき時じゃと本気で思っておったというわけじゃよ。我ら五人持ち場を離れて本丸の殿に目通りを願った。殿は鎧を脱いで書院においでになった。書見をしておられたのよ。この大軍に囲まれて風前の灯の城の本丸で書見とはのう。落ち着いて物静かであった。顔だけをお向けになりこう申された。どうした。持ち場を離れては皆に示しが付かぬであろう、のう、庄の助。殿があまりにもいつもとお変わりにならぬので、我らは話をどう切り出して良いのか分からずにおった。隣で平伏しておる同輩の竹沢庄三郎がわしの膝を突っつきおった。お前が切り出さねば誰が言上出来ようとな。わしは殿の顔を真正面から見上げて申し上げた。此処に顔をそろえたるは武田の荷駄隊を襲撃した竹沢の勇士にござりまする。此度、武田からの開城条件に沿うべく我ら五人の首、差し出されまするよう願いあげまする。言い終わって、しまったと思ったの、竹沢の勇士は余計じゃった。案の定、直ぐにも殿のお言葉が帰ってきたわ。庄の助、竹沢の勇士が首、易々とは差し出せぬぞ。それに比べればわしの首などまだ安いものじゃ。とな、我らはそこで殿は自分の首を差し出す心積りでおられることを知ったのじゃ。わしは思わず叫んでしまったぞ。殿、それはなりませぬ。殿亡くしてはこの竹沢は成り立ちませぬ。後々の事をお考え下さり、何卒此度は我らの首をお渡しくださりませ。とな、しかし、殿は笑みを持ってわしの諫言をお聞きになっておったが、平然と書見台を脇にずらして我らに向き直られた。わしは思わず身を固くしたぞ。この後、この竹沢はどうなると申すのじゃ。武田に降伏した岩村もこの竹沢も徳川殿や織田から見れば敵国となる。頼みは武田じゃが、さてその信玄公が重き病を得ておるらしい。信玄公にもしもの事あれば武田は頼りになりそうか、お主どもどう思う。そう問われて我らは答えに窮した。甲斐は信玄ありてこそと言われておったでな、我らが元々徳川殿に身を寄せたのも、織田を頼りにしたのも、信玄公は長くはないとの噂があったためじゃった。その頼りの徳川も織田も助けには来てくれなんだ。我らの選ぶべき道は何処なりやと問われても何とも答えようがない。此処で五人が犠牲になって殿をお守りし、竹沢の家を一時的にも守ったとしても次は織田や徳川を敵にすることが出来ようかと問われておるのじゃ。殿は先の先までお考えであった。徳川こそ頼りにできても、味方の内はまだしも敵となった織田はそれこそ手向かえば皆殺しの総攻めにあう。よしんば許されて足下にひれ伏したとしても、織田の天下布武の名のもとに手先となって戦、戦に明け暮れる明日が待って居よう。詮無いことじゃが、今少し三河に近ければのう。とそう申された。そして、これ以上は言うまいぞと前置きし、若君の庄丸君はじめ一族郎党、竹沢の地に帰農すべし。わし一名の命を持って一族の繁栄を期するとはこの上無き痛快事なり。と締めくくられた。聞き終えてわしら五人はその場に泣き伏したぞ。一族の当主が自ら下した決断に震えたのじゃ。我らは話が終わっても容易にその場を離れることが出来なんだ。殿は黙って我らを見下ろしておられたが、分かってくれたかのう。敵への返書は昨日届けた。わしの首は明後日朝に差し出すと認めてある。分かったな、分かったなら夫々に持ち場へ戻れ、敵の返事がまだない内は何時攻め込まれるか知れたものではない。油断すな。最後の下命は有無を言わさぬ厳しい厳命であった。我らは這うように一人ひとり退出したのだが、最後になったわしを殿は呼び止められた。庄の助、お主には少しく話がある。と仰せられてな。わしは畏まった。戦の時、庄の助は何時もわしの馬前におったよな。はっ、わしは応えて何を仰せられるのかとびくびくしておった。お主はその小柄で剛の者も寄せ付けぬ働きを成した。褒めてとらす。はっ、あり難きお言葉、庄の助生涯の誇りといたしまする。その強者に最後の頼みをいたしたい。聞いてくれるか。はい、殿のご下命とあれば神明に誓いましてと答えたな。うむ、明日の夜、わしの介錯を頼みたい。えっ、か、介錯でござりまするか・・・・・・。わしは次に言葉が出てこなんだ。あまりの事に気が動転してしまっておった。どうじゃ、最後の頼みじゃ聞き届けてくれ。わしは漸くに我を取り戻して頭を床に擦り付けて言上したんじゃ。な、何卒、そればかりは他の者に仰せ付けられて下さりませ。某には到底勤まらぬご下命にござりまする。それだけ言うのが精一杯であった。殿はす~と息をお吐きになり、庄の助ばかりを頼りにしておったが聞いては呉れぬか。他の者ではでは心許ない。心安う生涯を閉じたいでな。聞いていたわしは激しい心の迷いのなかにおった。主君を守るのが臣下の勤めであるのも関わらず、止むなくとはいえお命を絶つ役目を果たしてよいものか、しかし、心安く生涯を閉じたいと仰せあるはわしの腕に絶対の信頼を置いておられる証でもある。家中では太刀を扱う手練れの中でも庄の助の右に出るものはおらぬと言われておったでな、いや、これは自慢でもなんでもない。自慢を言うたところでこんな役目が回ってきてはなんにもならぬ。その時、つと殿は立ち上がられた。そして、床に据えられた鎧の脇の太刀を取られると、それをわしの前に置かれたのよ。これを使うてくれ、後はそちの腰の物にするが良い。これは美濃の古刀よ、家宝にいたせとな。最早、勤めを果たすことが既定のように言われながら元の席に戻られた。この時、わしは逃れられぬ宿命を感じたのじゃった。わしは覚悟を決めると同時に殿に是非にも聞いておかねばと思うた。殿、お聞きしたいことがござりまする。うむ、何でも聞くがよい。殿の顔には笑みさえ浮かんでおった。竹沢氏は下野し農事に勤しむことに某も何ら未練はござりませぬが、この後、武田や織田、徳川などの大名家はいかが相成りましょうや。とな、うむ、それは天下の行く末を聞いておるのか。と問いかけられた。はい、と答えて殿を見上げた。難しいことを聞く、わしは神ではない。しかし、わしの思う所を聞かせと申すなら少しは思う所はある。はい、それを是非にもお聞かせくださりませ。うむ・・・・・・そうよの、まず武田は長くは持つまい。信玄公や頼りになる家臣あっての武田じゃった。武田四天王と呼ばれた重臣達の存在よ、板垣、甘利、飯富、小山田じゃが、今はない。その後の山県、馬場、内藤、高坂らがおるが、勝頼公に使えるとは思えん。それに武田の戦法は騎馬武者からは進歩しておらぬ。騎馬の過信が命取り、それが理由よ。さて次は織田じゃな。織田は世の中を変える大きな力を秘めておる。進歩的と言えばそこが武田との大きな違いじゃが、しかし、天下布武がいかぬ。人は武力の前にはひれ伏すとものと決めてかかるのは間違いじゃ。織田が転ぶとすれば世の中を変えようと過ぎて世間を甘く見るか、武力の恐怖心をあおり過ぎて反発を受ける。それも身内が危ういのう。信長公の跡を襲う織田の武将はよう知らぬ。しかし、織田に男子は多い。混沌とするのではないか。そこで殿は黙ってしまわれた。わしは何やら尻切れトンボのような気がしてお聞きした。殿、最後は誰が天下を取るとお考えで・・・・・・。すると殿はぽそっと小声で仰られた。徳川殿がそれらしくも思うがあの方も危ういのう、とな。それから殿はもう何も仰せではなかった。わしは太刀を押し頂いて立ち上がろうとした。もうそれ以上に殿と対しておるのが辛くなってきたのでな。殿は書見台を前へ直されておったのでそのまま片膝ついて頭を下げ退出しようとした。すると、殿が再びわしの方をごらんになって仰られた。庄の助、しかと頼んだぞ。わしの霊魂は永遠に竹沢城に在って民を見下ろしておると心得よ。それが殿の最後のことばじゃった。わしは頭を下げたまま顔を上げられなんだ。涙が床に溜まるほど落ちておったよ・・・・・・」

 「庄の助さん、本当にその場に居られたようなお話で緊迫感がありましたよ」

 「ふん、何を言うか。当の本人のいう事が信じられぬか。それにしても殿の先見には恐れ入った。武田も織田もその通りの滅び方をしたでの、それに豊臣は見通されなんだが徳川が結局は天下の主になられた。もし、殿もう少し大きな領地の大名の家にお生まれであったなら、中央へ踊り出られるお方であったろう。あれだけの見識をお供えであったでの」

 「その備前の守様のお墓があの真ん中の五輪の大きいのですか」

 「ああ、そう言う事じゃ、殿がお腹を召されてから、城の開城、下野の慌ただしくも悲しい時間だけが過ぎて行ったな。そうじゃ、秋山勢も二年後の元亀五年に織田の軍勢にあっけなく打ち破られて、甲斐に引き上げた翌年じゃった。棄却と決まった城跡に、我らが殿のご遺骸をお移し申し上げ、あのように五輪の墓を建てたのじゃ。あれから早四十年、当時を知る者も少のうなった。わしももう六十五を回ったでの」

 庄の助爺さんも自ら悦に入って話しているうち、自分を当時者に見立ててしまった。少し、ボケが始まっているのかも知れない。庄吉はそう思いながら庄の助の横顔を見た。この人が四百年も生きてきたはずもなし、こうして姿形も人、その者、まさかあの世から迷い出てきたとも思えない。

 「庄の助さん、肝心のご切腹は聞けませんかね」

 庄吉は悪乗りした。ついでの事に庄の助爺さんこのことについてはどんな作り話をするのか興味があった。しかし、暗に反して庄の助爺さんの反応は冷めたものだった。

 「ああ、あれは思い出したくもない。しかし、殿の名誉にかけて申せば、あんなに立派な切腹は古今東西例はないであろうよ。ああ、これ以上話をさせんでくれ。思い出してしまうぞ」

 「それで、庄之助さんは十分に殿さまのご期待にお応えなられた と言う訳ですか」

 庄吉は何とか話を引き出さそうとする。暫くじっと考えていた庄の助爺さん。

 「うむ、あれはわしの腕ではなかったな。あの備前の古刀のすさまじさよ。ああいうのを名刀と申すのじゃな。力切りなど全くいらぬことよ、刃を真っ直ぐに立てて引きさえすれば何のコトもない。ただ、心の置き所、据え処がすべてよ。心得のない者には勤まらぬ道理じゃ」

 話してしまって庄之助爺さんは少し悔恨のしぐさを見せた。

 「おお、わしとしたことがとんだ長話をしてしもうた。これでは陽が暮れるではないか、命日じゃと言うに備前の守様に叱られてしまうぞ。それではのう、お主、向後はわしに代わって墓守をしかと頼んだぞ、庄、庄吉殿と言うたか」

 「ええ、御存じでしょう。今は村の方々が決まった日に城跡を隈なく清掃されておられます。安心してください。お墓にもお花は欠かせていない筈ですよ」

 「うむ、そのようじゃのう」

 庄の助爺さんは立ち上がった。

 「庄之助さん、今は昭和四十五年ですよ」

 庄吉はその背中に向かって浴びせかけるように言った。

 庄の助爺さんはそのまま振り返りもせず。歩き始める。元来た大手道に向かって。歩きながら口の中でつぶやく声が漏れて来た。

 「ふん、埒のないことを・・・・・・・」

 見送る先で大手道へ降り立った庄の助爺さんは振り返りもせず、背筋を伸ばした姿勢のままで大手道を上って行き、三の丸へ向かって折れて消えた。庄吉は大の字になって寝ころんだ。

 「あ~あ、何ともリアルな話だった。あの爺さん、この辺りのそれこそ郷土史家なんじゃないかな、詳しくて真に迫っていた」

 庄の助爺さんの話の余韻は大きい。見上げる欅の梢は相変わらず風にそよいで細かに揺れ動いている。それにしても不思議な人だが、帰りもここを通るだろうか。東村と言ったが、本丸から獣道を通れば東へ下りることも出来るが、あの老人の足ではやはり戻って来るはずだ。そう思いながらも、あの足なら獣道でも何のこともないかもと思ったりする。

 その時、一瞬にして陽が隠れたと同時に、欅の幹をも揺らす強い風が来た。梢は吹き飛ばされると思われるほどに震えていたがそれは一時の事だった。再び夏の太陽が西に傾いて欅の影を大手の道に移している。庄吉は寝っ転がってほとんど風を避けたが大きく溜息が出て我に返った。

 夏の陽だとはいえ西に傾けば竹やもぶに隠れて辺りは薄暗くなる。庄吉は身を起こすと立ち上がった。あまりにも長く居すぎたと思えたからだ。大手道の三の丸へ折れる突き当りへ目をやると人影が無いことを確かめて、欅の根方から飛び下りた。一メートル以上の高さだが、庄の助爺さんのように同じ高さまで歩くことに気怠い気がしていた。もう、庄の助さんが大手道を戻って来ることにも関心がなくなっている。

 とぼとぼと、大手道を下りると竹沢橋の下で子供たちの声がした。流れは深くない竹沢川にも鮠の群を見る。子供たちが網を持って追いかけているのであろう。橋を渡り終えて気が付いた。あれほど賑やかだった蝉の鳴き声が背中の遠くに去ってしまっている。しかし、体の中では相変わらず姦しい鳴き声が充満しているのを感じている。そして、いつの間にか竹沢家本家の茅葺の門の前に立っている自分に気が付いた。庄吉はほとんど幽霊のように土間へ入っていく。幸い、家人は誰にも出会わない。もし、兄嫁にでも出会ったら、あら、どうしたの庄吉さん。顔色が悪いがね。とでも言われたに違いない。

 スニーカーを脱ぎ捨てるようにして上がり框に腰を下ろした庄吉は土間の暗闇を見つめていた。先ほどまで鮮やかに思い出せていた庄の助爺さんの顔がどうしたことか蘇ってこない。つい、さっきの事である。あれほどまじまじと見つめ、その表情の微細まで読み取ることができたのに。

 背後の座敷で人の気配がした。父の庄蔵が仏壇の掃除をしている。盆が近づいてきて早めに思いついたのであろうか。今はそんな父に聞いてみる気になっている。 庄蔵は中から数十もある位牌を取り出しては一つ一つ丁寧に布切れで葺いていて、その顔は真剣そのものだ。

 「お父さん、ちょっと聞きたいことがあるんじゃが」

 「うむ、庄吉かどうした。庄一から聞いたが学部を変わりたいそうじゃな。まあ、わしは特に反対はせんが、よう考えての事じゃろうな」

 「ああ、それもあるが・・・・・・。昼から竹沢城へ上ってきた」

 「うむ、美子さんに聞いた。お前も余程城山が好きじゃと見える」

 「ああ、そう思って行くんじゃけれど、今日は特別の事があった。お父さん。東村の庄の助さんを知っておるか」

 「うむ・・・・・・」

 庄蔵は唸った切りそれ以上口を開かない。

 「大手道の左に大きな欅があるじゃろう。あそこで長々と話を聞いた」

 庄蔵は手を止めたまま、身動きしない。余程、何かに驚いたようだ。ややあって徐に口を開いた。

 「やはりなあ、お前は兄弟の中では一番わしに似ておるでな、お前が選ばれたんじゃろう」

 「なにその選ばれたっていうのは」

 「後で系図を見せてやる。その前に言うておく。このこと決して口外すな、話したところで誰一人信ずるものなどおらぬからな。身内だとて同じ事だ。実はなあ、わしは二十歳の歳にその庄の助という爺さんに会うた」

 「えっ、お父さんが二十歳と言う事は今から五十年以上も昔と言う事になる」

 「そうじゃ、あれは大正五年の今頃、夏の盛りじゃった。まだ、明治の気質が残っていてな、国家を論じる若者が多くいた。わしもそんな生意気な一人じゃったろう。そんな時だ、その庄の助爺さんに会うたのは。当然、血が騒いだな、そんなご先祖の血を受けているのだという事だけで。そこで我一族で同じく経験した者がおらなんだか秘かに調べた。しかし、物笑いにされるだけで相手にもされなんだ。それが、今、お前の話を聞いてぞっとしたぞ。五十五年振りに聞く名前じゃからな。恐らくは庄の助爺さんは当時と同じ姿でお前の前に現れたのであろうよ」

 「そう、麻の短袖の着物に田植えにでも行くような粗末なたっつけ袴をはいておられた。竹の皮の笠を冠って。それに墓参りの手桶に一凛の卯の花を指し、腰の扇子を一本差しておられた」

 「やはりそうか、全く同じ出で立ちじゃな。今日はどの位お話された」

 「良く分かりませんが、三十分以上は」

 「立ち話ではなかったのか」

 「あの欅の木陰で涼んでいたところへ大手を上ってこられ、同じく木陰へ入ってこられた」

 「そうか、話は竹沢城の落城に纏わることじゃな」

 「はい、武田の秋山に囲まれて、開城の条件に城主、備前の守様の御首を差し出す話でした」

 「うむ、やはりな。庄吉、一回切りじゃでお会いするのは・・・・・。わしもその後は出会うたことが無い。次に現れるのはお前の息子と言う事じゃな」

 「その時は又、同じ姿で現れますのか」

 「うむ、そういうことじゃ」

 庄蔵は立ち上がると仏壇の前の引き出しを引いた。抜き出すと運んできて腰を下ろした。太い巻物がいくつか並んでいる。以前兄から見せられた我が家の系図らしい。その中の古びた一巻を取り出した。そして、庄吉の前に引き出す。年号からすると江戸の中頃らしい。庄蔵はするすると片方を巻き取りながら一方へ滑らせて目を皿のように紙面に注いでゆく。前に見た時は珍しさとその全量に圧倒されたのだった。

 「うむ、此処じゃ。ほれ此処を見てみろ。竹沢備前の守、庄右衛門が何代も続いている。そして、ここからは庄右衛門とだけ書かれている。この最後の備前の守の脇書きを読んでみろ。元亀三年七月十日、秋山虎繁に攻められ自刃。竹沢庄の助は介錯相勤め候。お前が聞いてきた話に偽りはない」

 庄吉はその文字に吸いつけられて身動きが出来ない。だとすると、あそこで聞いた庄の助爺さんの話は四百年前の元亀三年に起きていた事実だった。しかも庄の助爺さん自身四百年の時空を超えて墓参りにやってきたことになる。そこにたまたま自分が居た。たまたまだろうか、それともそういう巡り合わせは初めから約束されていた。庄蔵の話によれば二十歳の歳に同じ体験をしたという。庄吉は竹沢城からの帰り道でもあまりにもリアルな話を聞いただけに信じられない半信半疑の中に居たのだったが、それが今、庄蔵の話を聞いてからはさらに気持ちの整理がつかない。庄吉は元々霊の存在やオカルト的な話は全て作り話に過ぎないと考える現実主義者的なところがある。ところが、それが実際に自分の身に起きてしまったことで収拾のつかない混乱の中にいるのだ。

 「庄吉、信じられない気持ちは分かる。しかし、これは現実なのだ。わしにも分からんがきっと血筋の中に何かが組み込まれているに違ない。お前は選ばれた者なのだからな。もしも今日、誰かがお前と一緒にいたとしても、その者には庄の助爺さんの姿も声も聞くことはできなかったのではないか・・・・・・たとえ、今のわしがおったとしてもな」

 庄吉は庄蔵の今の一言で何となく体が軽くなったのを感じた。そうだ、今の自分にだけ与えられた研ぎ澄まされた感性のようなものだ。それは又、直ぐにも消える。再び得られない貴重な能力に庄吉は感謝する気持ちにさえなっている。

 “カアカア”カラスの鳴き声が縁側から聞こえてきて気が付いた。いつの間にか、外は茜色に染まっている。庄吉は縁側に出てその茜色を浴びたいと思った。縁側から見える竹沢城跡も薄赤い暮色に覆われている。その頂きから蜩の鳴き声が降りてきた。

                                    (完)

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