第18話 温泉

 輿にのせられて、山道を行く。

 思った以上に揺れて、快適とは言い難い。

 人が担いでいるんだからね。仕方ない。正直、普通に歩きたい。

 四方を御簾に囲まれているんだけど、パタパタしていて。いっそ、開けておいて欲しい。

 ただ、だいぶ山道を行ったところで、なぜ、御簾が降ろされているか、わかってきた。

 おそらく、これは、行き先が違う。

 峠を越えたらしく、下り坂に入ったようだが、どんどんと山が深くなっていっているように感じる。谷底に降りていく感じだ。

 やがて、首筋がチクチクし始めた。なんだろう。大気に違和感がある。

「ねえ、街はまだなんですか?」

 私は御簾の向こうに声を掛ける。

「もうすぐですよ」

 田沢が答える。

 もうすぐねえ、と、思う。どう考えても、伍平と通った道じゃない。もちろん、道はひとつじゃないのかもしれないけれど、御簾越しに見える風景からみても、全然、街につく気がしない。

 何か企んでいるとは思ったけれど、まさか街じゃない場所に、連れてこられるとは思っていなかった。

「やあ、そろそろですよ」

 田沢の声がした。

 なんだか、卵が腐ったようなにおい。

「さあ、どうぞ」

 輿が大地に降ろされた。御簾をあげて、外に出ると、岩窟の前だった。谷川がすぐそばを流れていて、なぜか、岩窟の前に板塀があった。

「ここは?」

「温泉ですよ」

 田沢が答えた。

「嫁入り前に、こちらで清めてもらう」

「……ずいぶんと屋敷から遠いところで、お清めするのね」

 辺りは完全に、谷底という感じで、民家一軒、見当たらない。

 ただ、人は来るのであろう。小さな道は整備されているようだし、岩窟周辺は人の手が入っているように見えた。

「我が家のしきたりなので」

 有無を言わせぬ口調。

 こんなところで、風呂に入ったら、湯冷めしてしまいそうなのだが。

 とりあえず、私は案内されるままに板塀の奥の岩窟を覗く。むあっとした温かな湯気。少し奥まったところにかがり火が一つ焚かれているのがぼんやりと見える。どうやら、天然の岩風呂のようだ。

 板塀の内側に、盆にのせられた、白い衣服。花嫁衣裳なのかな。

 それにしたって、こんなところで着替えて、どうするのよ。

「この奥はどうなっているの?」

 私は暗闇に目を凝らした。首筋の違和感が消えていない。

「奥は、我が家の氏神の神域となっておる」

「神域?」

 神さまにもいろいろあろうが、この感覚はそんな感じじゃない。

 もっと禍々しいものだ。地獄界のにおいがする。

「さあ、早う」

「えっと。入るは、私だけですよね?」

「むろん。清めが終わるまでは、花嫁に触れてはならぬ決まりゆえ」

 田沢はこくりと頷く。

「覗かれたりはしませんか?」

「そのようなことはしない。我らは塀の外で、そなたが出てくるのを待っておる」

「そうですか」

 別に覗いてほしいわけではないし、ここで、無理やり嫁にされたいわけでもないが、なんか違和感を感じた。

「ふうん」

 私は、ひとりで塀の中へと入った。かがり火の向こうはよくみえないが、もっと奥までありそうな岩窟だ。

 取り立てて何かをされるわけではなさそうだが、外には武装した男たち。ここで、温泉に入るは絶対ようである。

 盆にのせられた白い衣服は、絹で上等なものだ。ただし、湯けむりのあるここならともかく、外に出たら絶対に寒い。

「さて、どうしましょうかねえ」

 とりあえず、湯に手を入れてみる。ぬるりとした感じの程よい温度。温泉いうのは、本当らしい。さすがに入る気にはならないんだけど。

 お湯がかなり臭いがあるのと、かがり火が、パチパチと勢い良く燃えているため、においはよくわからない。

 ことり。

 私の入ってきた板塀の辺りから音がした。

 何かが入ってきたというより、閉められた感じだ。

「どういう意味なんだろう」

 まあ、たかが板塀なので、その気になればいつでも出られる。かがり火がある以上、ふつうに燃やしてしまうっていうことだってできそう。ということは、これ、本当にただ単に婚儀の前のお清め儀式なのかな。

 だとしたら、拍子抜けかも。

 私はかがり火の近くの岩に座り、タミがくれた竹の皮のつつみをとりだした。

 開くと、そこには、美味しそうな五平餅。

「とりあえず、お腹すいた」

 私は五平餅を食べ始めた。冷めてしまっているけど、美味しい。

 仮にも神域と呼ばれる場所で、飲食していいのかどうか謎だけれど、腹が減っては戦はできないのである。

「何かいらっしゃったわね」

 力あるものが近づいてくる。

 大きな威圧感。背筋の毛が逆立つ。

 私は五平餅に使っていた、竹串を構える。

 岩窟の奥から出てきたものーーそれは、大きな鬼であった。



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