月が笑っている

たかしま りえ

第一話 序章 

 忠弘は拍手が鳴り響く中、ぼんやりと新郎新婦を眺めていた。同期の友人の結婚式に出るのはこれで何度目かと数えてみるが記憶が曖昧で思い出せなかった。来年は三十歳になる。上司からも結婚はしないのかと聞かれることが増え、そろそろ真剣に考えないといけないことはわかっているが、結婚した友人たちの話を聞くにつれ、腰は益々重くなっていった。結婚して本当に幸せになっているカップルにまだ出会っていない。今日結婚する友人と一昨日飲んだが、すでに妻となる女性の愚痴しか口から出てこなかった。

「じゃあ、止めれば」と言ってみたが、簡単にいかないらしく、重い荷物を背負った感じが心地よいのか、愚痴が誇りとなって彼を一人前の男にしていた。


 新婦の友人である雅代を紹介されたのは結婚式から一月ほど後だった。三歳下の彼女は清楚で可愛い印象だった。

 結婚式が開かれたホテルのロビーで、忠弘は雅代と初めて二人きりで会うことになった。まさかこうなるとは夢にも思わなかったのだが、周りのお膳立てもあり実現した。同じ結婚式に出席していた同僚たちから羨ましがられたことが自分の背中を押したとも言えた。

 雅代の父親は忠弘が勤める銀行の取引先の重役で、いつの間にか話が漏れたのか上司も二人の関係を知っていた。


 雅代と会うようになってから二月後、結婚したばかりの友人と二人で居酒屋に入った。

「結婚生活はどう?」

「そんなことよりお前の方こそどうなっているの?」

「どうもないけど」

「つきあっているのでしょう?」

「時々、ドライブに行ったりしているけど」

「それが付き合っているってことじゃないの?」

「そうなのかね」

「人ごとだね」

「先週はお弁当作ってもらって水族館に行った」

「支店長も知っているのだろう?」

「だから?」

「もう結婚しかないね」

「そうなのかな」

「彼女、料理も上手で洋裁だって得意らしいね」

「洋裁は知らなかった」

「とにかく専業主婦向きだって俺の奥さんもいっていたよ」

「俺の奥さんね」

「なんだよ」

「愚痴って惚気になるのだね」

「はい?どういう意味さ」

「散々愚痴を言っていたけど、それを鵜呑みにしてはいけないってことだよ」

「そうね。愚痴は照れ隠しでもあるかな」


 忠弘は結婚を決意していた。それが一番自分の人生において良いことだと自分に言い聞かせて。時々、心の奥底で何やら得体の知れない感情が押し寄せるが、人に言わせると男が結婚を決めるということはそういうことらしい。わかるような、わからないような。


 一人で飲みに行くことはめったにないのだが少し仕事が早くに終わったので繁華街に出てきた。以前友人と入ったバーのカウンターに座る。ジントニックを頼み得体の知れない感情と独り向き合っていた。バーテンダーは女性だった。そのバーテンダーと話していると得体の知れない感情から解放されるような錯覚を覚えた。バーの外でも合うようになり、彼女の家へも数回通った。

 彼女とずっと一緒にいたかった。でも、雅代との結婚の話も着々と進んでいた。そんなある日、バーから彼女は姿を消した。アパートも引っ越し、連絡が取れなくなった。

 それから数か月して、忠弘と雅代は結婚式を挙げた。

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