第50話:憤怒の絵

「まあ、待てよ、嬢ちゃん」


 私の肩を掴む男の手に力が入るのがわかる。


「なんですか?離してください」


 ここは路地裏。偏見というわけではないが、こんな人気のないところで見た目の厳つい男から肩を掴まれれば、なら嫌でも恐怖心が芽生えるだろう。


 しかし、私は生憎、普通の少女とはかけ離れていると言って良い。生まれながらにして魔術師である私たちは、日夜、オウムという化物を相手に戦っている。今更、少し筋肉のある強面の一般人に襲われたところで対処など容易いはずであった。


「へへ、まあそう警戒するなよ。あの絵、どう思う?」


「どうって......」


 男は、私の肩を掴んだまま振り向かせ、先ほど嫌悪を感じた絵について感想を聞いてきた。男の顔はニヤついていた。


(どうって言われても、変な絵としか思えないけど。もしかしてこの男が描いた絵かしら)


 だとしたら私が感じている本当のことを言うと激昂してしまう可能性もなくはない。


 そう判断した私は、当たり障りのない感想を述べようと思った。


「えっと、ふ、不思議な絵だと思います。私、あんまり芸術的なことはわかりませんが、不思議と気持ちが昂るというか......」


 しかし、私は不快であるということとは別にもう一つ感じていたことを話してしまっていた。もっと、「すごいですね」とか褒める言葉を答えをようと思っていたのにだ。


「そうだよなあ。そうなんだよ。これを見てるとさ、ドンドンドンドン、気持ちが湧いてきて苦しくて、苦しくて......」


 突如、私が答えた後、男は何かに取り憑かれたかのように激しく話始める。そして同時に頭を押さえながら悶え苦しんでいるようにも見えた。


「悔しくて、悔しくて、頭がどうにかなっちまいそうになるんだよなあ。俺は、今最高にムカついてるぜ?」


 苦しむのをやめた男は、真っ直ぐな瞳でこちらを捉える。

 すると、肉体がボコボコと音を鳴らしながら変化していく。もともと大きかった肉体はさらに1.5倍ほどにまで肥大化し、体はまるで動物の体毛が生えたようであった。そして顔も変質し、人間のものとは異なる様相になった。顔を抑えていたいた手には大きな爪まである。見た目は物語の中で出てくる「狼人間」のものと全くといって良いほど同じであった。


「なっ!?」


 突然の変貌に驚いてそれ以上に言葉が出なかった。魔術的なプロセスは一切感じなかったにも関わらず、この男は体を獣に変化させてしまったのだ。


 オウムでされ、魔力を持っているというのにこの男からはそれがまるで感じられない。オウムや、魔術とは全く別の存在であることは明白であった。


「グルゥゥゥゥゥゥ!ガアアアアア」


「くっ!」


 男は狼になったことにより言葉を失ってしまったのか獰猛な獣と化して私に襲い掛かった。


 私は間一髪で魔術で身体強化を行い、その場を飛び退いた。


「冗談じゃない!!」


 なぜこんな力を持っているのか、なぜ私を襲ってくるのか理由は定かではないが、戦うという選択肢しかここには存在しないらしい。狼男は出口を塞ぐように立っている。不幸中の幸い。ここは人目がない。それに対人戦闘を行うくらいなら問題ないくらいの広さだ。


 狼男は私を引き裂かんとばかりにその爪を奮ってきた。その足に魔術を作用させ、避け続ける。


「っ!第2群ノ9:双撃!!」


 私が魔術を下級魔術を唱えると、二つの無力透明な槍のようなものが交互に回転しながら狼男の元に飛来する。その二つの空撃は狼男の体を捉え後ろに吹き飛ばした。そしてそのまま後方の壁に激突し、狼男はそのまま地面にずり落ちた。


「ふぅ。なんとかなったわ......それにしてもこの男なんだったのかしら、この絵といい、それに篠山君が消えたのも気になるし......」


 私は男に近づいて、様子を確認した後、絵の方を見て言った。

 このままに放置しておくのもな......そう思った矢先、男の手がピクリと動いた気がした。


「!?」


 男はまだ、気を失っていなかった。

 それに気づいたのは脇腹を裂かれた後のことだった。


「っぅううう......」


 私は血が滴る脇腹を押さえながらその場に蹲る。

 油断した。完全に油断だ。裂かれた部分が激しく、熱を持って暴れているようだった。


 狼男が目の前に血がついた爪を舐めながら立っていた。そしてそのまま、また腕を振り落として今度は私の首を跳ねようとする。


「舐めないで!!第1群ノ3:空撃!!」


 私は力を振り絞って、魔術を展開する。今咄嗟に発動することのできる魔術はこれが限界だった。

 また、私の掌から発動された空気の塊が狼男を襲う。その反動で私は後ろに後退した。


 狼男は一瞬の反撃に少し体のバランスを崩し、驚いたようであったが、私はまだ手を緩めるつもりはなかった。


(今しかない!)


「第4郡ノ14:七星剣!!」


 それはほぼ上級に近い、中級魔術。下手をしてしまえば、相手の命でさえも奪いかねない強力な魔術だ。だけど、この時ばかりは私自身、殺されそうになっていたためそんなことを考える余裕はなかった。


 空中に展開された美しい7色の剣が敵に向かう。狼男は最初の2、3本の剣は避け、爪で弾くことができたが次第に避けることも叶わなくなり、その身を貫かれる。そして、弾いたはずの剣でさえももう一度、狼男を捉える。


 狼男は剣と戯れているかの如く、逃げ回り、傷を追っていた。そしてついに全ての剣が狼男を襲い、大きな音と土煙がその場を舞う。


 恐らく倒しただろう。私は、狼男を確認もせず、背中を向け、路地裏の細い通路に脇腹を押さえながら進んだ。


 命からがら路地裏を出ると、もうすでに日は落ち、夜になっていた。


(あれ?なんで気づかなかったんだろ......)


 戦っているうちに夜になったのなら、気づいてもおかしくはなかったはずなのに不思議なことにそんなことは微塵も思わなかった。


 それに......


(それに......繁華街から少し外れているとはいえ、人が全くいないなんて......おかしい......でも今はこの傷をどうにかしなくちゃ)


「いっつぅ.......」


 私は脇腹を押さえながらゆっくりと魔術協会の方面へ歩き出した。血がドクドクと滴る。治癒魔術は自身にかけることができない。できないこともないが、非常に繊細で難しい技術が必要だ。さらには今は私は怪我をして、先ほどの大技で魔力を結構消費している。


 なので自分でかけるより、魔術協会でかけてもらった方がうまく治すことができる。そう思っての行動だった。

 しかし、意識が朦朧としてくる。


「はあ、はあ、はあ......」


 呼吸も荒い。思ったより深傷だったようだ。これでは協会に着く前に倒れてしまうかもしれない。


 なぜか今日は全く人と会うことはなかった。

 もういっそ救急車でも呼ぼうかと思ったが、この傷をどう説明するか難しかったので気合で乗り切ろうと頑張った。


 フラフラと歩きながら、魔術協会を目指していたつもりだったが魔術協会とは全然違う方向へ歩いていたらしい。


「あ......れ......?」


 月明かりが照らすそこは、いつも通学に通る公園であった。

 少し、休憩したい。私はその一心で、公園の中へ足を踏み入れていく。「今オウムに襲われたら確実に死んじゃうな」なんて考えながら私はどうにかベンチまでたどり着いて腰を下ろした。


(眠たい......)


 私はそのまま目を閉じて、ベンチに横になった。ベンチはもう直ぐ夏を迎えるというのに、ひんやりしていて気持ちが良かった。


「高崎さん!?」


 ほぼ意識は飛んでいた。そこに聞こえてくるどこか聴き慣れた優しい声。


「なっ!?これ!?どうなってんだ!?なんでこんなに血が......それより、手当てしなくちゃ。くそ!!」


 その聴き慣れた声の持ち主は私の惨状を見て焦っているようだ。


「ああ、もう!協会は......今ダメなんだった......くそ、こうなったら!」


(協会?きょうかい、きょうかい......)


 私は朦朧とする意識の中、抱き抱えられたことは分かった。


(ああ、どこか落ち着く)


「高崎さんごめんね、少し我慢して!」


 ふわり。体に浮遊感を覚えた。なんだか空を飛んでいるような気がした。翼が生えて自由に空を。

 抱き抱えられたその胸はどこか頼りなくも私に安らぎを与えてくれるものだった。


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