第35話 忘却の彼方・解【唐草時定】


 【大学時代】

 妻とは大学の時に知り合った。

 名前は天草あまくさ双葉ふたば


 今思えば私の一目惚れだったと思う。研究一筋の私をよくからかって面白おかしく笑っていた。その顔を見る度に疲れが吹き飛んでいくようだ。


 彼女は研究職の私とは違い医者になりたいと言っていた。なんでも昔から体が弱くずっと病院にお世話になっていたらしい。



【結婚】

 大学卒業と同時に私達は籍を入れた。唐草からくさ双葉と招待状に書く時の彼女の顔を私は忘れない。


「挙式は福岡でしよう!」


 私の両親に結婚の報告で訪れた時に気に入ったと言ってくれた。それが嬉しくて結婚式の前日は思い出の地を巡った。


「あの海の向こうには何があるのだろう」


 夕日を見ながら呟く横顔にそっと口づけをしてふたりでずっと眺めていた。


 妻は順調にキャリアを積み、私が務める大学病院に赴任してきた時は給料がとんでもない事になっていた。


 だけど妻はそんな事は気にしないと言ってカラカラと可愛らしく笑うのだ。




【妊娠】

「子どもが欲しいわ」


 妻の一言は唐突だった。

 今まで子どもが欲しいとは言わない妻だったので急な心境の変化だ。


 仕事一筋だった私と妻だったが、蓄えはある。仕事も順調だったので何の問題もない。思えばこの時から妻は何かしら感じ取っていたのかもしれない。


 妻が妊娠したと知った時の私の行動は少しおかしかったと今では思う。

 職場の研究仲間に毎日のように今日はお腹を蹴っただの、私の声に反応しただの、極めつけは母親にまで電話をかける始末。


「毎日電話してこんでよか!」


 母さんから叱られた。

 それでも飽き足らず今度は妻の両親に電話をかける毎日。

 義母と義父はとても喜んでくれて私の話に飽きずに付き合ってくれた。


「トキちゃん、はしゃぎすぎ」


 妻からは生暖かな目で見られたけど人生でこんなに興奮した事はないと思えてしまう。もちろん妻と出逢えた事も同じくらい嬉しい。



【出産】

 妻の妊娠期間中は手探りながらもふたりで歩んでいった。そして春……男の子が生まれた。


「頑張ったな……双葉!」

「ふぅ……ふぅ……一番にあたしを抱きしめるなんて……ありがとうトキちゃん」


 生まれてきてくれたこの子も妻も、かけがえのないくらい大切な存在だ。


「……ねぇトキちゃん。この子の名前なんだけどね?」

「うん」


 私と妻のお互いの趣味、史跡巡り。

 お互い戦国武将や幕末の志士が好きで休みが合う日は城や武家屋敷に一緒に出かけた。


「……総司そうじって名前にしたいの」

「……総司」


 新撰組で有名なあの剣士の名前。


「この子は仲間を想いやれる素敵な子になるわ」

「あぁ! そうだな」




【暗転】

 順風満帆に新婚生活が続くと思っていた矢先……妻が倒れた。


 元々体が弱かったのと、自分が医者だという責任感で休日返上で働いた事がたたり気付くのが遅れた。


 余命3年と言われた時、私は絶望した。


「双葉……私は」

「トキちゃん。大丈夫よ安心して」


 励まさなれけばいけないのに私の方が励まされてしまう。そして幼いながら私と妻の姿を見て育った総司は正義感の強い男の子になっていた。


 小さいながら妻の命の灯火が短い事を薄々気付いていたのだろう。わがままを言う事はせず率先して家事を手伝っていた。


「……私は弱いな」


 

【永遠】

 そしてその時がきた。


「……トキちゃん、総司をお願いね」

「あぁ! 必ず幸せにしてみせる」


「……総司」

「なに、母さん」


 ベッドの上で朗らかに微笑む。


「幸せになりなさい」


 妻のその言葉に総司はこう返したのだ。


「父さんと母さんのようにすてきなふうふになりたい」


「「…………っ」」


 妻とふたりで涙を流したのを覚えている。


 それから妻は私と総司に看取られながら、ゆっくりと目を閉じた。




【帰郷】

 妻が好きだと言ってくれた福岡に夏休みを利用して総司を連れて旅行に行った。


「母さん……ただいま」

「んっ。ゆっくりしていかんね」


 私の母、唐草藤江ふじえは何も言わず私と総司を抱きしめてくれた。


 総司はというと、母親の死という出来事と向き合う為に必死だった。しきりに私と妻の思い出の場所を聞いてきたので根負けしてしまう。


 そしてある日の夜、玄関が勢いよく開くとひとりの女の子を連れてきていた。


「父さんばあちゃん! この子怪我してる!

 手当てできる?」


 総司と同じくらいの女の子。見ると左腕から血が滲んでいた。母さんと私は急いで救急箱を持ってきて手当をする。

 彼女が腕に巻いていたのは総司にあげた妻の形見のピンクのハンカチ。


 そうか……誰かの為に頑張れる人になったんだな。


 私と妻の願いどおりに育ってくれて良かった。その日の夜……妻の遺影の前で涙を流した。



【転機】

 その日以降、総司はあの女の子とよく出かけるようになった。名前は細川ほそかわはがねちゃん。聞けば近所のラーメン屋さんだという。


 母さんは知ってるようだったけど、私は挨拶を兼ねて総司とお邪魔した。


「おぉ、美味しいな総司」

「うん! 美味しい!」


 鋼ちゃんはお母さんの後ろに隠れて総司をじっと見ている。それを見て全てを察してしまった私は妻との出逢いを少し懐かしむ。


 夏休みが進んでいくに連れて、総司の周りにはたくさんの友達が集まってくれた。親としてはとても嬉しくて、私も何度か一緒にプールや海に連れていった。




【雨】

 夏休みがもうすぐ終わり私も総司も前を向き出したある日……事故が起こった。



「えっ! 子ども達が遭難?」


 電話の向こうから鋼ちゃんのお父さんの慌ただしい声が聞こえてきた。近くに座る総司の顔は青ざめている。


 話をまとめると、総司が東京に帰る前に思い出に残る物をプレゼントしたい。それで近くの山に咲く花を取りに行ったらしい。


 その言葉を聞いた総司は駆け出して玄関を出ていく。その日は……雨が降っていた。


 急いで警察や消防、地域のボランティアによる捜索隊が結成され山へ向かう。


 悪くなる天候、予報によると台風が近付いている。探せる所は一通り探したが見つける事は出来なかった。



 午後9時を超えて捜索が打ち切りになろうとした時、整備された道から外れた所から子どもの泣き声が聞こえた。


「おい、大丈夫か?」

「わぁぁぁぁん! ゾヴジぐぅぅぅん」


 この子は確か、片原かたはらいたし君。


「いたし君大丈夫かい? ケガはないかい?」

「うっぅ……えっぐ……ゾヴジぐぅぅぅん」


 これだけ泣けるなら大丈夫だろう。私達は彼をだき抱えると急いで指差す方へ向かう。そして到着した場所には遭難していた子ども達がいた。


「良かった……無事……で」


 発見した時はホッとしたけど、みんなわんわん泣いている。一体どうしたというのだ?


 捜索隊と救急隊が持っていた毛布で包みながら事情を聞くと……



 総司が……崖から落ちた。



 頭の中が真っ白になった。


 妻だけじゃなく、息子まで奪おうというのか!


 全てが憎くなって絶望に塗りつぶされそうになる。しかし私の肩にそっと暖かな温もりが触れる。


『トキちゃん。負けちゃダメ』


 妻がよく言っていた言葉だ。


 なんとか心を落ち着かせ、レスキュー隊が崖下まで降りて息子を救助してくれた。


 ドクターヘリで総合病院に運び込まれた時は一刻の猶予も無かったけれど、懸命な処置のお陰でなんとか一命は取り留めた。

 この時ばかりは研究職にするんじゃ無かったと後悔した。初歩的な対処はできるが重傷者となると……


 医者からは後遺症が残るかもしれないと言われた。


 生きててくれるならそれでいい。


 それに子ども達の話では鋼ちゃんを助けようとして落ちたと教えてもらった。今だから言えるが、好きな女の子の為に頑張った息子を褒めてやりたい。きっと天国の妻もそうするから……




【忘却】

 総司が目覚めてからしばらくはリハビリの日々が続いた。しかしある日警察から電話がかかってきた。何事かと話を聞いたら「お宅の息子さんが迷子になった……」とそんな事を言うのだ。


 もしかしてと思って詳しく調べると、記憶の欠損が見受けられる。


 この時も神様を呪った。

 どうして私の大事なものを奪っていくのか!

 総司はまだ小学生だ。母親の事も、福岡の友達の事もこれから忘れていくというのか!


 私は決意した……私はどうなってもいい。せめて息子だけでも幸せになって欲しい。


 その一心で、各地にいる専門家や妻の知り合いを訪ねては引越しの繰り返し。結局なにも解決策がないまま時間だけが過ぎていく。



「時定……総司はウチで預かるけん」

「……母さん」



 私と息子を見兼ねた母さんが総司を引き取りに来た。


「あの子達に任せるけん安心せんね。時定も疲れたら戻ってきい」


 私は何も見えていなかったのかもしれない。総司を元に戻さなければという思いが先行して、今の息子を見ようともしてなかった。それでどれだけ寂しい思いをさせてしまったか。




「……みんなに……よろしく」





 これが、私達の忘却の彼方。




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