第9話 最後の小旅行
十月も半ばを過ぎた。
いぶきは瑛太に何度目かの告白を受けた際、「お友達になりましょう」と宣言したらしい。美奈子は不満そうだったが、いぶきにとっては相当気が楽になったらしく、意外とうまくいっているようだ。
十月は毎年平日の二日間を使って、元義父母に会いに行く。
元夫たちに遭遇しないよう、命日や世間の長期休みを外しているのだ。
「じゃあ、今回は電車ってことでいいわね」
今年は最後になるので二人で行くのだが、電車でも車でも片道三時間程度の距離である。たまには電車を乗り継ぐのもいいねと話し合ったのだ。
「あ、それがね、お母さん。二日目のことなんだけど。お母さんが友達に会ってるとき、私は近くで時間潰す予定だったじゃない。たまたまその話をしてたら、瑛太君が午後休みだからって、彼の大学を案内してくれるらしいの」
たしか彼の通う大学は、忍が離婚前に住んでいた街の沿線上にある。いぶきは大学に興味があったが結局諦めていたため、瑛太の申し出をとても楽しみにしていることが分かった。
「別にいいよ。大学って、部外者も入れるんだ」
「うん、大丈夫だって。学食に興味があるって言ったら、午後が休みだから連れて行ってくれるって約束したの。大学もだけど、学食って初めてだから、すごく楽しみ」
「よかったわね」
「それでね、夜の成人式の委員会に出るために瑛太君もこっちに帰るから、車でついでに送ってくれるって言うんだけど。お母さん、それでもいい?」
――あら。ついでなんて口実でしょうに。
思わず浮かれている瑛太の顔が思い浮かび、顔がにやけそうになる。
「じゃあ、二人で帰るといいと思うわ。その足で委員会に行けるでしょ?」
「ええっ、お母さんは?」
気を利かせた忍にいぶきが不満の声を上げる。不満というより、不安だろうか?
「お母さん一人なら、デパートに寄って、ちょっと贅沢に特急使って帰るわ」
「え、ずるい。特急いいな、デパートで何買うの?」
「ずるくない。駅前のデパートはちょうど見たかった絵画展やってるし、おばあちゃんのお見舞い用のお土産と、浅倉さんの誕生日プレゼントも探そうかなぁって」
浅倉とは、結婚を前提に正式にお付き合いを始めた。付き合うと言っても、ほぼ結婚準備と言っていいだろう。
亡くなった浅倉の妻子の墓参りに行き、元々交流があったが、彼の家族とも会った。浅倉の義理の兄からはなぜか忍は女神、いぶきは天使と讃えられ、下にも置かない歓迎ぶりで驚いた。忍の両親は、それはこちらのセリフですと恐縮していたが。
浅倉の姉は特にその傾向が強く、とくにいぶきは彼女に抱きしめられ泣かれてしまっていた。だがいぶきのほうは、何もかも分かってるような慈愛に満ちた顔で、彼女の頭を撫でていたのが不思議な光景ではあったのだが。
彼の友人たちとも会ったが、何人かはキャンプで一緒になったことがあるため、全くの初対面の人はいなかったのが不思議な気持ちだ。
今回は元姑に「友人として」その報告もする予定なのだ。本当は今回、忍の母も行きたがっていたのだが、腰を痛めて断念した。昨日からぎっくり腰で動けないらしい。母のために前に喜んでいた菓子を買おうと、スマホにメモをする。
「ええ、じゃあ尚更私も行きたいんだけど」
ぷくっとふくれたいぶきの頬をつつき、忍はわざと「めっ」という顔をした。
「大学、興味があるんでしょう? お母さんと別行動のほうがゆっくり楽しめるだろうし、帰りも時間のロスがない。お母さんは買い物を1人で楽しめて、ウィンウィンじゃない、ね?」
きっと忍が一緒でも、瑛太は嫌な顔をしないだろう。
話を聞く限り、いぶきとはきちんと友人の距離を保っているという。美奈子が言うには、「本当はすっごい未練たらたらで、まずは友人として信頼を得るため頑張ってるみたいですよ。あれは諦める気ないですね」らしいが。
時間は刻一刻と過ぎていく。だが、
「たまには何も考えないで楽しんできなさい。友達なんでしょ」
「でも、二人きりは……」
「記憶なんて曖昧なものなんだから、あとで覚えてなくても気にならないんじゃない?」
記憶の
「そうだね。――うん、わかった。そうする。ありがと、お母さん」
そしてソワソワと服を選んでる娘の姿を瑛太が見たら、多分彼はとても喜ぶだろうなと微笑ましくなる。だがいぶきは、瑛太の前ではけっしてそんな姿は見せないだろう。だが最後まで仲のいい友人の一人を演じ切ることを決めたのなら、それはそれでいいのだと思う。ただ楽しい思い出を、抱えきれないくらい作ってほしい。
* * *
一日目は予定通り元義父の墓参りに行った後、元義母とランチに行った。
元義母は忍の再婚予定に涙を流しながら喜んでくれ、いぶきには二十歳のお祝いにと美しい髪飾りとハンカチ、それから真珠のネックレスをプレゼントしてくれた。
「おばあちゃん、こんな高いものもらえないよ」
「いいのよ。女の子の孫はあなただけだもの。貰ってちょうだい。ずっと楽しみにしてたんだから。振袖の写真も可愛いわ。本当にきれいになって」
やっと写真館で撮った振袖の写真を見て笑う姿に、ほら早めに撮ってよかったでしょうといぶきに目で言う。仕上がりがギリギリだったが、間に合ってよかった。
どうせ忘れてもいいじゃないか。
いぶきは少し考えて、スマホに入れていた写真の一つを拡大して祖母に見せる。
「まあ、たあくんじゃない。立派になって!」
いぶきが教える前に、元義母はそれが誰だかわかったらしい。目をキラキラさせて少女のような顔になった。
「いぶちゃん、今もたあくんと仲良しなの?」
「うん、仲良しだよ」
祖母の言葉に一瞬目を見開いたいぶきは、すぐ無邪気な笑顔で頷いた。
「よかったわ。幼稚園の頃はいつも手をつないで歩いてたわよね。たあくん、いっつもおばあちゃんに、いぶちゃんは僕のお嫁さんになるんだって言ってたわね。いぶちゃんが引っ越してからは、お外で二、三度会ったことがあるけど、本当にさみしそうだったのよ。――そう。また会えたのね。ずっと会わせてあげたいって思ってたのよ。よかった、本当によかった」
「うん。会えたよ。ありがとう、おばあちゃん」
いぶきは少し涙ぐみながらも、祖母に握られた手を握り返してにっこりと笑った。
彼女と別れた後はいぶきが通っていた幼稚園を久々に見たり、昔住んでいたあたりを散歩した。元夫たちは隣町に越しているし、平日の昼間だ。まず遭遇することはないだろう。会ったとしても問題はないのだし、今はいぶきの行きたいところ、見たいものが優先だ。
幼稚園の小さな遊具に目を丸くしたり、小さなころ好きだったお店や公園を見ながら、他愛もないおしゃべりをした。
夜ホテルで忍が浅倉と電話で話していると、いぶきは瑛太とチャットアプリで明日の打ち合わせをしていたようだ。忍が久々に会うのは高校時代の友達だ。この土地に嫁いだものの今夫の転勤で海外に行っている彼女が、偶然帰国するという都合でたまたまだったが、結果オーライである。
朝食の後別れ、別行動をとる。
いぶきが自宅に帰ったのは深夜近くだ。9時まで委員会で、その後みんなでファミレスでご飯を食べてくるのでいつも通りのことである。
今日は楽しかったか娘に聞こうと思ったのだが、なぜかいぶきはソワソワとして落ち着きがない。
「瑛太君と何かあった?」
ずばり聞いてみると、いぶきはダイニングの椅子にへにゃっと座り込んでしまう。
「バレたかも」
バレた?
「何を?」
何のことかわからず先を促すと、いぶきはしばらく考えをまとめるように沈黙した後、「おばあちゃんからね」と話し始めた。
朝忍と別れたいぶきは、ウィンドウショッピングを楽しみながら大学に向かい、昼に正門の前で瑛太と落ち合ったという。
広いキャンパスで大学生になったような気持ちを楽しみ、瑛太と学食でお昼を食べた。食堂がいくつもあって驚いたらしい。そして食後ベンチで少し休んでいたところ、祖母から電話がかかってきたそうだ。
「おばあちゃん、超能力者じゃないかしら。たあくんは一緒? って聞いてきたのよ」
「あら、それはびっくりね」
おそらく昨日写真を見たことで、過去と今がごちゃごちゃになったのだろうと推察したが、いぶきはさぞや驚いたに違いない。
「で、つい、うんって答えちゃって。そしたら彼に変わってって言うから、瑛太君には祖母から電話なんだけど、適当に合わせてほしいってお願いしたの。どうせ忘れてるから平気だと思って」
瑛太は快くそれを引き受け、しばらく話を合わせておしゃべりしてくれたらしい。
だが徐々に表情が変わり、いぶきに電話を替わるころには何か考え込むような顔になっていたという。
「あー、思い出したの、かな?」
テーブルに突っ伏してしまったいぶきは、うめくような声で「わからない」と言った。
「その後は普通だったし。委員会に行く前に2人で軽食食べに行ったし、帰りも送ってくれたけど、特に何も言われてはいないの。でももしかしたらって思うと……」
「いや?」
いぶきはフルフルと首を振る。
「わからない。でも今は恥ずかしい、かな。思い出してないといいな。気のせいだって思ってほしい」
「そうなんだ?」
「うん。今日の会議で、成人式でメッセージ動画を流すことになったの。みんなで手分けして中学の先生のメッセージを撮影して、それを私と瑛太君で編集することになって。作業自体はバラバラにやると思うから別にいいんだけど、でも、今思い出されてもやりにくいというか……」
いぶきは複雑そうにひとみを揺らす。今の居心地のいい関係が崩れるのが怖いのかもしれない。
「ま、思い出したとしても、私が知らない振りすればいいかな。うん、そうしよう」
振り切ったような笑顔で、いぶきはそう宣言した。
* * *
翌日忍は浅倉と会うと、昨日の出来事を話した。
「へえ、そんなことが」
浅倉が忍の秘密を受け入れてくれたことで、忍の心の負担が驚くほど激減した。彼が忘れてしまっても、間違いなく心の支えになってくれた浅倉への感謝の気持ちは消えないだろう。
「ええ。でもいぶきは隠してますけど、夜中にこっそり泣いてるんです」
娘はバレてないと思ってるだろう。だが押し殺した泣き声を何度か耳にしている忍は、胸がはちきれそうだった。本当なら二人は両想いで、とても幸せなはずなのに。
せめて幸せな気持ちで旅立たせたい。
そんな思いを汲んでくれたのか、この後の浅倉の計画に忍は大きく感謝することになったのだ。
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