連作短編:能登シリーズ

Phantom Cat

能登の夏、接近遭遇の夏

1

「あ、カズぃ!」


 のと里山空港1F。到着ロビーの人混みと喧噪の中で、俺はその声を確かに耳にした。


 聞き覚えのない声だった。しかし、俺をその名で呼ぶのは間違いなくこの世で一人しかいない。


「シオリ……?」


 声の方を振り向くと、満面の笑顔で右手を大きく振っている人物がいる。


 確かに、その笑顔には六年前の面影がかすかにあった。だが、目の前にいるのは、声も姿も俺の知っている従妹いとこのシオリとはかけ離れた娘だった。身にまとっている地元の高校の夏の制服が、彼女の身分を明示していた。


「シオリ……大きくなったなぁ」


 背だけじゃなく色んなところもな、と心の中で付け加える。しかもかなり美人になった。こりゃモテモテだろう。


「当たり前やわいね。最後に会ったのウチが小学生の時ねんよ?……でも、カズ兄ぃはあんまり変わらんね。すぐ分かったよ」


 ニコニコしながらシオリが言う。


「そうか」


 それは全然成長していない、ということだろうか。


「で、迎えに来たの、お前だけ?」


おいねうん。おんは忙しいしぃ、あんたに任せる、言うたさけぇ、一人で車で迎えに来てん」


「え、お前免許あるの?」


「1ヶ月前に取ったばっかやよ。ほんでもぉンね、運転上手いってぇンね、ウチ教官に褒められてんて」


「へぇ」


 それなら命の心配はしなくて良さそうだ。それにしても、語尾が伸びて揺れる、この地方の独特の訛り。久々に聞いた。懐かしい。


「ほんなら、早速行かんけ? ウチの車、2シーターの後輪駆動やよ」


 そう言ってシオリはニヤリとする。


「マジか……すげえな、スポーツカーじゃん」


 親に買ってもらったんだろうか。羨ましい限りだ。


 しかし。


「……お前の車、これ?」


 セミの声が響き渡る、炎天下の駐車場。


 シオリが運転席のドアを開けたのは、白色の軽トラだった。スズキ・キャリィ。荷台の後ろに若葉マークが貼ってある。


「おいね。かっこいいやろ?」


「……」


 これって、彼女のじゃなくて、彼女の家の車だよな……


 俺が助手席に乗り込むと、シオリはマニュアルシフトを器用にこなして軽トラを滑らかに発進させる。運転が上手いという彼女の言葉に嘘はないようだ。


 しかし……


 制服で軽トラを運転する女子高生……実にシュールな絵柄だった。


―――


 空港からシオリの家、即ち俺の母親の実家までは、四十キロくらい離れている。今時の軽トラにはクーラーがあるので、道中は快適だった。


「……で、伯父さんの容態はどうなんだ?」


 俺は早速本題を切り出した。シオリの父親で俺の母親の兄、イチロウ伯父さんの見舞いが、今回の俺の旅のメインミッションなのだ。


 とたんに、ハンドルを握っているシオリの顔が曇る。


「うん……昨日手術やってんけどね……見舞いにはんでいい、って……」


「……」


 それはつまり、面会謝絶、ということか? あまり人に言えない病気だと聞いてはいたが……

 子供の頃、伯父さんには随分かわいがってもらった記憶がある。俺は胸が痛んだ。


「そんなに、悪いのか……」


「だってね……」


 辛そうに顔をしかめていたシオリが、いきなりいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「明後日で退院だから」


「……は?」


「うん。退院したらぁンね、後は二ヶ月に一回通院するだけでいいんやって。それも早ければ半年、長くて一年くらいで完治するげんて」


「なんじゃそりゃあ!」俺は思わず大声になる。「そもそも何の病気だったんだよ!」


「痔瘻」


「じろう?」


「ほら、お尻の病気やよ。だからあまり人には言えんかってん」


「……」


 完全に俺は拍子抜けしていた。つか、俺、何のために来たんだよ……


―――

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