第2話 新人類との邂逅
私は気づけば白い砂浜に打ち上げられていた。
波がちゃぷちゃぷと私の体にあたり、目をゆっくりと開けると、そこには赤い小さなカニが不思議そうに私を見つめていた。
ずっと長いこと眠っていたせいか、うまく体が動かないが、なんとか匍匐前進の要領で波の当たらないところまで進んでいき、近くの岩まで来ると、上半身を起き上がらせ腰をかけた。
「ここは……どこなんでしょうか」
あたりを見渡してみるが、どうもここには人の気配がなかった。
場所を見るに、ちょうど岸壁の間にできた小さな砂浜のようで、満潮になるとここは水没すると考え、早めにこの場所を移動しなければと、少しづつ体を慣らしながら、岩場につかまり、よろよろとした足取りで歩き始めた。
砂浜を少し歩くと、自然が生い茂る木々が現れ、それが森であることが確認できた。
森があるというところはどこかに川が流れているということであり、どこかに水源があるはずだ。
私はこの体にこびりついた塩に不快感を覚えており、すぐさま洗い流したい気分が先行し、すぐさまそれらしい水辺を探し回った。
森の中をずんずんと進んでいくと、奥のほうから水が落ちる音が微かに聞こえた。
その音のなるほうへ足を進め、とうとうそれが滝の音であることに私は歓喜した。
滝に近づくにつれ、空気中に漂う水しぶきが体にまとわりつき、ひんやりと体を濡らしていく。
がさがさと茂みをかき分けていくと、そこには透き通るような滝の水辺が現れた。
かつて私が見たこともないような、手付かずの水辺に私は興奮し、服をきたままその水辺へと勢いよく飛び込んだ。
私は水に浮かびながら生きているという感覚を大いに実感した。
さらさらとした淡水が私に引っ付いた汚れを綺麗に洗い流してくれているようで、私はそれに身を任せ、ぷかぷかとその水面を漂流した。
滝の水しぶきだけが水中でコポコポと反響する。
その心地よい音に身を任せていると、ガサガサと不規則に茂みが揺れる音が、心地よい水の音をかき消す不協和音のように聞こえ始めた。
「―――誰?」
私は浮かんでいた体を起こし、水辺の底が浅いところまで泳ぐと警戒しながら立ち上がり、じっと茂みを睨みつける。
その緊迫した空気に耐えることができなかったのか、茂みに隠れた生物がひょっこりの頭を出した。
私はその生物の姿に驚愕した。
まず目についたのは、なめらかな金色の髪、吸い込まれるような青色の瞳、そして長く伸びた耳である。
そして、私と同じような華奢な体躯を見ると、人間であることに間違いはない。
だがその髪や瞳の色、耳の形までが、どうも私の中の記憶と違い、近しいものを辿ってみれば、『エルフ』という神話に登場する種族に似ているような気もする。
『んjsfjmklmぃ;l?』
そのエルフは何語ともわからない言葉を発した。
エルフの手には、私の前に出る直前に拾ったであろう、茂みの枝を構えられている。
手先がプルプルと震えている様子から、エルフもまた私のような種族に初めて会い、恐怖におびえている様子が見られた。
エルフを体躯を見る限り、人間でいえばまだ10歳ほどの幼さがあり、その顔は女にも男にも見えるような中性的な顔立ちをしている。
私は目線を下げ、鏡のように私を映す水面に向けた。
そこには作られたような左右対称の顔に、長く伸びた黒い髪が映っていた。
その姿に不自然さは感じないが、私と対峙するエルフから見れば不自然極まりないのだろう。
私は両手を上げると、エルフに向け、敵意はないというポーズを取った。
『んfsl;;kじぇいhん!』
エルフはそのポーズを見ると、恐る恐る構えていた枝を下ろし、すり足で徐々に私に近づいてくる。
私はその場で腰を折り、片足立ちをすると、そのエルフの小さな手を優しく握り、手の甲にキスをした。
エルフの白く柔らかな肌はまだ汚れを知らない甘い林檎のような無垢な香りを放っていた。
私はどうにかコミュニケーションを取ろうと、自分が知る限りのボディーランゲージを試し、それがある程度理解されていることに安心した。
そして今はまだあなたの言葉はわからないということがエルフに伝わると、にっこりと笑顔を浮かべ、付いてきてといわんばかりに、私の手を握り、森の中へと誘っていった。
少しばかり獣道を進んでいくと、急に人工的に整備したであろう道へと出た。
整備といっても、無理やりそこにあった茂みを伐採し、土を何かの板で押し固めたような粗い作りをしている。
その道をまっすぐと進んでいくと、辺りはだんだんと大きな巨木の立つ森へと変化していった。
そうしてその巨木の森を迷わず進んでいくと、あるところに木でできた櫓のようなものが見え、そこにはいま私を引き連れているエルフと同族と思われるエルフが門番として、来訪者を見張っていた。
その門番をしていたエルフは私たちを見るなり、2階から大慌てで降りてきて、私たちの前まで駆け寄ると、握られた私の手から幼いエルフを引きはがし、そのエルフを頭ごなし怒鳴りつけていた。
その門番をしていたエルフは、華奢でありながらきちんと筋肉が浮き出ており、すぐに雄であることがわかる。
幼いエルフは、その門番のエルフに負けじと、唾を飛ばしながら一生懸命に言い争いをしている。
その言い争う声が予想以上に大きく、森の中に木霊するものだから、遠くのほうからわらわらとエルフたちが様子を伺いにこちらへと近づいてきた。
言い争うエルフ2人をなだめようと数人が話し合いに参加したが、門番のエルフが私を指さした途端、そこにいた全員のエルフの目線がこちらへと向いた。
幼いエルフは泣きじゃくった顔で、その場から逃げ出し、私の元へと駆け寄る。
そして私の太ももにぎゅっと抱きつき、やだやだやだと額をすりすりと擦り付けた。
私はその可愛らしく抵抗する姿に愛おしさを覚え、すりすりと優しく頭を撫でた。
『ダイジョウブ』
私は先ほどから話しているエルフたちの言語のアルゴリズム解析を済ませ、片言ではあるものの、エルフたちの使う言語を多少なりとも話せるようになっている。
その言葉に幼いエルフは驚き、「お姉ちゃん話せるの?話せるの?」としきりに伺ってきた。
私は軽く頷くと、その幼いエルフの手を引いて、先ほどまで言い争いをしていたエルフたちの方へと向かう。
『ワタシハ、テキ、デハナイ』
そう言うと、私は幼いエルフの手を離し、敵対心がないことを証明するために両手を挙げた。
エルフたちは自分たちとは違う種族の生物に警戒をしていたが、幼いエルフが一生懸命に「お姉ちゃんは敵じゃない!」と泣き叫ぶものだから、その気圧に押され、少しづつ肩の力を抜いていった。
すると、エルフたちがささっと道を真ん中で割るように開け、そこから腰を曲げたエルフのお爺さんが長い白い髭を垂らしながらこちらへと向かってくる様子が見えた。
そのお爺さんはゆっくりとしたスピードでこちらへと向かい、私のもとまで歩み寄った。
「君はどこから来たのかね?」
『オボエテハ、イナイ。ウミカラ、キタ』
「ほほほ、それでは海の女神とでも言ったところかな」
『ウミノ、メガミ?』
「その話は後でしよう。君に敵意は感じられないし、力も感じない。どうじゃ?少しここで泊っていかんかね」
『ヨロコンデ』
私が承諾すると、お爺さんは私の手を両手で包み込むように握った。
その慈愛の籠った握手に、私は人間の愛をいうものを感じることができた。
一連の出来事が収束し、私はこのエルフの村長(同行時に教えてもらった)とともに、集まったエルフを連れ、住居まで徒歩で戻っていった。
櫓より300メートルほど歩いていくと、ちらほらとそこに住むエルフたちが見え始め、村長の後ろを歩く私の姿を見ては、その場で硬直し視線を何度も上下させている。
私はそのエルフたちが驚愕している姿を横目に、エルフたちの住居を見上げた。
エルフたちの住居は、土地ではなく、巨木と巨木の間に橋を垂らし、大きなツリーハウスが何個も何個も重なり合い住居群を成している。
その幻想的ともいえる空中住居に招待され、私は村の集会所へと村長と幼いエルフとともに向かった。
集会所で到着するやいなや、村の幹部ともいえる老若男女が一同に介し、村長と私の前に左右に分かれてズラリと座った。
「よく集まってくれたな」
村長が口火を切り、今回の集会の目的を話し始めた。
議題はもちろんのこと、私の存在であり、ところどころ理解できない部分もありながら頭の中で整理すると、「私をこの村に居住させるかどうか」というものであった。
議論は私が思っていた以上に紛糾し、居住賛成派と反対派で、怒号が飛び交うほどに加熱してしまっている。
大人たちの言い争う姿を見て、幼いエルフは涙目となってしまい、村長はその怖がる姿を見て、幼いエルフの恐怖を癒すように優しく頭を撫でた。
「そろそろいいかね、諸君」
村長が議論を割くように言葉を放つ。
その瞬間、言い争っていた怒号が嘘のように止まり、霧散した。
「それでは多数決を取ろうかの。居住に賛成のものは手を挙げい」
静かに過半数が手を挙げた。
その様子に手を挙げなかったものは少し不服そうな表所を浮かべたが、多数決で決まったことに抗うことはできず、粛々とその結果を受け入れた。
「これで決まったな。よかったの女神さん」
『アリガトウ、ゴザイマス』
「それじゃあ、簡単に皆に自己紹介をしてくれんかの?」
村長は微笑みながら私に話すように促す。
私は少し緊張しながらも、一呼吸置き、ゆっくりと口を開けた。
『ハジメマシテ、ワタシノナハ、ラム』
ラムという言葉に、皆が少し動揺したのが見て取れた。
私はその様子に構うことなく話し続ける。
『トオイ、ハルカ、ムカシカラ、ヤッテキマシタ』
「海からやってきた……というのは本当か?」
若い男が前のめりに興味津々な様子で聞いてきた。
『ホントウ、デス』
ほほうと皆が顔を向き合いながら、賑わい始める。
私はその賑わいが何を意味していたのか、その時はわかってはいなかった。
居住について一悶着があったものの、それが終われば私を家族としてエルフたちは向かい入れてくれ、私はこの村で過ごすこととなった。
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