月のネイラ
cocoron
第1-1話 天海島
月のネイラ
cocoron
ベッドのヘッドボードにに埋め込まれたスピーカーから、大ボリュームで流行歌が流れた。シャウトで始まるアップビートな曲だ。
「うるさい!」
音乃が上目遣いに時計を見るとカレンダーは2122年4月20日の月曜日、時刻は午前3時を指している。なぜこんな時間に目覚ましが鳴るのか。高校生活も2年目に突入し、新年度が始まってやっとリズムに乗り始めたばかりだ。いつもは7時に起きている。何か用事があったっけ?昨夜寝る前に、なぜ目覚ましをセットしたのか。
思い出せ、思い出せ……。ぐぅ。
「あっ!」
音乃は素っ頓狂な声をあげると、布団を跳ね飛ばして、ベッドから転げ落ちた。時計を見ると午前3時30分。2度寝してしまった。
音乃の起床を感知して、ハウスAIが部屋と廊下の照明を点けた。
「Spacieの歌を目覚ましに使うのはもう止めよう」
「Spacie」は音乃がお気に入りの歌姫である。壁に貼ってある大版のパネルが飾ってあるは、セクシーなステージ衣装で堂々と歌い上げる彼女の姿が映っている。イベントの景品で入手した非常に貴重なものだ。
「好きな歌んか鳴らしたら、目が覚めても聞き入ってまた寝ちゃう」
ジャージに着替えると携帯端末「A iフォン。をポシェットの突っ込んだ。 「明日からバリガンのラップにする」
バリガンはクラスで人気のラッパーだが、音乃は「ただの愚痴ラップ」と、手厳しい。
2階の部屋から階段を降りると、台所で水を飲んだ。歯みがきしている暇はない。戻ってからにしよう。
家族には出かけることを知らせてあるので、物音をたてても誰かが起きてくる様子はなかった。
音乃が外に出ると辺りはまだ真っ暗だった。しかし空は澄んでいる。
春分の日から一ヶ月ほど経つ。本土ならば間もなく夜明けの気配が感じられる時間だが、ここ天海島(あまみしま)は小笠原諸島の南端にある。日本領土としては、かなり赤道に近い。なので本土に比べると、一年を通じて昼と夜の長さの変化が少なく、夜明けの時刻から季節を感じることはなかった。
音乃は午前4時に予定されている宇宙ロケットの打ち上げを見に行こうとしていた。まだ暗い頃合いなので、エンジンの噴炎が美しく映えるのだ。
丘まで行かないと海は見えないが、風に乗ってかすかに潮の香りがした。微風だ。春先は強い風が吹くので心配したが、これなら大丈夫。音乃は玄関脇から自転車を引っ張り出した。
しばらく考えた後、自転車を戻した。崖を越えた方が早く目的地に着けそうだ。アスファルトの坂を駆けあがり、道路の片側の擁壁に手をついた。
天海島は全くと言っていいほど自然が無い。
ほぼあらゆる場所がコンクリートで固められている。まるで要塞のようなたたずまいである。
その昔、天海島は漁業で栄えていたが、島民は奇怪な風土病に苦しんでいた。
病気の原因は寄生虫だった。これは山で繁殖しているカタツムリの一種が媒介していた。病気の根絶にはこのカタツムリを絶滅させねばならず、そのために小さな島の山林と川は、ほぼ全域がコンクリートで固められてしまった。
島民の殆どは漁業で生計を立てていたことと、もとより台風の多い地域なので、この強引な開発も、RPCの頑丈な家屋と交換に反発なく受け入れられた。
しかし、天海島の漁業はほどなく衰退し、住民も島を離れた。一時期、天海島は無人島になっていたのだった。
音乃は、擁壁を構成するブロックの継ぎ目に手をかけた。彼女の趣味はボルダリングである。擁壁の高さは4~5メートルほどだろうか。この崖はいつも練習に使っているので、よじ登るのは、お茶の子だった。
島の最高峰天海山はぐるりと道路が周回しており、音乃の家から一週上には天海高校の学生寮がある。もう一週分をショートカットすると、山頂への道と小天海山へ続く稜線の道路にでる。山頂に向かう門にはゲートがあり一般人は立ち入れない。音乃は小天海山へ向かった。ただし頂上には行かない。
小天海山の頂上には展望台がある。島は一般の観光客を受け入れてはいないが、メガフロートや各施設の住民が見物に訪れるので、打ち上げ時は結構な混雑になる。音乃は道路の柵を乗り越えて植林地帯に入った。ポシェットからAIフォンを取り出すと内蔵のフラッシュライトで足元を照らし、ゆるゆると斜面を下る。
ふいに地面が途切れ、切り立った崖になった。音乃は傍の木に足を突っ張って、土の斜面にもたれかかった。少し危ないが、ここは音乃の秘密の場所だ。島の半分とロケット打ち上げ場が一望できるのだ。
月並みな表現だが、足元に広がる風景は宝石箱をひっくり返したかのようだ。殆どの施設が昼夜を分かたずに活動しているため、夜は都会の繁華街よりも明るいかもしれない。
街の向こうは暗い海が横たわる。そしてさらにその向こうには星空が広がる。しかし、街の輝きと海に横たわる光の花壇が明るく、満天の星とはいかなかった。
光の花壇とはロケットの発射場だ。街とは連絡橋で繋がっており、道路照明が真珠のネックレスのように美しい。音乃はしばらく光の粒に見とれていた。
21世紀の中頃、エネルギー革命が起こった。人口光合成によるメタネーションである大気の温暖化ガスを原料に燃料用の天然ガスを生産する。co2からメタンを合成したり、大気中の窒素化合物からアンモニアを合成する。太陽光を利用する触媒が次々に発見されたのだ。大気の組成変化による地球温暖化問題は多くが解決した。エネルギーもこれら人工光合成プラントによるメタンの生成で、火力発電ではあるが。解決した核のような巨大エネルギーは鳴りを潜めたが、ま兵器気くらいしか用途がないのでやむをえまい、宇宙開発には少なからず用途があるらしいが。あまりくわしくない。とりあえず太陽が照っていれば、生活に必要なエネルギーが生産できるようになった。しかも燃料を作るほど、大気の二酸化炭素が消費され空気が綺麗になる。実に都合のいい循環が完成したのだ。
現実にはそう簡単には行かない。多少はましになったとはいえ、人類の営みに伴う地球環境の歪みは決して消えることはない。資源はエネルギーだけではない。しかし、先進国と呼ばれる地域では環境保全運動はごみ問題にシフトしつつあった。にうした運動は目的が大きく、抽象的な方が活動しやすい。例えば人類の未来とか、地球の生態系とか。具体的になると、利害の相反が顕著になる。大抵はそのどちらにも真っ当な理由があるからだ。
なので先鋭的で過激な最近の環境活動家は、宇宙の環境保護を看板に掲げていた。最初はただの題目だったのだろうが、今や彼らは本気である。
たしかに、地球の軌道では人工衛星のデブリが問題になってはいるが、宇宙の広大さにくれべれば人間は余りにちっぽけだ。
先ごろ、どこかの企業が小惑星を砕こうと小型の核爆弾を宇宙に持ちだした。ところが、小さな穴をあけただけでほとんど効果が無く、担当者は頭を抱えたという。
もっと大きな爆弾を……と計画されたそうだが、地球からそんなものを打ち上げて、ロケットが事故を起こせばどうなるのか。核爆弾が粉になって降ってくればそれこそ一大事である。計画は中止になった。
いかがわしい爆弾は地球で使えば、土砂や大気を巻き込んですさまじい破壊力をもたらすが、何もない宇宙空間ではそれほどの威力は発揮できない。人類は地球の運命を左右するようになったと恐れおののいたが、実はそれも一種の奢りに過ぎなかったのかもしれない。
そんなわけで、核爆弾も原子力も後始末に困ることとなった。
核廃棄物の最終処分場として日本が選択したのは深海底だった。小笠原諸島の東、世界最深級の日本海溝である。その深さは8000メートル以上にもなる。一度ここに投棄されたものは、歴史の終わりまで再び上がってくることはないだろう。ちなみに北欧に建設された地中の最終処分場は地下450メートルである。
この結果、投棄予定地の近くにあり、無人島だった天海島は大規模な再開発が行われることになった。日本海溝の縁までの大陸斜面に、いくつかの中継基地が設けられ、天海島はそれら基地のハブとなったのだ。
エネルギー革命は、日本と人類に再び活力を生じさせた。
当初は廃棄物の処理場として開発が進んだ天海島だったが、深海底の基地建設が進むと、様々な海底資源が発見され、ロボットによる採掘が行われるようになった。島にロボットの整備工場と資源の集積所が造られたが、たちまち手狭になった。このため、本土から工場を丸ごと乗せたメガフロートが曳航され島に接岸された。
さらに、赤道に近く周囲が海洋という利点を生かして宇宙ロケットの発射基地が建設された。これは、浅い海に2重になった巨大なシリンダーを立てた構造をしている。
中の筒にロケットが入り、外の筒との間の海水を汲みだす。打ち上げの時にはこの空間に海水を落とし、内側のシリンダーの底にあるピストンを空気圧で持ち上げ、ロケットを空中に放り出すのだ。
この空気カタパルトでロケットの一段目の燃料を節約することができるのだが、水平線から宇宙ロケットが飛び出す様子は他で見ることはできない。直接見ることができるのは島の住人の役得である。今は都市を丸ごと乗せたメガフロートも増設され、島は元の大きさの数倍の大きさになった。
天海島は、元々は別の名前だったという。ロケットの発射基地ができてから、宇宙と海を結ぶ島として、「天海島」あるいは「天海橋」と改名されたのだった。音乃の両親は海洋学者であり、音乃が中学校に上がる時に一家で引っ越してきたのだ。
音乃はA iフォン から聞こえる打ち上げカウントダウンを聞いていた。30秒前になったが、カウントは順調だ。しかし油断はならない。このタイミングで打ち上げ中止はざらである。
「5・4・3・2・1…」
光の花壇の中央からオレンジに輝く光の花が立ち上がった。一瞬の間をおいて、轟音が届く。光の棒はゆっくりと、しかし徐々に速度をあげながら星空に昇って行った。
音乃はいつの間にか立ち上がっていた。感動で目が潤んだ。
「私も行くぞ。宇宙に行く!」
宇宙パイロットを夢見る音乃だが、両親は、断固反対である。 音乃は空を見つめながらつぶやいた。
「動画を撮るの忘れてた」
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