え、おれの押入れって異世界なんですか?

ようすけ

第1話 押入れが異世界なんですけど




 押入れの中は魔法の世界に繋がっていると考えていた。

 もちろん、わたしの頭の中での話だ。

 

 ある日、わたしは押入れの中に収まって呪文を唱え始めた。人に聞かせられない意味不明な言葉の数々だ。

 

 すると急に目の前が真っ暗になり、かと思うと強烈な光に包まれた。


 目を覚ますと北欧の牧草地帯にいる。


 実際に北欧かどうかは分からなかったが、風車小屋が見えたし、明らかにエミリーとでも名前で呼ばれてそうなそばかす女が呆気に取られた表情でわたしを見ているのだった。


 右手に桶を持っていた。ヤギミルク入りのものだ。

 彼女がわたしに言った。日本語だ。

「あなた誰?」

 わたしは自己紹介をした。「突然のことで、自分も戸惑っているんだ」

「別世界から来た人よね? 知っているわ」

  

 異世界転生だ。わたしは浮足立った。


 この世界でわたしを知る人間はいない。


 人に出会ってそれが知り合いかどうか確認する為にちらとその人間を上目遣いで盗み見る必要もないのだ。


 思い切り暗黒世界に浸ることができる。

 

 女性の名前はナターシャだった。

 ナターシャの後に続き、わたしは武器を見せられた。

 斧や鎌、槍などだ。

「今は冒険の始まりだからこれだけしかないけど、後でクエストをこなす事で選択肢は増えていくわ。防具よりもまずは武器よね?」

「この世界では人を殺したら警察が来るの?」と聞いた。

 

  ナターシャが困ったような顔をした。

  すぐにその表情は怯えに変わった。

 

          人を殺したいの? 


      というような質問をナターシャはぐっと飲み込んだのだ。

   わたしはナターシャの答えを待った。

 

 最初のクエストは逃げた羊を探し出せ、というものだった。


 わたしは狼を一匹充てがわれた。


 棍棒を手に草原を歩き始めた。逃げた羊には尻の辺りに禿げた跡がある。それは群れを統率する狼が逃し際に目印として付けたものだ。

 

    狼の名前はギブソン。わたしが付けた。

 ナターシャが説明する。「ギブソンはとても賢い子よ? あのまま逃げた羊をギブソン一人で追っていたら、群は崩壊して羊たちは思い思いに草原を散らばっていたでしょうね」


 

 ギブソンがわたしの傍で鼻を鳴らした。わたしとギブソンはまだ出会って間もなかった。百戦錬磨のギブソンとしてはわたしの事をただの青二才としてしか認識していなかった。


 ギブソンが言う事を聞く為のリボンをわたしは道具屋で買わなければいけなかった。そのせいでわたしの武器は結局、一番安い棍棒となった。

 

 ナターシャに見送られ、わたしとギブソンは草原に出ていった。


 最初のクエストを難なく攻略し、次のクエストも難なく攻略した。人生はこうでなくてはいけない。わたしはやれば出来るのだ。問題はそれがやりがいの感じる何かではなく、自分以外の人間がでも出来るような事柄だったので中々本気が出せないでいるだけなのだ。


  異世界での夜が終わった。

 旅の記録付けるとわたしは押入れの世界に強制的に戻された。ナターシャの意味深げな笑みが思い出された。


     彼女はこうなる事を知っていたのだ。


 押し入れから出て、自分の部屋の冷蔵庫に向かった。

 冷蔵庫の中には蝙蝠の死体が入っていた。ある晩に公園で落ちているのを拾ったものだ。それがわたしにとってはファンタジーだった。


 だが、今やわたしは押入れの中の世界を手に入れたのだ。ナターシャの事を思い出した。彼女を恋人に出来ないことは分かっていた。

  

 嫉妬したのは、わたしが今こうして押入れの外の世界に出ている間にも、ナターシャは新たな冒険者を受け入れていて、彼らに対してわたしにしたのと同じように微笑み掛けていることだった。

 

 その日はぐっすりと寝た。 

 

 

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