にゅうめんマンの過去(12)
鶴彦はにゅうめんを伝って、野原の松の林の陰の小さな瓦葺きの家の前に降り立った。久しぶりに吸うシャバの空気がうまい。少しばかり地上の景色を眺めてから、目の前の平屋の引き戸を開けて中へ入った。
外から見たとおり中も普通の家だった。強いて言えば、よく見る一戸建ての家よりは小さめでやや造りが古い。鶴彦は住宅のことには詳しくないが、50年くらい前に建てられた家ではないかと想像した。ただ立地が妙だ。何もない野原の松の林の陰に一軒だけぽつねんと家が建っている。しかしまあ問題はないだろう。
玄関のかまちを上がると左手は狭い台所になっていた。右手は壁だ。正面はガラス障子で仕切られていて、それを開けると居間に通じていた。居間の真ん中にはちゃぶ台があり、その脇に布製の覆面と服が何組か折り畳んで置いてあった。鶴彦はまず覆面を手に取ってチェックした。
覆面は黒い布でできていて、顔の口より上が隠れる形状だった。1文字が4cmほどの大きさの「にゅうめん」というななめ向きの文字が、生地全体に金泥(きんでい)で繰り返し書き入れてあった。服は、同じ素材・同じ柄の生地で作られた、スピードスケートのユニフォームのようなコスチュームだった。はっきりいってダサい。衣装のテーマ(=にゅうめん)が優れているだけにセンスの悪さが惜しまれる。でも、にゅうめんをテーマにデザインしてあるのは、鶴彦の好みに合わせようというシャカムニの気遣いなのだろう。
部屋の左手奥には押入れがあった。布団の類が入っているのだろうと思ってふすまを開けてみたら、思いがけない光景に鶴彦は驚いた。そこに山と積まれていたのは布団ではなく、数千食分のそうめんの束だったのだ。ネズミ、ゴキブリなどにかじられることを防ぐためか、いくつかに分けて透明のプラスチックの箱に入っていた。そうめんが置いてあるのは押入れの上段であり、下の段にはカツオ節、昆布、煮干し、干しシイタケ、ワカメ、ヒジキ、身欠きニシン、干しイカ、干しエビ、干しアワビ、干し肉、切り干し大根、ドライべジタブルなどのさまざまな乾物や、トマト、カニ、サバなどの缶詰、醤油、味醂、塩、唐辛子などの調味料が、これまた山積みになっていた。これを食べて暮らすようにということか。
居間の先にはトイレと風呂があった。両方ともちゃんと水が使えたし、風呂では湯も出た。水道やガスの契約がどうなっているのか分からないが、そのあたりのことは、シャカムニがとりはからってくれているのだろう。
それから台所をチェックした。多少せまくはあるが必要な物は一通りそろっている。冷蔵庫もある。当然流しもあり、2つの蛇口がついていた。水と湯を表す青と赤の印がついた、よく見るタイプの蛇口だ。青の蛇口をひねると果たして水が出た。次に赤の蛇口をひねった。すると薄く色のついた変な湯が出た。湯気が立っているので少なくとも湯ではあるようだ。
《何じゃこりゃ》
鶴彦は大いにいぶかったが、次の瞬間あることに気づいた。湯からすごくいい匂いがするのだ。もっと具体的に言うとおいしそうな匂いがする。
《まさか――》
鶴彦は一旦蛇口を締めた。そして、かたわらの水屋から小鉢を取り出し、再び蛇口をひねって少しだけこの湯をくみ、恐る恐る口をつけた。――にゅうめんの汁だった。しかも、ものすごくおいしい。
《何てことだ。にゅうめんの材料がすべてそろっているじゃないか……》
というわけで、鶴彦は人間界復活記念のにゅうめんを作ることにした。
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