にゅうめんマンの過去(8)
「う…………うごご……うごごご」
一品餓鬼道へ送られてにゅうめんの供給を断たれた鶴彦は、数週間もたつ頃には正気を失い、地面に横たわってうめいたりごろごろ転がったりする暮らしを送っていた。そこは餓鬼道とは名ばかりの、まぎれもない地獄道だったのだ。鶴彦はすでに死んでいたので、何も食べずにそういう生活をしていてもそれ以上死ぬことはなかったが、そのような状態で存在し続けるのは幸せなことではなかった。
だが、そのような暮らしを続けて数カ月がたったとき、思いがけないことが起こった。天上から鶴彦の頭の上にするすると糸が垂れてきたのだ。それを見た鶴彦はピンときて、にわかに正気を取り戻した。というのも、芥川龍之介の小説『蜘蛛(くも)の糸』を読んだことのあった鶴彦は、その小説の内容から、この糸を上れば極楽へたどり着けることに気がついたのだ。
《このクモの糸の先で、にゅうめんに満ちあふれた世界が俺を待っている!!!!!!!!!!》
という一心で鶴彦は糸に手をかけたが、その途端思いがけない感触に驚いた。
《クモの糸じゃない!》
その糸は手ざわりがつるっとしていた。それにクモの糸より大分太い。
《これは……そうめん?》
しかし、そうめんにしても何かおかしい。芥川龍之介の小説に出てくるクモの糸は「美しい銀色の糸」と表現されているが、鶴彦の所へ垂れて来た糸はうっすらと黄金色(こがねいろ)に輝いていた。
《まさか……》
鶴彦は緊張に震える手で糸をつかみ、先っちょをちぎって口に含んだ。――にゅうめんだった。黄金色に輝いていたのは汁の色がめんに染み込んでいたからだ。にゅうめんを食べられないはずのこの世界でなぜ空からにゅうめんが降りてきたのか分からないが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を参考にするならば、鶴彦の苦しみようを見たシャカムニ(仏陀)が慈悲(じひ)を垂れてくださったのだろう。
鶴彦は黄金色のにゅうめんをもう一にぎりちぎって食べた。ほんの一欠片(ひとかけら)のめんではあったが、そのおいしさと懐かしさに、鶴彦はあふれる涙をとどめることができなかった。だが、いつまでも感涙にむせんでいるわけにはいかない。すぐにこの糸を上って、夢と希望とにゅうめんに満ちれる世界まで行かなければならないのだ。
鶴彦はにゅうめんを上り始めた。しかし、極楽とにゅうめん餓鬼道との間には膨大なへだたりがあるので、あせっても容易に上へは出られない。しばらく上るうちにとうとうくたびれて、もう一たぐりも上の方へは上れなくなった。仕方がないので一休みするつもりで糸の中途にぶらさがって、さっきまで自分がいた、はるか下の地面を見下ろした。するとどうだろう、にゅうめんの下の方から、数限りもない軽犯罪者たちが、自分の上った後をつけて、まるでアリの行列のように、上へ上へと一心によじ上って来るではないか。
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