第2話 2027年 夏 ②
頭の中にアイディアがある。
極めて冷静に考えた上で、眠る前には最高だと思われる物。
朝起きると、どこか曖昧模糊として、そこまでいい考えではないのかもしれない、そう思い始める。
白日にさらされて、色あせるような、恥ずかしいような。
それでも、完全に忘れることはない。
数日間、場合によると数か月、鳴りを潜めていることはあるが。
大抵の場合、追い立てられる日常の中、影の様にそれを引きずったまま歩く。
そして、ある日の胸が締め付けられる様な切ない夕暮れ時、あるいは、やるせなく眠れない真夜中に、ふと這い出てくる。
失った時を思い、俺は何をしてきたんだ、という自戒と共に。
明日から、俺は変わるんだ、という決心を引き連れて。
それでも、また、奇妙なことに、朝になると陽の光に照らされて、影を薄くする。
そういう何かしらの、自分の人生を一変させるようなアイディア。
それは、多くの場合実行されない。
夜と朝と昼を、快楽と怠惰と義務に追われるように繰り返すうちに、いつか読もうと思ってしまっている本のように存在が薄れていき、脳のどこかにある箱に人知れず仕舞われ、やがて本当に永遠の夜が訪れるからだ。
光陰は、矢のごとし。
それでも、ごくまれに、その考えが実行されることがある。
実行にはエネルギーがいる。
莫大な。
プラスのエネルギー、すなわち、純粋な勇気、あるいは愛でもってそれを行う者は少ないし、一度社会に出るとその種のエネルギー残量は常に枯渇してしまう。
だから、ほとんどの場合、エネルギー量はともかく、動機は正に逆、つまりは、自暴自棄でもって、それに取り掛かることになる。
長い言い訳になったが、つまり、電気を止められた日から1か月経ち、今こうして、巨大な黒光りする建造物の前に居る理由は、そういうこと。
きっかけが、紫音と別れた事なのか、それとも、電気が止められた事なのか、あるいはその両方であったり、更に言うと、物事は知らず知らず蓄積して、ある日溢れだし、取り返しがつかなくなる故なのかは、自分では分からない。
ただ分かるのは、衝動が有った事実と、それに伴う結果のみ。
あの日、電気が止まっているのが分かった後、それこそ屍のように、冷蔵庫を開け、ぬるいポカリを飲み、次いで溶けたパピコを吸いつくし、冷蔵庫を空にした後、特に理由も考えつかずに外に出て、エレベーターに乗り、一階のポストを見に行った。
部屋の中より、外の方が涼しいなんて、笑える、そう思ったことだけはぼんやり覚えている。
その後で、何も考えることなく、自分の部屋番のポストを開け、郵便物を漁った。
今日日、知り合いから郵便で手紙が届くなんて、ファンタジーでしかないが、それでもまだ、ゼロではないし、街中で紙媒体を見なくなって久しいにも関わらず、相変わらずチラシは投函されていた。
失うのは一瞬だと人は言うが、全てが滅ぶには、きっと気の遠くなるような時間が必要なのだろう。
形が無くなって、やがて誰の記憶からも無くなった時、完全に滅んだと言えるのだろう。
自分の行動が何をしているのか、はっきり認識はしていなかったし、思い返してみても本当に紫音からの手紙が来ていないかを確認するためにポストを漁っていたかどうか、断言は出来ない。
ただ、まあ、考えてみれば、それ以外、ポストを開ける理由もなかった気はする。あるいは、紫音からの音信だけでなく、何らかの変化を望んでいただけかも知れない。
結果。
お目当ての、いや、期待する物はなにもなく、出前のチラシや、分譲マンション、車のチラシや、風俗のチラシを順に捨てて行くと、ただ、1枚のチラシが手元に残った。
期待が、失望から、絶望に変わるまで、人はすがる物を必ず見つける。
それは、けして金塊や、当たった宝くじとは限らない。
要は、何でもいいのだ。
輪郭がある物ならば。
例えば、誰かの肉体や、温もりでも。
俺の手が掴んだ物は、1枚の求人票だった。
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