第2話 叶うなら、もう一度

「ただいま」


「おう、お帰りー」


 家に帰り、いつも通りただいまと言えば、お帰りと返ってきた。そのことに驚きは無い。むしろ、暁の母親はそういうのにうるさい人なので、暁はお帰りもただいまもしっかり言っているし、母親も言っている。


 驚いたのは、その声が母親のものではなく、家族以外の男性の声だったからだ。


 両親は数年前に離婚しており、暁の家族は母親のみ。だから、宮前家に男は暁しかいない。それなのに、家の中から男性の声でお帰りと返ってきた。


 その事に、必然驚くけれど、その驚きも直ぐに冷める。何せ、家族以外の男の声ではあったけれど、よくよく思い返せば聞き覚えのある声だったのだから。


 部屋に行く前に、リビングに行けばそこには予想通りの人物がソファに座りながらテレビを見ていた。


「よっ」


「なんで葉太ようたが……」


「夕飯作りに来た」


「作ってるようには見えないけど?」


「葉太じゃなくて、私だけどね!」


 目の前の少年――葉太とは違う、少女の声。


ダイニングキッチンの方を見やれば、そこにはエプロンを身に付けた少女の姿が。


「お帰り、暁」


「……ただいま」


 暁が返せば、にこっと花が咲いたように微笑む少女。


 彼等は暁の幼馴染である。兄の方が鳴無おとなし葉太、妹の方が鳴無葉月はづき。葉太は同い年で葉月は一つ年下である。


「母さんは?」


「急患が入ったから、ちょっと長引くみたいだぜ」


「それで、わたしがお夕飯を作りに来たってわけ!」


 暁は自分の携帯端末を確認してみれば、母親からメッセージが届いていた。


『お夕飯は葉月ちゃんにお願いしたから、暁もお手伝いよろしくね!』


 時間を見れば、丁度暁が黄昏れていた時だ。校内ではマナーモードにしてるから、まったく気付かなかった。


「手伝うよ」


「いーよー。もう終わるからね!」


「好きにさせとけよ。それより暁、今日出た宿題で分かんねぇとこあんだけど、教えてくんね?」


 言うが早いか、葉太はテーブルの上に宿題を広げる。何故葉太がいるのか疑問だったけれど、どうやら宿題を手伝ってもらうためらしい。


 葉月に視線を向ければ、苦笑しながら一つ頷いていた。


「分かったよ。荷物とか置いて来るから、ちょっと待ってて」


「おう」


 暁はいったんリビングから自分の部屋へと向かう。


 鞄を置いて、部屋着に着替える。


 その後、パソコンの電源を入れて我に返る。


「……はぁ……」


 溜息を吐いて、パソコンをそのままにしてリビングへと向かった。


 つい、いつもの癖でパソコンの電源を入れてしまった。


 アイアンのデータはパソコンに入っている。パソコンを起動させ、パソコンと同期しているヘッドセット型のバーチャルギアを起動させてからアイアンにログインする。


 その一連の動作の癖が、どうにも抜けない。


 つい一月前まではそうするのが当たり前だったのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだろうけれど。


 リビングに戻り、葉太の宿題を少しだけ手伝ったあと、三人で夕飯を食べる。


「そういやさ、暁は進路どうすんの?」


「え?」


「えって、お前なぁ……」


 呆れたような顔をする葉太。


「お前、俺達もう中三だぞ? 今から進路気にしないとまずいだろ」


「あ、あぁ……いや、葉太の口から進路の話が出るとは思わなかったから……」


 葉太はサッカー部のレギュラーであり、部長でもある。スポーツ推薦も幾つか貰っていると聞いていたので、てっきりもうどこへ行くのか決めてしまっているのだと思っていた。


「俺だって気にするっつーの。さてはお前、俺の事馬鹿にしてんな?」


「そうじゃないって。葉太はもうどこ行くか決めてるもんだと思ってた。スポーツ推薦貰ってるんでしょ?」


「まーな。けど、ちょっと迷ってる」


「なんで? 強豪校ばっかりって聞いたけど? あぁ、だから迷ってるの?」


「いや、それもそうなんだけどよ……」


 少しだけ歯切れの悪い葉太に、暁は小首を傾げる。


「なんつーか……サッカーも好きだけどよ、それ以外も充実させたいだろ? そしたら、友達ダチが多い場所の方が良いなーって思ってよ」


「葉太なら新しい所でも直ぐに友達出来そうな気がするけど……」


「分かってねぇなぁ、暁は……」


 はぁとわざとらしく葉太は溜息を吐く。


「新しい友達ダチも確かに楽しみだよ、俺は。それどころか、俺は彼女だって期待している!」


「あれ、葉太彼女いなかったけ?」


 暁がそう尋ねれば、葉太は目に見えてがっくりと肩を落とす。


 そんな葉太を見て、葉月は苦笑を浮かべながら暁に言う。


「おにい、この間別れたばっかりなんだ。お兄の元カノさんは県外の高校に行くからだって」


「俺は遠距離でもやっていける自信があったのに……」


「あぁ……」


 納得して、思わず頷いてしまう暁。


「って、俺の事はどうでも良いんだよ! 暁はどうなんだ? 進路、決まってんのか?」


「うーん……」


「おいおい、決まってないのかよ……」


「どういうところに行きたいって言うのも無いの?」


「うん……」


 改めて考えてみれば、暁の志望校は特に無い。将来の夢というのも特に無い。


 前までは、あったような気がする。小学生の頃とか、幼稚園児の頃とか、そんなに昔の事にはなってしまうけれど。けれど、夢というものはあった。


 夢が無くなったのは、多分、そんなものが無くても日々が満ち足りていたからだろう。


「ならよ、俺と同じところにしねぇか?」


「ちょっと! お兄の頭に暁の頭を付き合わせないでよ! 暁はお兄より頭良いんだから!」


「うるせぇなぁ。スポーツ推薦つっても、どの部活も赤点取ったらレギュラーから落とされんだから、勉強くらいするっつうの!」


「お兄より暁は頭良いんだから、もっと頭良い学校行くに決まってんでしょ! ね、ねぇ、暁、清泉せいせん高校良くない? ここ、制服も可愛いし、校則も緩いしさ。わたしもここにしよーかなーって思っててさ」


「清泉だと俺がいけねぇだろうがよ!」


「行きたきゃ頑張って勉強すればいいでしょ!」


 二人の言い争いを聞きながら、暁は考える。


 どこに進学しようかなんて全く考えて無かったし、将来何がしたいかも何も考えていなかった。


 そんな事を考える必要も無いまま、日々暮らしていたのだから。


 トワラがいなければ、アイアンが無ければ、暁の日常はこれほどまでに何も無い。彼等みたいに、夢も、将来への期待も、希望も無い。


 とても、自分が|空虚(からっぽ)に思えた。



 〇 〇 〇



 二人が帰った後、ベッドに寝転がる。


 何も無い。何も。


 アイアンがあれば、トワラがいればそれだけで良かった。毎日つまらない学校に行って、帰ってきて数時間トワラと一緒に過ごす。そんなある意味代わり映えのしない日々だけれど、大好きだった。


「トワラが生きてれば、違ったのかな……」


 いや、違うだろう。トワラがいてもいなくても、自分に夢なんてものは無かった。ただ、トワラがいたから日々が色付いていただけの話なのだ。


 いずれ行き着いたであろう問題だ。トワラの有無は関係無い。相談くらいは出来ただろうけれど。


 しかし、色褪せた日々で夢や目標を見付けるというのは、難しいものだ。何せ、なににも手が進まないし、興味も示せないのだから。


「……風呂入って寝よ」


 進路の事は、また明日考えよう。


 もしも何も浮かばなければ、母親や担任に相談に乗ってもらえばいい。


 ベッドから起き上がり、浴室に向かおうとしたその時、ぱっとパソコンのディスプレイが明るくなる。


「え?」


 そう言えばパソコンの電源を入れっぱなしにしていた。と、遅まきながら思い出したけれど、モニターの電源は入れていない。スリープモードが解除された訳でも無いし、暁がモニターの電源を入れた訳でも無い。


 にもかかわらず、モニターが点いた。


「なに、どうなってるの……?」


 一人ごちりながら、暁はパソコンの前まで移動する。


 モニターには見慣れたシステムウィンドウが表示されていた。


「これって、アイアンの……」


 表示されていたのはアイアンのシステムウィンドウ。それは分かった。けれど、どうにもおかしな話ではある。


 アイアンのゲーム内のシステムウィンドウが何故、ゲームも開いていないのにモニターに表示されているのだろうか?


 暁はシステムウィンドウではなく、そのウィンドウに表示されている文字に視線を移す。


 そこには、簡潔にこう書かれていた。


『後悔、していますか?』


 後悔。それが何を指しているのかは分からないけれど、此処最近の後悔など暁には一つしかない。


「なんだ、これ……」


 突然の意味不明なメッセージに、困惑する暁。


 暁の困惑を余所に、メッセージは次々表示される。


『やり直したいですか?』


『救いたいですか?』


『もう一度会いたいですか?』


『もう二度と失いたくないですか?』


『まだ、貴方は戦えますか?』


「いや、なに……なんだよ、これ……」


『剣を取れますか?』


『引き金を引けますか?』


機兵トルーパーに乗る覚悟はありますか?』


 困惑する暁に、モニターは続々とメッセージを映し出す。


 そのどれもが、暁に問いかける言葉だ。そして、何故だか暁を試しているようにも思える。


 困惑している内に、ぴたりとメッセージが止まる。


 数秒して、全てのメッセージが消え、一つのメッセージと共に『YES』『NO』の選択肢が現れた。


 そこには、こう記されていた。


『トワラ・ヒェリエメルダを助けたいですか?』


「助けるも、何も……」


 そのメッセージに沸々と怒りが湧く。怒りのまま、机に拳を打ち付ける。


「もう死んでるんだよ!! 助けるも何も無いだろ!!」


 ただの意味不明なメッセージ。それは分かっているのに、心の奥底から湧き上がる怒りには抗えなかった。


「これで頷けばトワラは帰ってくるのか!? 今までAIデータについて何も言ってこなかった運営が答えてくれるのか!? そんな訳無いよな!! 何回、何十回……大勢が同じ希望を持ってメッセージ送ったって、何も解答が返ってこなかったんだからな!!」


 少なからず、アイアンではAIの死は訪れている。そのたびに、死んでしまったAIはどうなったのか、復活はさせてくれいないのか、お願いだから生き返らせてほしいと言った旨のメッセージを送った人が居る。


 けれど、運営の解答は無かった。全て、黙秘してきたのだ。


「ふざけんなよッ!! お前らにとってはもう終わった事なんだろ!? だから何も答えちゃくれないんだろ!? それなのに今更ほじくり返してんじゃねぇよ!!」


 心の底から、声を張り上げる。


 言うたびに、トワラがもういない事を再認識する。考えるたびに、トワラがいない日常に心が痛む。


「救えないなら、頼むから……もう、放っておいてくれよ……!!」


 ただただ、心が痛い。痛む心を、これ以上痛めつけられたくは無かった。


 そんな暁の言葉が届いたのか、それともただの偶然か、表示されていたシステムウィンドウが消え、新しいシステムウィンドウが表示される。


『まだ、間に合うとしたら?』


「え……?」


『貴方のトワラは、死んでしまったかもしれない。けれど、トワラ・ヒェリエメルダは、まだ死んでいない』


『もう一度言います。貴方は、トワラ・ヒェリエメルダを助けたいですか? それとも、このままずっと助けられなかった自分を責め続けて、灰色の日々の中で泣き寝入りを繰り返しますか?』


 今までよりも、明瞭な言葉メッセージ


 そこに、機械的なものは無く、何らかの意思が介在しているように思えた。


「俺は……」


 システムウィンドウに『YES』と『NO』の選択肢が表示される。


 このメッセージに何の意味がある? 何の意図がある? 分からない。このメッセージは最初から意味不明なのだ。意味も、意図も、分かるわけが無い。


 けれど、一つ、分かり切っている事があるとすれば……。


 ずっと、後悔していた。トワラを助けられなくて、ずっと、ずっと、後悔していたのだ。


 何度も夢想した。あの時間に戻れたのなら。あの瞬間に戻れたのなら。あの日々を、取り戻せたのなら。


 自然と、マウスに手が伸びた。


「俺は……」


 マウスポインタ―が淀みなく動く。


 ポインターが指し示すのは『YES』の文字。


 意味は無いだろう。こんな言葉メッセージに、意味なんて無い。ただの悪戯いたずらだ、ただの茶番だ。


 そんな事は分かっている。それでも、それでも……この想いにだけは嘘なんてつけないから。


「俺は……トワラを助けたい」


 カチッ。『YES』をクリックする。


『同意を確認。転送を開始します』


 そんなメッセージが表示された直後、暁の意識は唐突に途切れた。


『今度こそ、助けてください。貴方の夕焼け・・・を』

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