突破
タンクがたった一人で〈地脈の龍〉にどこまで耐えうるか。
小生意気にも範囲防衛スキルで俺の龍を全て押し返そうとしている。一匹でもあの治療師に当たれば詠唱を止められるとわかっているからだろう。
だが、しぶとく耐えようとするならば龍の数を増やすまでだ。仲間が危険に晒されれば、こいつも突っ込んでくるのをやめて仲間を助けにいくだろう。
こいつはそういうやつだ。そういうやつだったはずだ。
クロノを牽制しながら押し止め、どうやってあの女騎士をいたぶってやろうかと舌なめずりしていたカリストの思考は、目の端で揺らいだ黒い影に気づいたことで止まる。素早く目玉を向けた。
「
クロノがスキルを使って数メートルも手前に身を滑り込ませてきていた。直進高速移動を伴うタイプの攻撃スキルだ。
カリストの顔に驚愕が張り付く。
驚いたのはクロノが距離を詰めてきたことに加えて、彼が使用したスキルがこの状況下では普通考えられないありえないものだったからだ。
瞬間移動を伴う攻撃系スキルは、移動先で自分の身体に重なるような何かしらの物体があると発動しない。これはつまりスキルを発動して壁にめり込んだりしてバグが発生するのを避けるために設けられたセイフティで、移動距離も固定されていることから、その利便性の悪さで戦闘に使うやつはあまりいない。
こういうスキルが活きるのは、例えば広い場所でとにかく一瞬でも速く前に進みたい場面、そう、例えばレースなどのイベントで活用されることが多いだけの死にスキルでしかない。
この龍の群の中で、自分が滑り込めるような隙間を見つけること自体、難しいはずだ。現実化した仮想現実。完全な三次元空間。
まばらに宙に浮かぶ龍によって立体視すら曖昧にされる中で、確実に自分の身体の大きさと同等以上の隙間を見つけ、スキルの移動距離を完全に把握し、スキル失敗のロスを疑いもせず躊躇いなくぶっこんできた。
まるで、あの治療師に向ける龍がどれなのかわかっていて、確実にそこに龍を放った分の空間が生まれるとわかっていたかのようなタイミングだ。龍の一匹でも移動先にいたら、今のスキルは絶対に発動していなかった。
もちろんすぐに補充の龍をオーブから生み出してはいた。龍を生むスピードには限界があるとはいえ、並みのプレイヤー、いや、上位プレイヤーであっても、追加の龍が出てきた瞬間に自分の立ち位置の不利を悟って呼吸を整えるべく後ろに下がるはずだ。
なのに、こいつ、前に出てきやがった。
カリストは顔を歪め呻く。
「ぎっ、なんでっ」
「お前は俺に集中するべきだったんだ」
「あぁ!?」
「そうすればめり子の薬の効果が切れるまで俺から距離を取れていたはずだ」
「薬……、あの回復量……、〈英雄の神水薬〉か!」
クロノが倒れないからくりを悟って、カリストは獰猛に歯を剥いた。
本来、〈地脈の龍〉は広い範囲に龍を出現させ俯瞰しながら敵の軍を攻撃する後衛武器だ。特性を最大限に活かすなら、仲間と連携を取りながら離れた場所で龍を操作し戦場を支配するのがセオリー。
接敵して一極集中で敵に向けるカリストの使い方はある意味で邪道であり、それはカリストが、敵がいれば真っ直ぐに近付いて戦いたがる好戦的な自分の性格とは相性が悪いなりに生み出した方法でもあった。
戦場全てを把握して龍たちを操作するには、およそ二十メートル程度しかない場所にいるクロノはあまりにも近い。もう集中を分散させる余裕はない。仕方なく後方の二人に向けていた龍を戻す。
カリストは疑念が拭えない。
確かに自分の性格とは相性が悪い装備ではあった。
それでも最強格の装備だったはずだ。これがあるだけで一プレイヤーの実力など遙かに凌駕できていたはずだ。この程度の人数相手なら、嘲笑しながらぶち殺してやっていたはずなのに。
「おかしいだろ! それでもお前が前に出てこれる道理なんてねえ!」
自分が感じる不条理を叫ばすにはいられなかった。
無数の龍に噛みつかれながら、こいつは顔色ひとつ変えずまだ前進しようとしてきやがる。
「無防備な治療師が目の端にいれば、さぞや狙いやすいだろう。市街戦で無思慮に弱い敵ばっか狙って楽をしたがるお前の行動そのままだ」
「わざと狙わせたってのか?!」
「スピカが守ってくれるからな!」
クロノへの手を緩めてヒメリを攻撃し続ければクロノの刃が自分に届く。カリストの選択肢はクロノを力技で押し返すしかなくなった。
ヒメリはクロノに言われていた通りに、カリストの目に止まる位置をキープしながら魔法を撃っていた。カリストがヒメリを狙い、隙が生まれることも計算済みだったのだ。その攻撃をスピカが完全に防げることも考慮して。
驚くのは、人間関係で失敗し続けてきた彼が、判断の迷いを生まないほどに人を信頼しきっているという事実だ。
狙った通りの行動を取るとわかるほど人のことを理解し、託す。ヒメリのこともスピカのことも、二人ならできると信じたからクロノはこの作戦を立てた。
そして、昔の仲間であり、今は宿敵となったカリストのことさえも。
共に戦ったことのある戦友であったからこそ、クロノはカリストの癖を知り尽くし、またそれが隙を生む瞬間を熟知している。
クロノが片手それぞれに持つ異なる色の輝きを持つダガーが、まさしく網のように中空に剣閃を残し、龍の残骸を地上に積み上げていく。
対してカリストも負けじと龍の数を増やしてクロノに攻撃を重ねる。もはやカリストにもクロノ以外は見えていない。
真っ向から向かい合う二人の数え切れないほどの手数が生み出す衝撃が、周囲の壁や樹木を削り、瓦礫となっていく。クロノの剣戟に弾かれた〈地脈の龍〉の硬質な破片は時折後方の二人にも勢いよく飛び散ってくるが、スピカの盾に阻まれてヒメリに届くことはなかった。
渦中の二人はその苛烈な嵐の中、同時に叫んだ。
「クツシタ・ダイスキぃぃぃぃ!!」
「ふわふわ・ほっぺたぁぁぁぁ!!」
その後ろで、おおっ、とスピカが感嘆の声をあげた。
「お互いをかつてのフルネームで呼び合い激突する宿敵同士。熱い展開だが――くぅっ、なんて激しいぶつかり合いなんだっ」
飛んでくる瓦礫や破片から自らを盾にしてくれているスピカの後ろで、ヒメリは呟く。
「いいんですけどね別に。いろいろ台無しですけど。お互いの性癖暴露大会ではなくクロノさんとカリストの名前です。念のため……」
断続魔法のコツも掴んできたため撃ちながら注釈を入れられるようになった。無詠唱魔法って、便利。
しかしそうこうしているうちに、薬の効果時間はあと三十秒ほどしか残っていなかった。
効果時間が切れればクロノは一方的に攻撃を受けてなぶり殺しになるだけだ。
「ぅうぉぉぉぉおおおおおおっっ!」
クロノの進撃は衰えるどころかさらに加速する。徐々にカリストのいる場所までの一歩一歩が幅を増やし、近付いていく。
「く、くっそ。なんで、なんでお前の方が速いんだよおおおぉおぉ!」
焦り始めたのはカリストの方だ。じりじりと足を退きながら、我武者羅に龍を放ち続ける。
クロノの剣線の一筋は、カリストの龍をまとめて四頭、五頭とまとめて切り落とす。それが目にも止まらぬ速度で繰り出されているのだから、カリストも目の前の光景が信じられないに違いない。
クロノもまたこの激しい戦いの中で〈地脈の龍〉の癖を把握し、合理的に成長しているのだ。はじめは視線で追っていた龍の動きも、彼はもはや目玉をカリストに合わせて睨み付けたまま動かしていなかった。
クロノは既にカリストの十メートル手前ほどまでに近付いている。この勢いなら、薬の効果が切れる前に、カリスト本体に有効な技を叩き込めるだろう。
「これなら――っ」
ヒメリの胸の中に期待が生まれた。まさにそのときだった。
「……っ!」
クロノの足が、止まっていた。
足だけでなく、腕も。
まだ薬の効果は十秒残っている。なのに。
その機をカリストは逃さなかった。両手を前に突きだし、最後の攻勢に出る。
「くたばれやあああああっ!!!」
クロノの周囲を飛んでいた龍に加え、新たに生まれた龍たちがクロノの全身に食らいつく。
その状態でも、彼は動こうともしない。
このままじゃ――
「クロノさんっ!!」「ソウタッ!!」
二人の悲鳴のような呼びかけも、クロノを動かすには足りない。
いくらヒメリの回復魔法があろうとも、反撃しなければ防ぎきれるものではない。彼の纏っている防具や、彼自身の体力だけでどれほど耐えられるかはヒメリには知る由もなかった。
一瞬のうちにクロノは玉のように群がる龍に完全に包み込まれていた。ヒメリの薬の効果が切れたのは、その直後。
ヒメリ自身の能力のため連発速度こそ落ちなかったものの、回復力は極端に落ち、MPは数秒でゼロを示した。
「も、もう魔法が――!」
いくら杖をクロノに向けて呻いても魔法はこれ以上発動してくれなかった。
仕留めた、と思ったのだろう。カリストの口に、残酷な安堵の笑みが浮かんでいる。
ヒメリも気が気ではなくなり悲鳴も上げられないほどに息を呑んだ。オーグアイに表示される彼のHPが瞬く間に四分の一を下回る。
そのときだった。カリストの笑みが歪み消えた。
龍の玉の中から、狼の唸り声のような、クロノの声が聞こえたからだ。
「噛み砕け、
その瞬間、間違いなくカリストは龍の隙間に、深紅の眼の輝きを見ていたはずだ。
「月界突破――!」
龍の玉をぶち破って出てきたのは、白と金に彩られ揺蕩うオーラの塊。
よく見ればそれは白金の巨狼を象っていた。クロノのスキルによって生み出され解き放たれた狼は、牙と言わず体毛の一本一本が触れただけで、小さな龍たちを弾き飛ばし真っ直ぐにカリストに跳びかかる。
クロノは力尽きたのではなく、スキル発動のために集中していたのだ。
おそらく、神水薬の効果時間も正確に彼の頭の中でカウントされていたに違いない。
そのタイミングを完璧に見極めてスキルの範囲内にカリストが入るまで近付き、大技で周囲の龍をまとめて吹き飛ばした。
カリストは一瞬面食らったものの、すぐさまオーブを前方に掲げて龍を集め、盾にしようと構える。龍のひとつひとつはさほど耐久力はない。糸の通る隙間もないほど数百超の龍をがちがちに固めて狼を迎え撃った。
クロノの狼とカリストの龍の盾が正面から衝突する。オーラの塊それ自体が斬撃の攻撃判定を起こすクロノのスキルは、龍の海の中を魚雷の如く突き進む。
そしてカリストの眼前に龍の壁を突き破った巨狼が吼え哮り現れる。
巨狼はカリストの持つ〈地脈の龍〉を咥えるや、強靱な顎で噛み砕く。
硬質のガラスが割れるような音が響いた。
「俺の、〈地脈の龍〉が――」
「お前のじゃない」
一瞬自失していたカリストは歯を食いしばり剥き出しの敵意を再燃させた。
「なめんな! 俺にはまだスキルがあんだ。砕けろよ、〈覇王凍刃衝――」
カリストがスキル発動の構えに入る。
クロノからカリストまでの距離はまだ約十メートルと遠い。〈地脈の龍〉を破壊してもカリスト自身の間合いが残っている。カリストのスキル発動が先か、クロノの刃が届くのが先か、それはもはや賭けだ。
だがクロノは既に次の策を頭に入れていた。
「スピカ!」
「光の盾よ!」
クロノの呼びかけが届く前に、スピカは詠唱を完了していた。
スピカの祈りに応じ、防衛魔法スキルが発動する。
スピカの防御魔法でカリストのスキルを防ぐ算段だろう。かつての仲間同士の絆が成せる、事前の打ち合わせすら必要のない二人の息の合った連携。
ヒメリも安心しきっていた。この二人なら、無敵の戮力で絶対に成し遂げられるって。
しかし、目の前の光景を見てヒメリは瞠目した。光が収束し輝く盾が発生したのは、クロノの前方ではなく、スピカ自身の頭上だった。
「スピカちゃん!?」
このタイミングで、スピカのまさかのスキル発動ミス。
ヒメリもたまらず責めるような悲鳴を上げていた。
もう二回目の防御スキルの発動は間に合わない。クロノはカリストの技をその身にまともに喰らってしまうだろう。
「心配するな、ヒメリ。これがわたしたちのやり方だ」
そのとき聞こえたスピカの声は、限りなく安心しきった、そして自信に満ち溢れた穏やかなものだった。
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