現実と仮想現実が融合した世界の恩恵。それはラグがないこと 本文編集



 作戦は至ってシンプルだ。


 クロノの素早い刃捌きで無限に出現し続ける龍を壊しつつカリストに向かって進んで行く。クロノはその間無防備になるため、スピカの防御力増化バフをかけ、その上でヒメリの強化回復魔法で断続的に回復し続ける。そしてそのヒメリが狙われないようにスピカが防衛する三段構えの作戦だ。


「クツシタ! こっちだ!」


 飛び出したクロノを察知し、地面に潜んでいた龍が四方八方から降りかかる。それを無傷で捌ききり、前傾姿勢でカリストに疾駆する。


「逃げられねえと正面から突っ込んできやがったか馬鹿が! 〈地脈の龍〉の餌だ!」


 龍の感知能力を共有しているカリストも、身を翻し様に龍を波動砲のように放つ。

 最初の数十頭ほどこそは無傷で捌ききったクロノだったが、すぐに押し寄せる龍の群れに手数が追いつかなくなっていく。


 距離を保ちつつ、彼は横に素早く移動する。ジグザグに動き瞬身の身体捌きで追ってきた龍を振り切ろうとするが、多方向から迫る龍に逃げ道も少なくなっていく。

 クロノは自分に齧り付いてきたそのほとんどを叩き切ったが、同じぶんだけその身に傷を負っていた。


 ヒメリも後方から杖の先をクロノに向け、スピカに守られながら魔法をかける。あの嘔吐くように苦い薬のおかげか、いくら魔法を使っても疲れを感じることはなかった。


 クロノは人の身とはいえ、強力な武具とレベルの概念によって鍛えられた強靱な肉体がある。加えてスピカの防護支援魔法がかかっているため、龍が穴にした木や壁のように脆くはない。


 だが。


 瞬時に回復するとはいえ、クロノの露出した肌からは血は吹き出て痛々しい。ヒメリの回復がなければ、十秒も経たずクロノは倒れていただろう。

 ヒメリはクロノたちと素材狩りをしていたことを思い出していた。


 ダメージを受けた際に、ゲームの表現として血しぶきの表現はあるにはあった。ヒメリはそれすらも見るのが嫌で、街に引きこもってばかりだったのだが、大厄震以後、現実世界と同じように人も生物も傷つけば皮膚の下からは血が出てくるようになっている。


 今、眼前に広がる本気の戦闘行為の空気を生まれて初めて実感して、ヒメリは自分の認識が甘かったことを知る。


 そうか。作戦を告げられたときは完全に想像できていなかったけど、断続的な回復魔法をかけ続けなければいけないほど、彼はカリストから攻撃を食らい血を失うという意味でもあるのだ。


 蚊柱のような龍たちの群れの中心で、全身から血を噴き出させながらも一歩、また一歩と、台風に抗うように重く前進しようとするクロノに、魔法への集中よりも心配が先走った。


「く、クロノさんっ」


 思わず声をかけたら、すぐに叱責が飛んできた。


「ヒメリ! 迷うな! ソウタを信じろ!」

「は、はいっ――」


 緩みかけた集中を再度研ぎ澄ませる。スピカが傍にいて助かったと、心底感謝した。スピカもあれほど不安がっていたのに、いざ始まれば不屈の意志でそれを閉じ込め作戦の成功のために真っ直ぐ前を向いているのだ。


 薬で強化されたヒメリの回復魔法一発分は、カリストの龍たちが一秒間に彼に与えるダメージとほぼ等しい。少しでもヒメリの回復が緩めば、クロノにはダメージが蓄積していくことになる。


 ここは、よそ見をしてはいけない場面。

 目も、意識も、自分の感じる全てをクロノに向けろ。

 魔法対象指定を固定化。他は見るな。彼だけを見て。


「魔法をっ、かけ続けるっ!」


 加速し続けるヒメリの回復魔法。クロノの全身はヒメリの魔法の光で輝くほどにエフェクトが重なっている。


 それはもはやオーバーヒールとなるほどだったのだが、魔法を撃ち続けているその最中、ヒメリは別のある事実に気づいていたために、他のことを考えられなくなっていた。


 即時発動と言っても、ヒメリの回復魔法は使おうとする意思を起こしてから実際の発動までには一秒程度の時間がかかる。

 これはゲームの仕様上演算処理に時間を食うためだ。特に短い時間で連続して多くの魔法を使おうとすると、いわゆる処理落ちが起き、発動までの時間がさらに延びることもある。


 ヒメリは大厄震以前、何も考えず限界まで連発した際に一度処理落ちを経験してから、気持ち程度に間隔を開けて魔法を使うように心がけていた。

 しかし今はどうだろう。


 この切羽詰まった状況下で、ヒメリは以前は処理落ちを避けるために無意識に行っていた連発速度の抑制も今は忘れ去っていたことを自覚していた。クロノをただ回復することだけに意識を向け、一心不乱に魔法を撃ちまくったが故に気づいたことだ。


 処理落ちが起きない。


 自分ですら経験したことのない量の魔法が、何ら抵抗なく発動し、クロノを癒やしてくれている。

 ゲームのままであればラグが発生しかねない速度で放たれる魔法は、ヒメリの意志を忠実に再現し、途切れることはない。


 それを消費するMP数値にしてみれば、ヒメリの実体MP197の五百倍。およそ十万MP分の回復魔法が既に使用され、なおも続いている。

 一秒はかかっていた発動時間も、今この瞬間はコンマ五秒、三秒、二秒、とその間隔をさらに狭めていた。薬による大量のMP回復ですら、さらに速度を加えるヒメリの集中力によって、ほんのわずかに実体MPを減らしていくほどに。


 ヒメリの(ほぼ)〈ゼロ秒ヒール〉がここにきて真価を発揮した瞬間だった。


 この世界は現実となっている。

 現実ならば演算処理によるラグなど起きようはずがないという単純な理屈。

 まだ見ぬ観測者Xに、ヒメリは内心感謝もしていた。

 彼か彼女か、この世界を現実に造り替えた存在は、人の傷を癒やせる力を残してくれた。ヒメリの手に彼らを救える力を残してくれた。


(本当に、ここは現実になってしまったんだ……)


 処理落ちの有無の実感を経て、ヒメリは初めてこの世界が本当に生まれ変わってしまったのだという事実を飲み込むことができたのだった。


 目頭に熱くこみ上げてくる涙を必死に抑え、目は逸らさない。

 観測者Xは、何を思ってゲームを現実リアルにしたのだろう。ヒメリたちがリアルと呼ぶ元の世界に飽きてしまったのだろうか。


 この世界は魅力的だ。ヒメリだって好きでしかたがない。

 でも自分には、大きな、大きな心残りがある。

 だから帰りたいと、そう思う。

 厳しい道のりかもしれない。それでも――


「この力で、わたしたちは生き残るんだ!」












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