ある日の回想〈前〉


 それは、アリスから頼まれてクロノがヒメリの特訓をするために街の外へ出向くまでの出来事だった。


「なんで俺が……。なんで俺が……」


 とクロノが不平を垂らし、


「壁かぁ……」


 とヒメリが空を見上げまだ見ぬ巨大な壁に遙かな想いを馳せていたころ。


「あのぉ、すいません。ちょっと聞いてもいいですか?」


 正門に向かう途中で、後ろから声をかけられた。

 振り向けば男女二人組のプレイヤーがこっちを見て立っていた。

 二人ともオーグアイを起動している。ヒメリも挨拶を返して起動する。

 双方ともクロノと同じレベルマックスのプレイヤーだ。リーグ名は同じだから仲間同士なのだろう。

 その様子は熟れた冒険者然というよりも、観光していたら予想外の場所に迷い込んでしまったときのようにどこかよそよそしい。


「俺たち、ブリューナから来たばかりなんですけど、なんか昔と比べて随分様変わりしてたもんで、今どんな情勢なのか教えてもらないかと思って」

「大厄震で危なくなったから、比較的安全な場所にいようって戻ってきたばかりなんです」


 男の方が愛想笑いをしながら後ろ頭を掻き、女の方がフォローするように説明を加える。

 二人は恋人同士なのだろうか。その親密さがヒメリにも窺えた。


「ええっと、わたしも今日初めて来たばかりで……」


 ヒメリは答えられず、助けを求めるようにクロノに目を向ける。

 自分にはわからなくても、ベテランでこの辺りを活動拠点にしているクロノなら容易に彼らの質問に答えられるはずだ。

 そのはずなのに、クロノは。


「すんません。にはちょっとわからないっす」


(ボク……?)


 急に一人称が変わったクロノに、ヒメリは眉を顰める。 


「そうですかー。なら、ラトオリでは有名なプレイヤーさんが街を取り仕切ってるって聞いたんですけど、どなたなのかご存じないですか?」

「いや、すんません。有名なってだけだとちょっとわからないっす」

「あはは。ですよねー。あちこち聞いてみてまわるしかないかな。治安が安定してそうならラトオリにしばらく滞在しようと思ってたんで、挨拶しときたかったんですよね」


 なぜクロノは答えてあげないのだろう。

 困り顔の二人に耐えかねて、ヒメリはついクロノに代わって答えてしまった。


「あ、あの、えと、なら、ギルドリーグにいくといいかもしれません。アリスさんって方がいるので、聞いてみたらきっと教えてくれると思います」


 彼らもヒメリのレベルはオーグアイで見てわかっているはずだ。低レベルプレイヤーの情報を信じてくれるかとちょっと心配になった。

 しかし二人は人の良さそうな笑みを浮かべ手を打った。


「あっ、そういえばそんな施設もあったなぁ。なつかしい」

「ね。昔よくお世話になったねえ。今はどんな風になってるんだろうね」


 疑うどころか、思い出話に顔を綻ばせる二人。

 まるで同じ地元の中学校に数年越しに帰ってきた幼馴染み同士の大学生のように。

 きっと、二人はずっと一緒にウルスラインをプレイしてきたのだろう。

 大厄震という異変を経ても、二人の仲は壊れず協力しあって生きてきたのだ。


「ねえ、ショウくん。久しぶりにマーケットの方にも寄ってみようよ。あたし、見たいものあったんだー。ねえねえ」

「わかってるって。ユウちゃん前から欲しがってたもんな。ちょうど出品されてるといいけど……、あ、すみません。じゃあ、俺たちはこれで」

「突然呼び止めちゃってすみませんでした。もし何かの機会で一緒になったら、よろしくお願いしますね」

「いえ、お互い頑張りましょう」


 あまりにも不似合いな慇懃な返事をするクロノに、ビヨンドと遭遇としたときのような目を向けるヒメリ。

 二人が背を向けて去っていき、ヒメリは震える口を開く。


「ど、どどどど、どうしたんですか。クロノさん。急にボクだなんて上品になっちゃって……。それに、クロノさんならさっきの質問、簡単に答えられますよね?」


 しかしクロノは答えず、二人の背中をじっと見つめていた。どこか寂しげな目をして。ヒメリの存在を忘れたかのようにずっと。


「クロノさん?」

「あ、ああ、わり。ちょっとな」

「もしかして、知った方だったんですか?」

「まあ……。そんな感じ。昔な」


 やっぱりそうだったんだ。

 当時から二人は名前が変わっていないが、クロノは名前をすでに変えてしまっている。だからクロノだけが相手のことに気づいたということだろう。

 ヒメリは納得して、彼のあの態度の理由も理解した。あまりに急な再会で彼も切り出すタイミングを逸してしたったのだろう。


「そうだったんですね。よかったんですか? 声をかけなくて」

「いいんだよ。向こうは俺のことなんて覚えてないし」

「そんなことないと思いますよ。だって、クロノさんは覚えてるじゃないですか」

「それは……」

「自分だけが覚えてるなんて、そんなことありませんよ。思い出があるからこそ、クロノさんだって覚えてるんじゃないんですか?」

「いいよ。もう行っちゃったし」

「あれだったら、わたしがまた呼んできますよ。ちょっと行ってきますね」


 そう言って翻ったとき、ガシッと後ろから手首を掴まれた。


「ク、クロノさん?」


 痛みを感じるほどに強く握られて、ヒメリは振り返る。

 息を忘れたかのように口を固く結び目を見開くクロノのその表情には、焦燥と怯えが螺旋のように渦を巻くように混ざっていた。


「あ、悪い……」

「い、いえ……」


 さっきの二人はそのまま奥に消えた。走れば間に合うのだろうが、もう追う気はなかった。

 足を揃えて、杖を両手で握って、項垂れてしょんぼりするヒメリ。

 クロノは弁解するように薄ら笑いで言う。


「あんまいいサヨナラじゃなかったんだよ。あっちも俺だって判ったら気まずくなっちゃうからさ」

「なにがあったんですか?」

「……」

「あ、ごめんなさい。わたし、つい聞いちゃう癖が……」


 よかれと思ったままに行動してしまう自分の悪い癖が出てヒメリは自戒する。


「すみません。少しでしゃばりました」

「いや、いいんだ。もういいから、行こうぜ」


 歩き出したものの、二人の間にある距離はさっきとはうってかわって重い。



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