Himechan’s pride


「その様子だと、あなたはある程度彼の過去のことも知っていたようですね」


 ぎくりとほんの一瞬身体が跳ねたのを、ハルカは目ざとく見逃さなかった。


「私が昔いたリーグにもああいう子供はいましたよ。気まずくなったらすぐに逃げて、向き合う努力もせずに誰にも否定されない新天地を探して永遠に彷徨い続ける子供が」


 ハルカの言葉は辛辣だった。


「リーグとして、いえ、人が作り上げる組織だからこそ、嫌なことがあればすぐに逃げ別の場所に行くような彼を信用することはできない。そして、彼もまた他人を信用していない。お互いに信用が成り立っていないのですから、彼が突っぱねられるのも当然だとわかるでしょう」

「でも、クロノさんたちは時間がないって――」

「だからこそ、信用の置ける人間たちで遂行すべきなんですよ。作戦は私たちウェスナアドミニスタが練り直している最中です。情報はありがたく活用させてもらいますよ。ご心配なく」

「じゃ、じゃあ、クロノさんたちもその作戦で一緒に――」

「ではお聞きしますが」


 ヒメリがしつこく食い下がると、ハルカはそれを遮る。


「人と向き合わず逃げ続ける彼の言うことを、信じきることができますか? 例えばあなたがリーグの命運を左右する大事な局面にいたとして、彼の指示通りに動けると? 彼が作戦行動中にまた逃げ出さないという根拠は?」

「…………っ」


 言葉に詰まって、ヒメリは視線を自分の膝に落とした。


「彼がかつて上位ランカーとして名を馳せていたことは認めましょう。ですが、いかに実力があれど、信頼関係がなければ有効な連携は取れません。歩兵の連携は、一人の騎馬にも勝る。私たちは一人で暴走しかねない彼に重要な役目を任せるわけにはいかないんですよ」


 作戦はクロノの潜伏スキル頼みの部分もある。そのクロノが予想外の動きをすれば、アリスを含む他のメンバーたちは〈地脈の龍〉の餌食になってしまう。

 視線を落としたまま、ヒメリはぽつぽつと話し出す。


「わたしは、クロノさんはただ繊細なだけだと思います。多くのことに気づきすぎて、自分には抱えきれなくなって。でも本当は一番、人のことを考えてくれているんじゃないか、って。いなくなってしまうのは、抱えすぎた重荷を一気に手放してしまっただけだって」

「まるで他にも彼のような人を知っているみたいな言い方ですね」


 ヒメリの力なく擁護する言葉の影に他の誰かの気配でも感じ取ったのか、ハルカはそんなことを言った。

 ヒメリは完全に否定もできず、黙る。


「…………」

「それで、あなたがそれだけ庇い立てるその方と仲直りはできたのですか?」

「………………それは」


 ヒメリは重く口ごもる。


「……まあ、あなたがどう言おうと、ウェスナアドミニスタが彼を信用することはありません」

「じゃあ、スピカちゃんならどうですか。彼女はクロノさんのことを信用しています」


 ヒメリが諦めずにそう言うと、ハルカは片方の眉をぴくりと動かした。


「ブランキスト――。確かにあのリーグは実績も多く、知名度も高いですね。そこで第二部隊長を任命されている彼女が言うのなら、信用には値するでしょう」


 彼女の顔に、言葉通りの表情は浮き出ていなかった。


「スピカちゃんのことも、何か気に入らないことでもあるんですか?」

「気に入らないかですって? ええ、気に入らないですね。とても」


 ヒメリは自分に言われたことのようにショックだった。


「でも、あんなに良い子なのに」


 しょぼんと落ち窪んで、ヒメリは呟く。


「わかってないですね」


 ハルカは両の拳で机を叩いた。


「ああいう天然の! 自分が男受けする女っていう自覚がない女が! 一番厄介なんですよ!無自覚なくせに! こっちが必死に裏で振りまいた男どもへの愛想を! 一瞬で無に帰す勢いでかっ攫っていくタイプの!」

「へ、へぇ……」


 なんか話の軸がズレているような気がするが、勢いに負けて言及するのはやめておいた。


「失礼。騒ぎすぎました。昔のトラウマを思い出したものですから」


 また眼鏡の位置を直して、ハルカはトーンダウンする。


「とにかく、彼には参加を見送ってもらいます。いざというときに信用のできない人間に、アドミニスタの仕事はふさわしくない。そんな彼を擁護するスピカさんも同様です」


 ぐっと、ヒメリは悔しげに握る拳に力を込める。


「あのお方はお優しい故に彼に挽回のチャンスを与えようとしているご様子ですが、しかしそれは過去の縁に縛られた情によるもの。我々は情にほだされることなく、仕事に対して常に冷静であらねばならないのですから」

「でも、そこまで言われないといけないなんて……」

「そういうものでしょう。私たちは元はゲームだった世界に生きている。しかし、これはもう遊びではないのですから。アドミニスタはまだ発展途上とはいえ、大事な治安維持を任された組織。そこに含まれる人員は、社会的な信用を得ている人間でなければ務まりません」


 言い返せなかった。

 ハルカはそれでヒメリが納得したと判断したのだろう。ふっ、と口元を緩める。


「ですが、まあ。中止というのは正確ではありませんでしたね。彼にはまだしてもらわないといけないことがありますから」

「えっ?」


 期待に満ちた目で見返すヒメリとは裏腹に、ハルカの放った言葉はどこまでも酷薄だった。


「彼にはこの作戦で大きな失敗をしてもらいます。そうすれば彼はまた逃げる。彼が過去、幾度もそうしてきたように」




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