ちゃんと名前を呼びましょう


「ほら、ヒメリって呼んでみてくださいよ」


 あおり顔で見下ろすヒメリ。その視線の先には、ギルドリーグの待合室の床で正座させられているクロノの姿があった。


「ヒ、ヒ、ヒ、ヒヒ、ヒヒヒヒ、ヒヒ」


 バグったように同じ音を繰り返すクロノに、ヒメリも口が引きつった。


「そこまで抵抗あるんですか……?」


 怒らない怒らない、と、もはや病的にヒメという単語を忌避するクロノを優しく促す。


「あと少しですよ。頑張って!」

「ひ、はひー、ひ、ひ、めひ、ひひっひ、ひっひひ、ひっ」


 しゃくり上げるようになってきたような気はするが、あえて無視して応援した。


「ほら、もうちょっとです!」

「っは、っは、っは、ふー。め、ひ、ひっ、……ひひ」


 なんだか出産を応援してる気持ちにもなってきた。


「そこを越えればいける! クロノさんならできる! ほら!」


 両手の拳を握りしめ、スポーツ界の太陽神よろしく大声で応援し続ける。

 クロノはその声援に応えようとしていたが、


「ひ、っ、め、しあ、ひひ、ひ…………ひ、ひがんばな、めり子……」


 ブチ切れた。


「ねえええええっ! なんで名前に余計なもの挟むんですか! 苗字みたいになってるでしょ! めり子が強調されてるでしょ! 彼岸花めり子ってどこぞの占い師みたいになってるでしょ!!」

「お、おう。怒濤のツッコミだな、めり子」

「もおおおおおっ!」


 どしんどしんと地団駄を踏むヒメリ。その背後から声をかけてきたのは、クエスト報告を終えた後に、所用で席を外していたスピカだ。


「やぁ、待たせた。懐かしい顔にばったり出会って時間がかかってしまった」

「懐かしい顔?」

「ああ。このギルドリーグの長をやっているんだ」

「あれ? その人ってアリスさんのことですよね?」

「ヒメリも知り合いなのか?」

「実はアリスさんの意向でクロノさんから魔法の訓練を受けてたんです」


 それでヒメリたちが街外れにいたことに合点がいったらしい。互いに知り合い同士ということもわかったからか、スピカは手近な椅子に座りながら続けた。


「そうだったのか。実はあの人は各街にあるアドミニスタの代表だけで組織される委員会の橋渡し役もやっていてな。数日後の委員会会議ではわたしのリーグの団長とも会う予定になっていたはずだ」

「ほえー、アリスさんって、顔が広いんですね」


 ヒメリも彼女に向かい合うように椅子にかける。


「あの人は生きる伝説だからな。わたしも昔何度もお世話になった。攻略に行き詰まっている時に的確なアドバイスをくれたりして、打破できた経験は両手の指の数に収まらない」

「そんなにすごい方だったんですか」

「もちろん、すごいのはその強さ賢さだけではないぞ。生きる上での必要な人生の先輩として、あの人からは人としての正しい所作を教えてもらったりな。あの人には大厄震以後も尊敬の念が潰えない」

「所作?」


 聞くと、彼女は少し照れたように指先で頬を掻く。


「わたしは日本カルチャーが好きな母のおかげで少年漫画ばかり読んで育ったんだ。その中の主人公たちに憧れて真似していたら、男口調が自然になってしまってな。それで、あの人に日本人らしい女たる極意を教わったこともあったんだが、いまいち上手くいかなくてな」

「女たる極意……?」


 同性でも羨むような肢体と造形を持つスピカは、うんうんと大きく頷いて続けた。


「ああ。あの人ほど女という存在を的確に体現した人はいない。雅な出で立ち。指先まで細かく慎ましやかな所作。どれほどの厳しい道を歩んできたのかと想像するに難しい」

「ええと、一応確認しておきたいんですけど、アリスさんは――」


 スピカは「みなまで言うな」とヒメリを止めて続けた。


「伝説のhimechanだろう。もちろん知っているとも」

「えっと……、はい。あ、いや、わたしはいいんですよ?」

「わたしもいつかあの人のようなhimechanになれるだろうかと試行錯誤を繰り返しているが、とてもあの域には辿り着けそうにない。手応えすら掴めないほどに、な」


 ふふ、と自慢気にアリスを持ち上げるスピカ。

 ヒメリとて、女性以上に女性らしい生物学上の男性がいるのは知っているし、それを否定するつもりはない。だが、スピカが目指すべき方向性とは絶対ズレていると確信。


「スピカちゃんはそのままでいいです。そのままでいてください。お願いですから」

「そ、そうか?」


 得も言われぬ真剣さを感じたのか、わずかにたじろぐスピカだった。


「話は戻りますけど、そういえばスピカちゃん、こんなところでのんびりしていて大丈夫なんですか? 任務中なのにわたしなんかの手伝いなんてして。わたしは嬉しいんですけど」

「ん。ああ、まだ問題ない。元々、ラトオリやウェスナのようないわゆる初期街と呼ばれる街の軽い治安調査のために来ているようなものだからな。こうして街の施設を訪れるのも仕事の内なんだ」

「あれ、でも誰か男を追っているって言ってたような?」


 素知らぬ顔のスピカに軽い気持ちで聞くと、彼女はわずかに顔を困ったように歪ませて声を小さくした。


「覚えていたか。今さらだから言ってしまうが、実はあれは極秘任務でな。表向きは初期街のパトロールと謳っているが、実はアドミニスタ内部で挙げられている指名手配犯を探りに来たんだ。他言無用でお願いしたい」

「おおっ!」


 まさに捜査局のエージェントのようなスピカにヒメリは目を輝かせる。


「わたし警察24時って番組好きでした! あの犯人を追い詰める緊迫感とか!」

「ははは、結構物好きだよな、めり子って」

「あ、クロノさんはまだ正座しててください」

「……」


 自然に会話に割り込んで立ち上がってこようとするクロノを制してから、ヒメリはスピカとの話に戻る。


「スピカちゃんが追ってる男って、どんな人なんですか? 他の街のアドミニスタが追ってるくらいだから、何かとんでもなくひどいことをしたんでしょうか?」


 うむ、とスピカはアーマード・ドレスに包まれた豊かな胸の下で腕を組んで続けた。


「大厄震以後、被害が拡大していることが問題視されている――それは〈初心者狩り〉だ」




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