恋と呼ぶにはきっと嘘

六重窓

第1話

キャンパスに吹く風は、もうすっかり秋めいた匂いがしていた。

テラス席でノートパソコンを開いていた節の向かいで人影が立ち止まる。

「ここ、いいかな」

 男は返事を待たずに、手に持ったトレイをテーブルの上に置く。ラーメンの立ち上る湯気を見て、慌ててパソコンを膝の上に避難させる。

「僕はまだ返事をしてないのだが」

「良いじゃないか、偶には」

 週に三日多いときには四日、こうして顔を突き合わせて昼食を取っているのだ。わざとらしい、と呆れるように溜息を吐く。テーブルを片付け、コンビニで買ってきたサンドイッチを取り出す。

「節は少食だよな」

 盛大に音を立てて麺を啜っている友人にとって、僕は到底理解できない不思議な生き物なのだろう。

「そうだろうな」

「そういや、うちのサークルの女子で、霧島先輩の食事は話題になっていたな。あと、クールすぎて話しかけづらいって話もあったかな」

「……僕はテニスサークルと何の接点もないはずなのだが」

「俺」

「……君、もう少し他人から向けられる好意にアンテナを張っておいた方が良いな。ランチの相手を把握したいくらいには、彼女達に好かれているのだから」

 顔いっぱいに面倒くさいという感情を浮かべて見せた小宮に、思わず笑ってしまう。彼は正直でまっすぐで、万人に好かれるようなタイプの人間なのだ。

「向けられる好意は、まぁ好意でも悪意でも違いはないが、あまり手放しに喜べるような代物ではないと思うけれどね」

「どういう意味だい?」

 スープを半分くらい残して食べ終わった小宮は、興味津々の様子で僕の言葉を待っている。個人的な意見なのだが、と頭で釘を刺してゆっくりと話をまとめていく。

「僕は、『好意のない相手から向けられる好意は不快だ』という話とは恐らく異なる類の話をしている」

 彼は黙って頷いて、先を促す。

「好意にしろ悪意にしろ、向けてくる相手は君に特定のイメージを抱いているはずだ。例えば、気さくで話しやすい、とか軟派で遊び人だ、とか。同じものを見ていても感じ方は千差万別だから、好意になるか悪意になるかは分からないけれど。ともかく、それらの感情を誰かに向ける、ということは誰かに期待するということだ」

「……期待?」

「極端な話だが、フィクションに登場する悪役には最後まで悪役であって欲しくないかい? 途中でやっぱり改心しました、となるにはそれ相応のプロセスを見せてくれないと納得できない。ただ、悪役であり続けるにはプロセスなんてなくても良い」

「つまり、自分の役が確定すると、それに相応しい振る舞いをしようとするってこと?」

「それは良いことでも悪いことでもないけどね」

サンドイッチを食べ終えて手持ち無沙汰になったので、ゴミをぐしゃりと握り潰す。

「ただ、向けられる感情が好意だからといって一概に良いこと、と言えないと思っていてね。向けられる好意に引きずられて、それに見合うような人間であろうとすることは、僕にとっては悪いことだから」

「……それは、誰かに好かれようとする自分を肯定できないってこと?」

 この陽光の下が似合う男は鋭すぎる。

「……そうだ」

 君がどう感じるかは知らないが、と突き放して言えば、飼い主に捨てられた大型犬のようにしょぼくれた顔になった。

「でも」

 珍しく言い淀んで、視線を彷徨わせた後、きっちりと僕の目を見て彼は問うた。

「でも、君はこうして俺に付き合ってくれるだろ? それは好意じゃないのかい?」

「もちろん好意だとも。そして、誰かに好意を抱くのは良くないことさ」

 次の講義に遅れるから、と静かに席を立った。

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