たづなは舐められたくない
向日葵椎
たづな
<たづな>はわたしを見ていた。
夏の晴れた昼休みの教室。右斜め前に座るサユリの左手首のふくらみ、
右側の席を一つ挟んだ向こう側、たづなはわたしを見ていた。それも苦虫を嚙み潰したような顔で。
たづなとは二年で初めて同じクラスになってから一度も話したことがなかった。そこまで小柄でないが、高校の制服が大きめなせいか一学年、いや二学年は下に見える……ああ中学生になっちゃうか。
「おーい、たづなさーん。どうしたんだねー」
とりあえず手を振ってみる――たづなの左足首に視線を落とし、ソックスの向こう側の外くるぶしを舐めたらどんな味がするんだろうと考えながら。
そのとき、たづなはかがんで足首をすっと左手で隠した。眉間にしわを寄せた表情で、瞳がまっすぐこちらを見ている。こういうのは睨まれてるって言ったほうがいいのかもしれない。
まさか心を読まれているのだろうか。いやいや。
首を傾げてとぼけたふりをする――左手の甲に並ぶ小さな中手骨頭がおいしそうだなと思いながら。
たづなは左手の甲を右手で隠す――右手の方もいいな。すぐさまたづなは両手をクロスするように両脇にはさみ、立ち上がってこちらへ早歩きでやってきた。
「あの、そういう趣味なのは仕方ないと思うんですけど……その、恥ずかしいので、学校ではどうにか抑えてください」
「なんのことだろう。そういう趣味というのもわからんな」腕を組んで考えるふりをする。
「知ってるんです。あなたが体の出っ張ったところが好きだってことは」たづなは口元に手を添えて声を潜めて言った。気を遣ってくれているらしい。
「どうしてそんなことがわかるんだい」たづなの小鼻を舐めたい衝動を抑える。
「――そういうのですよ。やめてください」鼻を両手で隠しながら言った。
「なるほど。たづなさんは相手の考えていることがわかると。そういうことだね」
「まあ、端的に言えばそうです。相手は選べませんが」
たづなには超能力があるらしい。先ほどからの行動でそれを信じることはできるが、こうもすんなり教えてくれるものだろうか。まず「まともに取り合ってもらえず、変わってると言いふらされるんじゃないか」とか「言いふらされたあげく、闇の組織の目にとまり研究所送りにされてしまう」とか、そんな考えが先行して言いづらいものだと思うのだが。
「でもクラスにはほかにもたくさん人間がいるし、その中にはもっといやらしいことを考えているのもいるだろう。どうしてわたしだけダメなんだい」
「だって、私のこと、その……好きですよね」
――そこまでバレてたのか。
わたしはたづなが好きだった。たづなはすべての出っ張りが完璧で、たづなそのものがこの世に表出した水晶のように美しい。同じクラスになる前、高校入学直後に初めてたづなを見た時は息をのんだ。たづなの全身の出っ張りという出っ張りを味わい尽くしたいという欲求を抑えるために、夏の爽やかな潮風香る海岸の、日の光を反射する潮だまりのくぼみを想像し、親指の付け根の"解剖学的嗅ぎタバコ入れ"のくぼみに鼻を押し当てしばらく深呼吸したのであった。
「だ、だからなんだと言うのよ。仮に好きだとして、それでなぜわたしだけが指摘されるようなことになるの」
「口調が変わるほど動揺しなくてもいいです。実際のところ、誰が何を考えていようとある程度は気にしないでいられるんです。訓練してますから。あなただって聞こえているはずの些細な雑音を気にせずにいられるはずです。でも、あなたから出るそれはなんというか――」
「うるさいということかね」腕を組みなおす。
「それは少し違くてですね、近いんです。たとえば耳元で誰かに『好き』って言われたら、あなたは少しも反応せずにいられますか。こんなふうに――」
耳元に顔を寄せ、「好きですよ」と囁かれる。
「無理だね。そしてわたしも好きだ」
「ちょっと黙ってください。普通はこんなに近くで聞こえたりしないんですよ。だから悪意を向けられたときだって蚊が飛んでるな、くらいにしか思いません」
「思ってたよりタフだね」
「それなりに」視線を落として笑みを浮かべる。視線を戻す。「でもあなたの声は違う。はっきりとした理由はわかりませんが、まあ……その異常なまでの出っ張りへの執着によるものだと想像がつきます」
たづなの話によると、わたしはたづなの耳元で『好きだ、肘を舐めさせてほしい』といったようなことを、学校でたずなのことを考えたり出っ張りを見るたびに言っていることになる。同じクラスになって一カ月、欠かすことなく。
「もはや隠せることはないね。おおかた自分のせいだが。そうだなあ、まさかたづなさんが心の声を聞けるとは思っていなかったが、すまないことをした。二年生になってから毎日大変だっただろう」前を向く。
「大変でしたよ。朝も授業の時間も昼休みも、ずっとなんですから。わたしが授業に集中できなくて成績が落ちてしまったらどうするんですか」
「それはいけないよね。……うん、我慢できるように努力する。それからまあ、ショック療法じゃないけど、ここでフラれておくのもいいかもしれないね」
「努力って、潮だまりのくぼみを想像することですか?」のぞき込むように視界に入ってくる。
「あの時のもバレてたんだ。自慢じゃないけどあれはとっさの判断にしてはよくできてたと思うよ」噴き出して笑うと、目の前でたづなも笑った。
笑うときの唇も、いい形だ――
「こら」たづなはほんの少し頬を膨らませた。
「ごめんね、どうしてもだめみたい。もうガツンと言ってー」ふと思ったことまで伝わってしまうのがなんだが面白くて笑ってしまう。
「しょうがないですね、これからは気を付けてください――」
耳元に顔を寄せて囁かれた。
昼休みの賑やかな教室内でもはっきりと聞こえたその言葉は、たづなの口から出たものなのだろうか。なんだかさっき聞いたような気がするのはこれが白昼夢だからではないか。
よし、もう一度言ってもらおう。
「だめです。心の声を聞いてください」たづなは伸びをした。「やっと、これで授業にも集中できそうです。すっきりしました……そうだ、サユリちゃんの
「結局、たづなさんを見ていいの?」
「いいんですよ、心の声みたいに<たづな>って呼んで。見るのはかまいませんが、授業中に耳元で囁くのはひかえてください」
「授業中は、ね」視線を落とす。
膝に頬ずりしたら怒られるだろうか。
たづな。
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