第86話 主よあわれみたまえ

「どなたかとお間違えでは? 僕はハンス・エーベルトです」

「今はその名前で暮らしているらしいけど、僕は、いや僕らは騙されないよ。テレジン強制収容所からアウシュヴィッツに移動し模範的の看守として活動した、元SD士官のエミール君」


 エミールの歯がガタガタ震え出した。


「なぜ……」

「一年前、君はベルリンの戦勝記念塔の下で『死の都』の二重唱を歌ったね。

 その時はマリーではなく、彼女の遺児と。僕たちは、君たちのように市中に潜伏し罪を逃れ続けているナチの罪人を探しているんだ。

 君は自分の声とレパートリーを僕たちに披露してくれた。

 30年前と変わらず見事なテノールだったね。褒めてあげたいよ」

「そんな瞬間まで……」

「仲間が君の歌を聴きつけたのは偶然だった。あんな演奏回数の少ないオペラをレパートリーに持っている人間なんて、そうはいない」


 以前の柔和で慈愛溢れる先生の目ではない。

 冷たく射るような、いや今にも銃を向け殺さんばかりの目だ。


「なぜ今さらそんな風に追い詰めるんですか。今日は、あなたの曲を歌いに来たんですよ」

「そう。光栄だね。歌わせて差し上げるさ。演奏が終わったら僕たちと一緒にイスラエルに来てもらうけどね」


 エミールは目の前が暗くなった。

 何年か前、南米で捕まりイスラエルで処刑されたアドルフ・アイヒマン。

 自分にも彼のような運命が待っているのか。


「なぜ先生にそんな力が……」

「私が、然るべきイスラエルの機関の協力者になっているからだよ。君の合唱としての参加は、既に補足されていたんだ」


 そうか、そういう事か。

 エミールは力なく俯いた。


「さっきロビーで一緒だったエミリアや、アンナやオイゲンも?」

「いや、彼らは関係ない。でもロビーで歓談していたお客や教会役員、主催スタッフに仲間が潜んでいないと思うかい?」

「ではステージの上も」

「テノールの一番端の君の隣りに、バリトンの僕が位置している。君の前も後ろも隣も、全部僕たちの中まで占めている。安心しなさい」


 エミールは無言で歩き出した。ヅィンマン先生は脇に並び、彼の手を取った。


「分かるだろう。猶予期間はおしまいだ。君は裁かれなくてはならない」

「せめてこの公演が終わるまで待ってください。やっと娘に会えたんです。マリーの子です」

「よくそんな言葉が言えるな。

いいだろう。全公演が終わり次第、すぐに君を連れていく。周りは全て手配されているから絶対に逃れられないよ。それは覚えておきなさい」


 開演10分前のベルが鳴った。

 二人は大聖堂祭壇袖に待機する、全国有志の合唱隊の列に混じって行った。


 キリスト教において『死者のためのミサ』をレクイエムと言う。

 冒頭に演奏される『入祭唱』で、死者の魂の永遠の安息を願う


『主よ、永遠の安息を彼らに与え、 絶えざる光でお照らしください』


という文言が歌われるため、そう呼ばれるのである。

 今回のレクイエムは教会の祭礼としてのミサではなく、あくまで『死者のためのミサ曲』。音楽として演奏されるので、儀典長による司会も無ければ、司祭たちの入堂行列もない。

 合唱隊が待機する袖に小柄な司祭がやって来て


「皆さんの上に父と子と聖霊による豊かな恵と護りがありますように」


 と祈った。

 一同も楽譜を抱えたまま十字を切り、祈りで答えた。

 近くに待機するスタッフの合図で、エミールたち全ドイツから集まった合唱隊の有志がぞろぞろと入堂をはじめた。


 祭壇には小型オルガンのオルガネット、チェンバロ、バロックの古楽器やモダン楽器。

 そしてスッと長身の涼やかな顔の日本人青年。シンノケンタロウが指揮台に上った。

 指揮者脇のソリスト席には、だいぶ年老いたが逞しい体形を保つバリトンのキム・スギョン、そしてボーイッシュな金髪のショートカットのエミリア・ブーランジェが着いた。

 老若男女大勢の合唱陣も、十字架の掲げられた祭壇を背に、信者席の方を向いて並んだ。

 先ほどの言葉通りイサーク・ヅィンマンがぴたりとエミールの脇に立ち、その反対側、前、背後、いずれも屈強な男声合唱が微動だにせず立っている。

 黒い礼服の背や胸が逞しく盛り上がっているのは、きっと中に武器を隠し持っているからに違いない。


 指揮者のタクトがあがり、ヴィオラのソロが静かな旋律を紡ぎ出した。

 チェロとコントラバスの通奏低音、木管楽器にバイオリンが絡み、一見バラバラな旋律が複雑に交わり、すれ違っていく。


 Requiem æternam dona eis, Domine,

 et lux perpetua luceat eis.


 コントラルトとバスが死者を弔う固有文を歌い出し、バリトン、テノール、メゾと最後にソプラノが詩編65章の文言を響かせる。

 教会音楽は言葉が何より大事だ。

 聖書・聖典の文言を違えるのは絶対にあってはならない。

 そして声を競うのではない。

 神から受け取った言葉を、そのまま会衆に伝えるのだ。


 これこそ真の意味の『プロパガンダ』ではないか。

 人が「至上の存在」を意識し、その存在を知らしめようと言葉を発した時。それが即ちプロパガンダの始まりではないか。

 エミールは、自分の前で静かにタクトを振る若い指揮者の高潔な顔を見た。

 すると次第に『我らの総統』ヒトラー、『天才的宣伝大臣』ゲッベルス、『 ライヒス・ハイニ』ヒムラーへとかわるがわる重なっては過ぎ消える。

 違う。自分は彼らに操られて、女子供や囚人たちに「力」を暴発させたのではない。

 自分の内にある回虫のような、普段内臓のひだで静かにうごめていてるものが「行使しても構わない」というサインを発し、己のために殴り、蹴り飛ばし、撃ったのだ。


 introitusが終わると助祭による聖書の朗読が成された。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」


 次いで、チェロの通奏低音に導かれ、エミリアがスッと立った。

 ステンドグラスからの光を映す少年のような短髪、白い服、性別を超えた天使ガブリエルのような姿だ。

 ソプラノソロによる キリエ「憐れみの賛歌」。

 流れる水が砂地にしみ込むように、美しいソプラノが広がっていく。


 Kyrie eleison.Christe eleison.

 Kyrie eleison.


 自分は、間違っていた。

 もっと己の良心というものに忠実であるべきだったのだ。

 たとえ殺されたとしても、いまや結果は同じではないか。


 ソロに続けて全ての合唱が救いを求める言葉を繰り返す。


 でも、その当時自分に何が決断できた?

 自分で決めて行動できる奴は幸いだ。

 義の人と称えられるだろう。

 自分は、歌が終われば逮捕監禁が待つだけだ。

 おそらくエミリアに父親だと明かすことなく孤独に死ぬだろう。


 本当に、自分にはこの道しかなかったのか?


 エミールは音楽の力だけで、この場所に立って歌い続けていた。

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