第44話 立ち尽くす母・4
髪をすっかり刈られ、むき出しになった地肌に鍵十字やドクロを描かれ、マリーは荷車に載せられた。
荷台にはアンナとマリーの他にも、数人の丸刈りにされた女たちが載せられていた。
みな首から「雌豚」「娼婦」などと書かれた札を下げられた。
すすり泣いている者もいた。
ぶつぶつと祈るもの、泣きながら無実を訴えている者、無言で周囲の男や女たちを睨みつけ、逆に殴られる者もいた。
坊主頭の女全員が載せられると、荷車はロバに引かれて出発した。
広場から商店街、学校、役所、病院、聖堂に修道院、孤児院。この街で育った記憶が甦る場所をまわる。
行く先々で罵声や水を浴びせられ、唾を吐かれた。
マリーの足の間からたらたらと血が流れ始めたのを、アンナは見逃さなかった。
「この人を座らせて。体が弱っているの」
叫んだアンナの頭に腐ったジャガイモが投げつけられた。
アンナはエミリアを抱きながら、弱ってふらつくマリーに背中を預けた。
「寄りかかってらっしゃい。隙を見て座れるようにしてあげるから」
マリーは軽く笑って、アンナの背中にしがみついた。
子宮からの出血は止まらない。細い枯れ枝のような足を濡らし、荷車の床に黒いしみを広げていく。
エミール、あなたなの? 私を背負ってくれているのは。
違うかしら。あなたはプラハに行ったのだものね。
帰ってくるまで待っているわ。エミリアを大事に育てながら。
神様は、歩けないほど弱ったら、人間を背負ってくれると言うわ。
ある人が自分の人生を振り返ったら、海辺にずっと足あとが続いていたんですって。
幼い頃は両親や家族と一緒の、大人になったら一人の足跡。
そして神様を知った後は神様と二人分の足跡。
でも、一番不幸で辛くて支えてほしい時期の、足あとは一人分しかなかった。
神様、貴方は私が一番苦しい時に支えくれなかった。
私を一人にしておいた。
訴えると
子よ、それは私の足あとだよ、
一人分に見えるのは、疲れ切って歩けなくなったお前を背負って、私が歩いていたからだ。
足あとは一つでも、お前と私で歩いた跡なのだよ
そうね。
でも本当に私を背負ってくれたのは誰かしら。
愛しいエミール あなたなの? 振り返って顔を見せて。
私はあなたの娘を生んで、ちゃんと育てているわ。
そう。あなたにそっくりなのよ。
ああやっぱりあなただったのね。愛しいエミール。愛しているわ。
そんな黒い髑髏マークの制服を脱いで、いつものあなたに戻って。
学生の時分、粗末な薄着で貧しい格好でも幸せだったじゃない。
なぜ私を降ろすの?
なぜ私を砂の上に横たえるの?
やめて。
私を無理やり抱くのはやめて。
私を引き裂く時のあなたの顔は見たくないの。冷たい目が怖いの。力づくで支配するあなたは見たくない。
「マリー!」
アンナの背中から力の抜けたマリーの体がずり落ち、荷車の床に崩れた。
腕の中では泣き疲れたエミリアが眠ったまま。
両目は見開かれたたまま、顔は恐怖に歪んでいた。
女たちを積んだ荷馬車は街外れの墓地に着いた。
誰もが無言で、マリーが死んだことなど無関心のように見えた。
アンナだけが赤ん坊のエミリアをマリーの手から抱きとり、彼女のために涙を流した。
斜面に並んだ墓石の向こうの広場で、銃声が聞こえる。
後ろ手に縛られた若者や少年、老人たちがトラックの荷台から次々と下ろされ、銃を手にした男たちに囲まれて広場に消えてゆく。そして銃声を残して戻って来ない。
彼らは『コラボラトゥール』と呼ばれたドイツ軍への協力者、ドイツ支配下の政府に仕えた役人、市民を密告したもの。そんなふうに『祖国の裏切り者」になってしまった人々だった。
無実を訴え続け泣き叫ぶ者もいれば、自分の行為に確信を持ち、胸を張って刑場に歩いて行く者もいた。
髪を刈られた女たちは、その広場の入口で車から降ろされた。
下半身から血を流し荷車の床に横たわるマリーの遺体は、死刑執行役の男たちに手足をつかまれ、屠殺された仔羊のように持ち上げられた。
墓地の向こうの処刑場から、銃殺された死体を満載にした荷車が来た。
男たちは孔だらけになった死体の山の上にマリーを放り投げると、墓地に向かった。
死体はそこに掘られた大きな溝に投げ落とされ、土をかけて埋められた。
銃声が止んだ。先行した処刑対象者が全員始末されたのだ。
次は自分達の番だ。
女たちは虚ろな目で立ち尽くしていた。もう誰も一言も発しない。祈りの言葉も、「いやだ、いやだ…」と呟き続けていた微かな声も。
皆無言で、これから起こることを待つしかなかった。
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