第16話 レームとハイネス
2月5日。
ミッテ区シュプレー川の近くベルリン大聖堂で、警察署員ヨゼフ・ツァウリッツと突撃隊(SA)指導者マイコフスキーの国葬が行われた。
彼らが撃たれたシャルロッテンブルク地区とは、6月17日通り(東に入るとウンターデンリンデンと名を変える)でほぼ一直線に結ばれている、ルター派の礼拝が行われる教会である。
そのプロイセン王室ゆかりの格式ある聖堂で、ナチスは一警察官と突撃隊員の葬儀を行ったのだ。
後の宣伝相ヨゼフ・ゲッベルスが音頭を取り、ヒトラーやゲーリング等党の大物幹部が出席、突撃隊の茶色の制服と親衛隊(SS)の黒い制服が入り混じる、仰々しい葬儀であった。
二人の棺は『国の殉教者』扱いで聖堂内に安置されたのち、それぞれの故郷、先祖が眠る墓地に埋葬された。
葬儀の祭壇には、ドイツ大統領ヒンデンブルクからの花輪もあった。
ナチの息のかかった新聞は、共産主義者の暴力によって、実直な警官と突撃隊員が射殺されたと書き立てた。
その日早朝。
幼さの残る金髪の青年が、ベルリン・シャルロッテンブルク区の件の通りを歩いていた。
寒い風の吹く冬の朝である。
郊外の木々の枝は凍り付き、通りの両側の建物からは朝支度の煙突の煙すら出ていない。
茶色の制服にきっちりとコートのベルトを締めた青年は、手にした帽子を被るのも忘れ、しきりと建物の周囲を見回していた。
寒さに鼻を赤くし、無鉄砲感漂う生意気な中に若干の恐れが混じる顔には、一面にそばかすが散っていた。
青年はオイゲン・ザックハイム。
カバレットの歌姫アンナの恋人で、ヒトラーが首相に指名された祭りの夜、ツァウリッツァとマイコフスキーが撃たれた現場を目撃していた突撃隊員である。
「撃たれたのはこの近くで……」
オイゲンは共産党の拠点がある建物に近づいた。
ベルリン大聖堂での葬儀の前に、彼には確かめたい所があった。
それはあの事件当夜にみた光景である。
頭の中で片時も忘れたことのない当夜の喧騒、荒々しい罵りの声、興奮した突撃隊員の仲間たちの顔が甦る。
暗い夜空。集団で練り歩く隊員たちの、体から立ち上る熱気が、息と共に白い湯気になって漂っていた。
そして、銃声。
駆け寄り目撃した、建物の細い狭間に隠れ立ち去るコート姿の男……
「そうだ、ここだ」
オイゲンは一軒の古いアパートメント前に走り寄った。
ウォールシュトラッセ(ウォール通り)24番。建物の玄関前の歩道には大きな花輪が2つ置いてある。
ドイツの冬に咲く花は少ない。さぞ高価であったろう。
見ると白い花で編まれたリースには、大きなメッセージ用紙が結び付けてある。
青年は膝を屈め腰を曲げ、地面に顔を寄せるようにして古風なつづりを読んだ。
突撃隊に入る前から学業は苦手で職業学校も怠けてばかりだったが、その代償はこうしたところで支払わされるのだ。
花輪の一つにはこう添えてあった。
『シャルロッテンブルクの革命的な労働者、彼らの友人、NSDAPによって殺害された警察官のヨーゼフ・ツァウリッツ』
「NSDAPによって殺害されただと?」
「君はわざわざそんな戯言を読みにここに来たのかね?」
突然頭上から甲高い、どすの効いた声が降ってきた。
俯いていた背を伸ばすと、すぐそばに立っているのは恰幅のよい中年男と、同じく長身の逞しい男だ。
2人とも突撃隊の冬の礼装に身を包み、やや出張った腹をコートのベルトで締め上げている。
彼等は親し気に体を寄せ合い野卑な笑顔を浮かべて、驚くオイゲンを面白そうに視ていた。
中年の男は鼻のふくらみが半分つぶれ、頬には大きな銃創ある。
背中に冷たいものが走った。
ナチ党党首のヒトラーを「きみ」(du)と呼ぶただ一人の男。突撃隊長エルンスト・レームだ。
そしてその隣でにやにやと自分の顔を覗き込む金髪に青い目の男。
南部シレジア地方・ブレスラウの警察署長で、突撃隊(SA)大将のエドムンド・ハイネスである。
二人とも、一般隊員である若いオイゲンからすれば、遙か雲の上の存在でしかない。
驚いて最敬礼をする青年を、レームとハイネスは芸をする子犬を見るように眺めまわした。
そして向き合い濃厚な視線を絡ませる。
最高幹部の2人が同性愛の関係にある事は、オイゲンもうっすらと聞いてはいた。だがいざ目のまえで、その親密さを隠そうともしない様子を見ると、胸から背中にかけて冷たい痛みが通り抜ける。
「君は国家の殉教者たちの葬儀に、大聖堂に行かないのか? 」
青い目の悪魔と呼ばれるハイネスが若者に話しかける。
「もっともまだだいぶ時間があるが」
オイゲンは何か言わなければと気が焦り、口をパクパクさせた。
「いいえ、あの、自分はここで犠牲になった二人の英雄のすぐ近くに居て、殉職のさまを見てしまったので……その、二人に哀悼の意を表すべく……そして、不審な人影も……」
レームとハイネスは一瞬鋭い目を交わした。
「ほう、それは重要な目撃をしたのだな。君、俺たちと一緒に来い」
レームの言葉にオイゲンはぞっとした。自分は何かまずい事をしたのか。消されてしまうのか。
「なに、車で一緒にベルリン大聖堂に行こうと誘っているだけだ。そしてその前に、我々とカフェで、私的な朝のコーヒーでも飲もうじゃないか。ぜひ一緒に来てほしい」
「来るよな、君。名前は……」
先ほどからレームと視線を絡めていたハイネスが、大きな青い目で彼の顔を覗き込んだ。
少女のような顔、悪魔のような残忍な顔。むかむかしてくる顔。
そんな風に評されることもあるハイネスの顔。冷たい目は断わったら一言もなくその場で射殺されるであろう恐怖感を与える。
「私は……オイゲン。オイゲン・ザックハイムです」
「そうか。オイゲン、乗りたまえ。私たちの間にね」
凍るように寒い朝だというのに、彼を挟むように立つレームとハイネスの吐く息は生々しく熱かった。
オイゲンは制服の下で、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
警察官ツァウリッツは気のいい漢だった。
心の広い寛大な性格で、デモを起こされ厄介をかけられてはいたが、地元の労働者たちとも仲良くしていた。
仰々しい国葬の翌日2月6日、共産党寄りの左派タブロイド紙『ディ・ヴェルト・アン・アーベント』は彼を悼む記事を大々的に載せた。
見出しは『ウォールシュトラッセはツァウリッツを称える』
内容は、2月5日の彼の葬儀の日、『革命的労働者組織』のメンバーが、彼ともう一人が撃たれたウォールシュトラッセ24番に花輪を置いて悼んだというものだった。
『シャルロッテンブルクの革命的な労働者、彼等の友人、NSDAPによって殺害された警察官のヨーゼフ・ツァウリッツ』と贈る言葉を添えた、と記事には書かれている。
だが彼らのメッセージは、オイゲン青年が読んだ後、誰も目にしていない。
この日以降、ヒトラーとナチスは、大統領ヒンデンブルクや副首相フォン・パーペンの思惑から大いに逸脱し、権勢拡大のため膨張の一途をたどることになる。
(※注・ NSDAPは Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 「国家社会主義ドイツ労働者党」≒ナチ党のこと)
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