第83話 縛りを解かれて

「うわあぁぁぁぁぁっ」

「くそっ」

 叫びながら涙を流す桃太郎が、阿曽の胸を殴りつける。その力は決して弱くはないが、阿曽が耐えていると徐々に弱まっていった。

「あっ、あぁ……」

 ずるずると地に沈み、桃太郎の手は止まった。阿曽はどうしたらいいかわからず、とりあえず彼女と同じ目線になるために身を屈めた。

「おい?」

「……っ、うっ」

 肩を震わせ、怯えたようにうずくまる桃太郎。一層しどろもどろになる阿曽は、彼らを見ていた須佐男たちに助けを求めた。

 阿曽に目で訴えられ、三人は顔を見合わせる。桃太郎に最早敵意も戦意もない。それに戸惑いを覚えながらも、温羅が桃太郎の前に膝をついた。

「大丈夫かい、桃太郎」

「わた、し……ひくっ……誰も殺したくなんて……うっ……ないのにッ」

 泣き出してしまった桃太郎は、その場に崩れ落ちた。彼女の背を優しく撫で、温羅は苦笑してしまう。

「なんだか、毒気を抜かれたね」

「だからといって、今までの全てが許させるわけじゃないだろ」

「でもそれは、彼女の意志ではないってことだろう? 全ての元凶は人喰い鬼……伊邪那岐だ」

「わかってるよ」

 大蛇に言われ、須佐男は後頭部をガシガシかいた。須佐男といえども、泣き崩れる少女に問い詰めるほどの鬼畜ではない。

「……仕方ねぇ」

 ぼそりと呟いた須佐男は、どうすべきか未だにわからずにおろおろしている阿曽に「おい」と呼び掛けた。

「な、何ですか?」

「今から姉貴たちに連絡を入れる。母上に言えば、繋げてくれるはずだからな。オレが帰って来るまで、桃太郎を頼む」

「―――は?」

 いつの間にか醜女しこめが作り出した結界は解かれ、須佐男の姿は黄泉国方面へと消える。彼だけでは心配だと大蛇もついて行き、残されたのは阿曽と温羅、そして桃太郎だけとなった。

「……」

「……」

「……っ」

 桃太郎は必死に涙を止めようと肩を震わせ、温羅は黙って彼女を見守っている。阿曽は、伸ばしかけた手を下ろし、もう一度挙げるか決めかねていた。

(おかしい、な)

 何がおかしいか。阿曽自身にもわからない。わからないが、桃太郎をどうにか励ましたい、慰めたいという気持ちが膨らむ。

 今までは強敵だった。しかし今は、利用され捨てられた哀れな少女に見えた。

「……なあ、桃太郎」

「……? わっ」

 桃太郎の体がガクッと傾く。そのまま倒れるかと思われたが、彼女の腕を引いて体勢を崩したのは阿曽だった。

 二人の体が密着し、桃太郎が驚いて涙を止める。硬直する少女の背を撫で、阿曽は「大丈夫だ」と呟いた。

「きみは、気付いた。立ち止まった。だから、大丈夫。全ての元凶は、俺たちが絶対に倒すから」

「たお、す……? あなた、が?」

「『あなた』じゃない。俺は『阿曽』だ」

「あ、そ」

 腕の中で阿曽の名を復唱する桃太郎に、阿曽は「そう」とわずかに顔をほころばせた。

「俺は阿曽。この人は温羅さん。さっき向こうに行ったのは、須佐男さんと大蛇さん。……きみが生きられるように手助けしてくれるはずの人たちだ」

「……うん」

 完全に戦意を喪失した桃太郎は、阿曽の胸に額をくっつけた。そして、小さく唇を動かす。

 小さ過ぎて聞こえ辛かったが、よくよく聞くと言葉を呟いていた。

 ――ありがとう、と。

 阿曽は無言で桃太郎の背に手を触れた。自分や温羅たちよりも細く小さな背に、少しばかり驚きながら。




 黄泉国の中心部に向かった須佐男と大蛇は、須佐男の母である伊邪那美の住む神殿へと足を踏み入れていた。

 神殿は高天原と同様に木で造られている。決して豪奢ではない住まいの奥で、伊邪那美は彼らを待っていた。

「来ましたね、二人共」

「……母上、頼みがある」

「高天原につなぎをつけるのでしょう? 既に支度は整っていますよ」

 全てを知っているという顔をする伊邪那美に、須佐男たちは目を丸くした。彼女の背後には大きな鏡が置かれている。

「何で知って……」

「何故も何も、ここはわたしが統べる国ですもの。目を閉じれば見たい景色を見ることが出来、知りたいことを知ることが出来ます。ですから、桃太郎と阿曽の戦いがどんな結末を迎えたかも知っているのです。……あなたたちが彼女をどうしたいのかも含めて、ね」

「……敵わない、な」

「だね。流石、伊邪那美さんだ」

 苦笑し、須佐男と大蛇は伊邪那美に高天原と連絡を取りたい旨を伝えた。当然のごとく伊邪那美は了承し、二人に背後の鏡を貸してくれた。


 須佐男と大蛇は鏡の前に立ち、天照と月読を待つ。すると、鏡の向こう側に二人の姿が現れた。

 弟の無事な姿に安堵した様子を見せた天照は、弟たちの申し出に耳を疑った。

「ごめんなさい、須佐男。もう一度、言ってくれないかしら?」

「ああ。……オレたちは、桃太郎を姉貴に預けたい、と言ったんだ。彼女はもう人喰い鬼の縛りから解かれ、鬼を殺すことはない」

「ええ。ですが、野放しにするのはやはり不安です。再び人喰い鬼に囚われれば、今度こそ戻れなくなる。ですから、天照さんに預けて生かしてやることは出来ませんか?」

 須佐男と大蛇に相次いで頼まれ、天照は「うーん」と悩ましげな声を上げた。斜め後ろに控える月読も眉をひそめている。

「まずは、黄泉で何があったのか聞かせてくれる? その後で、判断させてくれないかしら」

「僕も、聞かせて欲しいですね。須佐男たちが、何故そんな判断に至ったのか。……そう言えば、温羅と阿曽はどうしましたか?」

「二人には、桃太郎を見ててもらってるんだ。良いぜ、簡潔に聞かせてやるよ」

 そう言った須佐男は大蛇の助けを借りながら、黄泉国に来てからの怒涛の戦いを簡単に説明していった。三将との死闘、そして人喰い鬼の正体について。

 人喰い鬼の正体が自分たちの父である伊邪那岐だと知り、天照は相当に驚いていた。目を見開き、口元に手のひらをあてる。

 あまり驚きを見せない月読も、この時ばかりは瞳孔を開いて驚きを隠せなかった。ゆらりと揺れる姉の肩を支える。

「……わたくしたちは、実の父上と戦わなくてはならないのね」

「そういうことだな、姉貴」

 徐々に明かされる黄泉国の事柄。全てを聞き、天照は息をついた。

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