第73話 醜美の秘密

 自らが日子ひるこという神と多々良たたらという鬼の間に生まれた子だと思い出した阿曽は、自分が佩いている剣の柄を撫でた。自分を先程まで抱き締めてくれた伊邪那美いざなみに言う。

「この剣、名を日月剣ひつきのつるぎと言うんです。思い付きで名付けましたけど、頭の何処かに父のことがあったのかもしれません」

日月ひつき日継ひつぎ、ね」

 日、つまり日子の血を継ぐ者が持つ剣という意味を帯びることとなる。阿曽はまさにそれであり、この剣を使いこなさなくてはならないのだ。

「天恵の酒を貰うために必要なんだと思っていましたが、本当は俺自身のために必要な過程なんですね」

 つばに彫り込まれた日と月、そして星。それらが自分に「頑張れ」と力を与えてくれる気もする。その応援は、きっと父と母からのものだろう。

 だから、阿曽は仲間たちを振り返る。

「俺は、もっと強くならなきゃいけないです。母さんを守れず、父さんも探しに行けなかった自分を、堕鬼人との戦いの中で変えたい。絶対に、人喰い鬼を倒します。だから……だから、これからもよろしくお願いします」

 思いきり深々と、頭を下げる。自分が神と鬼の間に生まれた忌み子だからと一線を引いてほしくない、今まで通りに接してほしい。そんな願いを込めて下げたのだが、須佐男たちからの反応を得られず、ゆっくりと顔を上げた。

 すると、三人は顔を見合わせている。何かまずいことでも言ったかと内心冷や汗をかいていた阿曽の前に、温羅が進み出る。

「阿曽は、かたきを討ちたいとは言わないんだね」

「仇、ですか?」

 温羅に言われた問いに、阿曽は驚いた。仇、つまりは母を殺した堕鬼人を探し出して母と同様に殺さなくても良いのかということだ。

 少し考え、阿曽は苦笑する。

「正直、恨みがないと言えば嘘になります。母が生きていれば、記憶を失うことも戦う必要もなくて、ただ楽しく毎日を過ごしていたのでしょうから。……だけど喪って、温羅さんたちに出逢って、ここにいる。それを否定することは、俺にはもう出来ません」

 何故なら、温羅と出逢って、須佐男と出逢って、大蛇と出逢って、出逢わなければよかったと思ったことは一度もない。それよりも、ずっと一緒に旅していくことが出来ればと願う自分がいる。

 いつの間にか、この三人と共にいる場所が、阿曽にとって心地良い場所となっていたのだ。

「俺は温羅さんたちと一緒に、最後まで戦う決意です」

「――そうか。だそうだよ」

 温羅が同意を求めると、須佐男と大蛇はそれぞれに小さく笑った。

「なら、オレも兄貴の子どもだからと言って、何かするということはない。これまで通りに接してやろう」

「僕も。とはいえ、何も変わらないから安心しなよ、阿曽」

「はい。ありがとうございま……!?」

 突如として、殺気が阿曽たちを取り囲む。温羅が阿曽を背にかばい、須佐男は伊邪那美の手を引き、大蛇は彼ら二組の前に立ち構える。

「何だ……?」

 振動が、地の更に下から湧き上がって来るような感覚。その感覚は、殺気や戦意と思われる負の感情を真っ直ぐに突き刺す。

 一所ひとところに集まった阿曽たちは、目の前でひび割れていく地面を見つめるしか出来ない。そのひび割れは徐々に大きくなり、盛り上がって、ついには地面を破壊した。

 小石や砂が弾け飛び、阿曽たちはそれらから目を口を守るので精一杯だ。

 ぶわり、と瘴気が舞い上がる。黒々とした力の渦は、周囲を巻き込み拡散していく。

醜女しこめ!」

 このままでは黄泉国が崩壊する。そう危惧した伊邪那美いざなみが、美しき部下を呼んだ。

「――ここに」

 音もなく現れた醜女は、瞬時に状況を把握した。

「まずはこの穴を塞いでしまいましょう。全てはそれからです」

「頼むわ」

「ええ。……少し、驚かせますが許して下さいね」

 阿曽たちに事前に謝罪すると、醜女は両手のひらを前に突き出した。そこに、彼女の力が集まっていく。透明な結界を構築し、穴が徐々に塞がっていく。

 ぷつん、とひび割れが収まり、おどろおどろしい気配もかき消える。

「凄い……」

 阿曽はほっと息をつき、醜女の傍へと駆けて行く。彼女の顔を後ろから覗き込み、礼を言おうとした。

「醜女さん、ありが……」

「だ、駄目です! 近付いては」

 醜女は顔を手で隠し、逃げるように阿曽から離れる。何となく傷つき伊邪那美を見ると、彼女は苦笑いを浮かべていた。

「許してやって下さい。彼女は、その名の通りなのです」

「その名の通り?」

 思わず復唱した阿曽に、伊邪那美は頷く。

「ええ。普段は美しい顔を持つ醜女ですが、結界構築など力を使う時、その顔がただれるのです。本人はそれを嫌い、結界を創った後はしばらく人前から姿を消します」

「じゃあ、悪いことをしてしまいましたね……」

 顔を見られて傷付くのは、阿曽ではなく醜女の方だ。しゅんと肩を落とす阿曽に、伊邪那美は「気にして下さってありがとう」と微笑んだ。

「醜女には後ほど、私から言っておきましょう。……それよりも、今は大切なことがあります」

「……何が、地面に穴を開けたか、ですね」

「その通りです、温羅」

 温羅は醜女の結界によって塞がれた部分の上に立ち、しゃがんで地面に指をはわせる。わずかに瘴気の痕跡はあれど、それ以上のことは読み取れない」

「母さん、この下は?」

 須佐男は温羅の傍に立ち、つま先で地面を叩く。トントンと音をさせるが、崩落することはない。一度崩れかけた場所だが、支えられるほどに醜女の力は強固なのだろう。

「……」

 息子の問いに、伊邪那美は窮した。まさか知らないわけはないだろうと須佐男がもう一度尋ねかけたその時、伊邪那美は眉間に深いしわを刻んだ表情でようやく答えた。

「この下は、堅洲国かたすくに。……ここ黄泉国とは違う、堕鬼人が堕ちるとされる世界」

 そして、と伊邪那美は苦しげに呟いた。

「――人喰い鬼が統べる国」


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