第57話 意地
「大蛇さん!」
身を乗り出した阿曽が叫ぶ。そして、何処から最後の攻撃をあててやろうかとほくそ笑む尊を睨みつけた。阿曽がやろうとしていることを察し、温羅は彼の腕を捕まえようとした。
「阿曽」
「わかってます」
「いや、わかってな……あ、おい!」
阿曽は温羅の腕をすり抜け、尊の前に飛び出した。目を見張る尊に両手を広げて見せ、思ったことを素直に正直に言い放った。
「大蛇さんを離せ! こんな戦い方……相手が苦しんでいるのを見るだけの戦いが、すべき戦いであるはずがない!」
「だとしても、きみに出来ることなどないよ」
尊は草薙剣の切っ先を阿曽の喉元に突き付けて、静かに言う。
「これは、オレと彼の戦いだ。これで彼が死ぬのなら、それまででしかない。……力を取り戻すのが目的なんだろう? なら、どうにかしてこの剣に認められてみろ」
後半は、水に巻かれたままの大蛇に向かって放たれた言葉だ。
大蛇は苦しそうに喉を押さえているが、その瞳は真っ直ぐに尊へと向いている。戦意が失われていない証拠だ。
阿曽は大蛇がもがいている姿に胸を痛めながらも、彼が諦めていないことを知ってきゅっと自分の胸もとを掴んだ。
未だ、草薙剣は阿曽の喉を破らんと向けられている。冷汗が首を伝うが、阿曽は
「……へえ」
尊は感心したのか、自ら切っ先を下ろした。ふっと緊張の糸が切れ、阿曽はその場に片膝をつく。その時になって初めて、自分の膝が笑っていることに気が付いた。
「阿曽、といったね」
尊は阿曽を見下ろし、余裕の笑みを見せた。その凄みに、阿曽は心臓を素手で掴まれたような錯覚に陥った。
「八岐大蛇を草薙剣が斬り殺すところ、見ておくが良いよ」
「……そんなことに、絶対にならない」
「強情だね」
鼻で笑い、尊は須佐男と温羅に目を移した。阿曽はすぐに行動に出たが、二人はただ何もせずに見守っている。その真意を知りたいと思った。
「あなたたちは、仲間が心配ではないんですか?」
「心配? ……大蛇を最初に封じたのは、オレだぜ?」
須佐男はククッと笑い、水の竜巻を見上げた。
「あいつは、これくらいじゃ死にもしない。当たり前だろ」
「大蛇は、わたしに負けたくないはずだから」
阿曽を立たせながら、温羅も呟く。揺るがない瞳を細め、笑ってみせた。
「こんなところで、立ち止まるわけにはいかないだろう?」
「……信頼、か」
尊は不遜に微笑み、草薙剣を大蛇へと向けた。大声で、煽るように問いかける。
「お前は、ここで死ぬ。草薙剣と一体となり、オレの腕となってもらおうか」
その問いに、確固とした拒否の意が響く。
「―――断る」
―――パァンッ
突如として水が弾け、大蛇が落下する。ドサリという音がして、大蛇は倒れ伏した。
しかし息が整うのを待たず、跳び起きて剣を構える。その瞳が、翡翠の色に輝いた。
「ぼくは、八岐大蛇。水の
「その強情、何処までもつかな?」
―――ギンッ
何度目とも数えきれない刃の交わりが繰り返される。一閃、一閃。そのどれもが互いの命を削り、肌を切った。
「初めの時と、キレが違い過ぎるぞ! そんなものか、地祇の力とは!」
「抜かせ!」
大蛇は尊の刃を弾き返し、一度距離を取った。しかし即座に間合いを詰め、その喉笛を狙う。
尊は首に迫った剣を体をのけぞらせて躱し、大蛇の足を払った。大蛇も宙を舞う己の足を片手で支え、くるりと一回転して地に足をついた。そしてもう一度、二人は間合いを詰める。
大蛇と尊の戦いを見守りながら、阿曽はふと須佐男に尋ねた。
「大蛇さんの半分を封じたのは、須佐男さんなんですよね」
「ああ、そうだ」
素直に頷く須佐男に、阿曽はもう一つ問いかける。温羅は二人と大蛇を見守っていた。
「何で、封じてしまったんですか?」
「気になるか、阿曽」
「はい。……俺は、三人について何も知りませんから」
少し寂しげな弟分の頭を乱暴に撫で回し、須佐男は笑った。阿曽は髪をぐしゃぐしゃにしないで欲しいと文句を言ったが、聞く耳を持たれない。
「知らないなんてことはないだろう。現に今、オレたちは共にいる」
「阿曽は、わたしたちの代え難い仲間だ。これから、いくらでも互いについて知ることが出来るだろう」
「そういうことだ」
快活に笑い、須佐男はようやく阿曽の疑問に答えをくれた。
「オレが大蛇の半分を封じた訳、あいつが寂しそうだったからだ」
「……寂しそうだった?」
三人の前を草薙剣が放つ水をまとった剣撃が通り過ぎる。それは大蛇に襲い掛かったが、大蛇は確実にその剣撃を両断した。水しぶきが飛び、大蛇の服を濡らす。
「大蛇は、独りだったんだ。昔は信心を寄せる者も多く、たくさんの心が寄り添っていたらしい。だが、ある時を境に人の心が地祇から離れ、存在を維持する力を失いかけた」
淡々と、感情を含まない声で須佐男は語る。
「あいつは寂しさのあまり村々を焼き、人の心が離れる
どちらが死んでもおかしくない戦いだった。そう言って、須佐男は大蛇を見た。大蛇にはこちらを見て反応する余裕はなく、接近戦を繰り返している。
「大蛇が二度と、自分が悲しむ結果を生まぬよう、オレはあいつの半分を草薙剣に封じた。そして、友になったんだ」
「悲しむ……? どうして、悲しむんです」
「大蛇は、人が好きなんだよ。人だけじゃない。神も鬼も関係なく、誰かという他者を求めている。残酷な力を内に秘めながら、それでも他者と共にあろうとした。……神というのは、多かれ少なかれそんな存在だ」
「……」
阿曽は改めて、大蛇を見つめた。腕や足、腹部に血が散っている。それが大蛇のものなのか、尊のものなのかは判然としない。
「はっ、はっ」
荒い息を吐き、大蛇は血まみれの
「これで、終わりだ!」
大蛇が叫ぶと同時に剣を振り下ろした時、何かが彼の胸に触れ、貫いた。
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