第51話 いつかの約束

 阿曽ひめは阿曽の体を借り、今話しているのだと笑う。

「この体の持ち主、阿曽くんの意識は保たれています。……わたしは、やるべきことが終われば消えますので、ご安心ください」

 胸に手をあて、心の中でこちらを見つめている阿曽に向けて、阿曽媛は言った。

 温羅は何度も目を瞬かせた。かつて愛した娘が姿を変えて目の前にいる。それは信じたくなる夢のような話だった。

「本当に、阿曽媛? 夢じゃないよな」

「ええ、本物です。中身は、ですけれど。今、あなたがすべきことを手伝うためにここに出ることを許されたのです」

 懐かしい微笑みを浮かべ、媛は胸の前で指を組んだ。彼女が言う意味を理解し、温羅は問う。

「すべきこと……。きみは、わたしの力を取り戻すことが出来ると言うのかい?」

「その通りです。温羅さま」

 媛は頷き、温羅に向かって両手を差し出す。

「その比礼ひれをわたしに下さい」

「比礼を?」

 温羅から受け取ったかつての所有物を、媛は胸に抱き締めた。すると比礼からほこりや汚れなどが落ち、美しい若草色が戻って来る。更に、神々しさまでも感じる気配が満ちていく。

「これで、比礼の霊力が戻ったはず。温羅さま、剣を出して頂けませんか?」

「ああ」

 素直に応じた温羅の剣に、媛は比礼をかける。若草色に覆われた刃は、何も反応を示さないかと思われた。

 しかし蛍の灯りのような光が溢れ出し、それらは天へ上ることなく、再び剣へと吸い込まれた。比礼と剣が一体となったのだ。

 わずかに比礼の色であった緑を帯びた剣の刃を撫で、媛は言う。

「これなら、あの釜を両断出来ましょう。わたしの霊力を注ぎ込みました。……きっと、成し遂げて下さいね」

「阿曽媛?」

 温羅が首を傾げると、媛は微笑んで見せた。それからゆっくりと大きな釜を指差す。

「さあ、あなたにしか出来ないことです。あなたの半分を取り戻すため、過去を打ち砕いてください」

「……わかった」

 力強く頷くと、温羅は巨大な釜の前に立つ。深く息を吸い込み、同時に剣を頭上へと持ち上げた。

「はあぁぁぁぁぁっ!」

 怒号のような叫び声と共に、温羅は剣を真っ直ぐに振り下ろした。キンッという金属音が響き、釜の真ん中にひびが入る。

 中央のひびから円を描くように割れていく。温羅たちが見守る前で、釜は砕けてそのかたちを失った。

「……やった」

 ぽつりと呟いたのは、誰だったのだろうか。

 しかし驚く間もなく、釜があった地面から何かがあふれ出す。それは温羅の瞳と同じあかの、まばゆいばかりの光だった。

「あれは……」

「そう、あなたが失った半分。……さあ、地速月剣ちのはやつきのつるぎを」

 媛が手で示したのは、温羅の剣だ。温羅は剣を掲げるように持ち、光の中へと進み出た。

 紅い光には、禍々しさはない。温羅の過去を鑑みれば、その光にほの暗いものが混じっていてもおかしくはないのだ。そして、温羅もそれを自覚している。

「……長く、ここを守ってくれていたのはきみだったね。媛」

 きみが変えてくれたんだろう。確信をもって、温羅は微笑む。何故なら、光の中に媛といた頃の穏やかで幸せな気配を感じたから。

「そう思っていただけたのなら、何も言うことはありません」

 阿曽の中にいる姫もまた、ふわりと微笑んだ。彼女に背中を押され、温羅は息を吸って吐く。

 温羅は剣の切っ先を地面へと向け、一気に突き刺した。

 ───ビキッ

 地面が割れ、更に激流のような光が飛び出していく。それら全てを剣で受け止め、温羅は叫んだ。

「戻れ、我がもとへ。今度こそ、間違えはしない!」

 紅い光は一本の柱となり、天へと昇る。そして、再び温羅と剣へ降り注いだ。

「温羅!」

「温羅……!」

 須佐男と大蛇が、それぞれに仲間の名を呼ぶ。髪がひるがえり、温羅は眩しさに目を閉じた。

「……もう、大丈夫だよ」

 光は全て受け入れられ、温羅を包む光の奔流はおさまった。温羅はふっと息をつき、阿曽の中にいる媛を真っ直ぐに見つめた。

「ありがとう、媛。これでわたしは、信じるもののために戦えるよ」

「あなたなら……あなた方なら、絶対に大丈夫。……わたしは、この子の中で見守っているから」

 それは、別れの言葉だろうか。温羅は、叫び痛む心を圧し殺して笑う。

「……また、会おう」

「ええ。……大好きよ、温羅さま」

 不意に阿曽の輪郭が揺れ、黒髪の可愛らしい女人が現れる。彼女が阿曽媛だと、須佐男と大蛇にもわかった。

 阿曽媛は頬を赤くしてはにかみ、光となって消えた。

 その場に残された阿曽の体が、傾ぐ。

「阿曽っ!?」

 突然の出来事だったが、温羅はぎりぎりのところで阿曽を抱き止めた。須佐男が近付き、阿曽の口元に指を添わせる。息があるか確かめるのだ。

「……よかった。寝てるだけだな」

「そうか……。よ、よかった」

 思わずその場に座り込みそうになる温羅に、大蛇が笑いかけた。

「媛、まさかここで阿曽を手放すなんてな」

「オレたちがいるから大丈夫だと思ったんだろうよ」

 須佐男も笑い、阿曽の額に手を置いた。熱すぎず、熱もないらしい。

「全くこいつは……とんでもないな」

「前世を持つ者、か。阿曽には、この子も知らない秘密があるんだろうね」

「まだあるって言うのか、大蛇」

 驚き目を見張る須佐男に、大蛇が苦笑して見せる。

「天照さんも櫛名田姫も、この子が何者か判じられなかった。それ相当の謎があると考えて、不自然ではないだろう? 良いじゃないか、面白そうで」

「面白そうって、お前な」

 くすくすと笑う大蛇に呆れた須佐男は、それまで話に入ってこなかった温羅の顔を覗き込む。

「どうした?」

「あ……ああ、いや」

 はっきりしない温羅の背中を、須佐男が思いっきり叩く。バンッという痛そうな音が響いた。

「───っ」

「何かあったんだろ。言っちまえ。……お前、何か勘づいてたんじゃないのか?」

「そう、だね」

 温羅は自分に寄りかかって眠る阿曽の顔をじっと見て、泣きそうに笑った。

「初めて見た時、似てると思ったんだ」

 性別も、声も、年齢も、瞳の色さえも違う。それでも、よく似ていると直感した。

「真っ直ぐな瞳を持っていて、誰よりも優しい。そんな本質だったのかもしれないね」

 戻ろう。温羅は眠る阿曽を抱き上げ、須佐男と大蛇に言った。

 温羅の腰に佩いた剣は、優しく温かい若草の色をまとっている。

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