第35話 昔の約束

 香香背男かかせおは、目の前で起こっていることが信じられずに声を上げた。

「おいっ、これはどういうことだ!?」

「ん? 見た通りだけど」

 面白いだろう。そんな楽しげな顔でこちらを見下ろす留玉とめたまと名乗る男に、香香背男は大きく舌打ちした。

「ただの地獄絵図だろ、こんなのはよ」

 眉を寄せ、香香背男は現状を整理しようと試みた。

 現在、彼の目の前では味方同士の殺し合いが行われているのだ。しかもそれをしているのは、阿曽たち四人なのである。

 彼らの間を縫って、桃太郎が少しずつ攻め上る。須佐男の右腕を傷つけ、阿曽の頬に血がにじむ。温羅の左腿に赤い線が走り、大蛇の脇にしみができる。

 それでも、彼らは傷つけ合うことを止めない。より激しく、仲間の致命傷を狙う。

「彼らは今、自分以外はこの桃太郎に見えているんだ。そりゃあ、倒そうとするだろうね」

 高みの見物を決め込んだ留玉は、くすくすと笑いながら言う。そんな留玉に対し、香香背男はぎりっと奥歯を噛み締めた。

「何をした……?」

「何、か。特別なことはしていない。ただ、暗示をかけただけだ」

「暗示……」

「そう。『仲間を敵と認識し、倒せ』ってね」

 楽しい企てだろう。留玉は歌うように言う。しかし、その答えは香香背男にとっては最悪のものでしかない。

「……どうにかして、目を覚まさせなくちゃいけないか」

 香香背男は剣の柄を握り締め、四人の様子をじっくりと見つめた。

 その時、須佐男と温羅の間に隙間ができる。香香背男はそこに滑り込んで温羅の剣を受け止め、次いで須佐男の剣を横に流した。

 更に阿曽を背負い投げで投げ飛ばし、大蛇の腹に膝蹴りを見舞う。

 それでも四人はそれぞれに立ち上がり、再び激しく傷つけ合う。見れば、彼らの瞳には光がない。操り人形のようにただ戦うだけの物となり果てていた。

 もう一度間に入り込むが、今度は温羅の踵落としを背中に喰らいかけ、跳びすがった。

「―――ちっ」

 盛大な舌打ちをする。しかし、香香背男は彼らを放置してそこから去ろうとはしない。留玉は男の必死な様子に面白くなさげな顔で尋ねた。

「どうして、そこまでするんだい? 彼らは、きみにとっては赤の他人だろう」

 何故、会って間もないような他人を助けようとするのか。縁が深いわけでもなかろうに。不思議そうに首を傾げる留玉に、香香背男は拍子抜けしてしまった。

「反対に訊くが、お前は仲間が危ない時助けないのか?」

「助ける? そんなの、自業自得だろう。私は、自分以外はわりとどうでもいいたちなんでね。自分のことは自分でどうにかすべきだよ。……例え、それが自らの意思とは関係ないことだとしてもね」

「そうか。……ふふっ。ならば、わからないだろうな」

「何が可笑しい?」

 大蛇に蹴られた腹に手を置きながら、香香背男はおかしそうに笑った。須佐男の剣を受け止め、弾く。

「約束したんだよ、日子やつと。阿曽こいつらを決して死なせないとな!」

 香香背男の剣撃が桃太郎を襲う。丁度阿曽の首筋を狙っていた彼女は、不意を突かれて跳んだ。そのまま後退して剣を構えている。

 すぐに攻撃してくることはない。そう判断した香香背男は、傷つけられることを覚悟の上で、一番近くにいた阿曽に飛びついた。

「―――ッ」

 阿曽を押し倒し、馬乗りになる。そうして暴れる阿曽の両腕を地面に押し付けた。

 獣のように呻りながら逃れようとする阿曽の耳に、香香背男は大声で呼びかけた。

「阿曽、聞こえないのか!? お前の力は、この程度なのか?」

「―――ぁあぁっ」

 ビクリと体を震わせ、阿曽は動きを止めた。それでも苦しげに身をよじる。

 背後では三人分の戦闘音がする。須佐男たちは戦いにおける玄人だ。むざむざ自分の命を捨てはしない。

 もう少しだ。もう一押しだと香香背男は自身を鼓舞する。

「目を覚ませ! お前は……お前たちは、こんなところで倒れてはいけない!」

 再びビクッと身を震わせ、阿曽が呻く。

「阿曽!」


 その時、阿曽はまだ暗闇の中にいた。今まで戦っていた桃太郎とは別の場所から何かが襲って来る。身構えても、見えないからか避けることすら出来ない。

 何かに体を持ち上げられ、投げ飛ばされた。

「―――ッ」

 受け身を取って痛みを軽減すると、阿曽は跳び起きて再び桃太郎を斬りつけようとした。もう少しで刃が届く、その時だった。

『―――、―――!?』

「え……?」

 今まで自分の呼吸する音と地面を蹴る音くらいしか聞こえなかったにもかかわらず、今、阿曽の耳には誰かの声が流れ込んで来ている。

 次いで何かに押し倒され、阿曽は懸命に逃れようと暴れた。早く逃げなければ、桃太郎が襲って来るのだ。早く、体勢を立て直さなければならない。

 しかし焦れば焦るほど、両手にかかる圧は大きくなっていく。

「くそっ」

 何度も聞こえてくる謎の声。阿曽は耳を澄ませ、ようやくその声を拾うことが出来た。それは聞き覚えがあるものだったが、こんなに必死な声は聞いたことがない。

『目を覚ませ! お前は……お前たちは、こんなところで倒れてはいけない!』

「か、香香背男さん……?」

 声の正体に気付いた時、阿曽は自分の前に眩しいほどに輝く穴が存在していることを知った。いつから開いていたのかは全くわからない。けれど、ここに飛び込むべきだと何かが阿曽に教えてくれた。引っ張り込むような温かな力を感じた気がした。

 阿曽は手を伸ばし、それを掴んだ。


「うわっ」

「おわっ」

 突然目を覚ました阿曽と、彼の顔を見つめていた香香背男は同時に驚きの声を上げた。しかし、彼ら以上に驚きを禁じ得なかったのは留玉だった。

 留玉はこれ以上ないほど目を大きく開き、どうしてと呟いた。

「どうして、我が禁術が破られた。どうして、言葉のみで目を覚ました!?」

「さあな」

 香香背男はそう短く返すと、呆然と自分を見つめている阿曽に微苦笑を向けた。

「時間はない。三人を起こすぞ」

「―――はいっ」

 阿曽は、まだ自分が置かれていた状況を知らない。兎も角も、須佐男たち三人を正気に戻すために、阿曽は香香背男と共に仲間たちのもとへと突っ込んで行った。

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