中つ国の章
まだ見ぬ世界へ
第6話 天の浮橋
翌朝。阿曽は眩しい日の光と小鳥のさえずりで目を覚ました。
「ここは……ああ、そっか」
ぼんやりとした頭が徐々に覚醒し、自分が何処で何をしていたのかを思い出す。
昨日、桃太郎という名の少女に森で襲われ、阿曽は温羅に助けられた。彼と共に行った高天原の地で、須佐男と大蛇、そして天照と月読に出会ったのだ。
トントン。怒涛の展開に頭を抱えていた時、部屋の戸が叩かれた。
「おはよう、阿曽。起きてるかい?」
「温羅さん、起きてますよ」
引き戸を開け、温羅が顔を出す。彼は阿曽の向かい側に部屋を与えられていた。寝間着として白い
「温羅さん、それは?」
「ああ、これかい」
温羅は指摘された衣服を阿曽へと手渡した。
「阿曽の服だ。麻の衣はぼろぼろになっていたからね。こちらで用意させてもらったよ。気に入るかどうかはわからないけど、それを着てから食事に来ると良い」
「あ、ありがとうございます」
温羅が退室するのを見送り、改めて手に載せられている衣服を広げる。
彼は藍下黒の服だったが、阿曽のそれは
初めて見る美しい色目に、ついほれぼれとしてしまう。しかし我に返り、阿曽はいそいそと見様見真似で衣を身に着けた。
食事の間に行くと、天照と月読も既に席についていた。
「お待たせしました。おはようございます」
「おはよう、阿曽」
「おはようございます。よく、似合っていますね」
「そ、そうですか?」
月読に褒められ、阿曽ははにかんだ。天照と月読の衣服の色味は昨日とあまり変わらない。次いで須佐男たちが挨拶を返してくれる。
「よう。眠れたか、阿曽」
「おはよう、阿曽」
「うん、月読さんの言う通り似合ってるよ」
「おはようございます。ありがとうございます」
ぺこりと浅く頭を下げ、阿曽は温羅の隣に座った。
須佐男は
食卓には、阿曽が食べたことのないような豪華な食事が置かれていた。特に茶色くない白い米には驚かされた。果物も瑞々しくて美味しそうだ。
阿曽は箸を進めつつ、ふと思った疑問を口にした。隣の温羅に尋ねる。
「そういえば、中つ国にはどうやって行くんです? 俺は目を閉じていたので見てないんですけど……」
「ああ、そうだったね。『天の浮橋』を使うんだ」
「アメノウキハシ?」
首を傾げる阿曽に、温羅の向こう側にいた大蛇が答える。
「天の浮橋は、高天原と中つ国を結ぶ橋なんだ。それを渡ることで、ぼくたちは降りることが出来る。まずは
「淤能碁呂島は、高天原と中つ国を結ぶ場所にある島で、そこから中つ国の何処へでも飛ぶことが出来る」
温羅の補足説明を聞いても、阿曽は全てを理解出来たとは言い難かった。けれど、見ればわかるという須佐男の言葉に頷く。
食事を終え旅立つ準備も済ませて、阿曽たちは天の浮橋につながる回廊へとやって来た。穏やかに別れの挨拶をして終わりかと思いきや。
「須佐男、いつでも帰って来てね? お姉ちゃん、すっごく待ってるから。月読だけじゃ、足りないの! 弟要素が! 何かあったらすぐに連絡頂戴!」
「く……苦しい。姉貴、首絞まるからっ」
「……はあ。姉上、須佐男を離してください。死にますよ」
「! それは困るわ!」
「……はあ、はあ」
後の世で言うところのヘッドロックをかけられたような状態から解放され、須佐男は肺に酸素を入れる。ようやく、呼吸が楽になった。阿曽は思う。ただ正面から抱き締められていただけで、何故ああなるのかと。
もうお馴染みとなってしまった三姉弟の掛け合いを微笑ましく見守り、阿曽たち三人は顔を見合わせ苦笑した。
天照は咳払いで誤魔化し、表情を改める。
「こほん。……では四人とも、気を付けてね。さっきも言ったけど、何か助けが必要な時は、いつでも連絡を頂戴。無事を祈ってるわ」
「僕も姉上と同じ気持ちです。お気をつけて。弟を頼みます」
月読の言葉に、大蛇が軽く胸を叩いて応じた。
「任せてください。須佐男の面倒はしっかり見ますから」
「おい、大蛇。お前それはどういうことだよ?」
「そのままの意味だよ? ね、阿曽、温羅」
「え……」
「ああ、そうだね」
「……納得いかねえ」
ぶつぶつと文句を言っていた須佐男だったが、天照と月読に向き直って笑う。
「じゃ、言って来るわ」
「ええ」
「
須佐男たちは天照と月読に背を向けて歩き出す。阿曽はそれを追う前に、二人にぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました。天照さん、月読さん」
「……阿曽」
天照は腰を折り、阿曽と同じ目線になった。そして細い両手で彼の顔を挟む。戸惑いを浮かべる阿曽の目を見て、天照は痛そうに微笑んだ。
「あなたの旅は、決して平坦ではないわ。けれど、必ず須佐男たちが傍にいるから。それを、忘れないで」
「それってどういう……?」
ことですか。そう問い返す前に、天照は阿曽の体を反転させた。小さくまだ細い背中をとん、と押す。
「行きなさい。あなたには、たくさんの出逢いが必要だわ」
「僕らもいますからね、阿曽。いってらっしゃい」
「――はい。いってきます」
天照と月読に見送られ、阿曽は離れた場所からこちらに手を振る須佐男たちのもとへと駆け出した。
長い回廊を進む彼らの姿が見えなくなり、天照は胸の前で両指を組んだ。
「――
「大丈夫ですよ、姉上」
「ええ」
長く白い回廊は、何処までも続いている気がした。景色は変わらず、ずっと石の敷き詰められた道が続く。しばらく行くと、唐突に景色が変わった。
「空の上!?」
阿曽が叫ぶのも無理はない。現在、彼らの足下には青い空と雲が広がっている。風はない。また、一歩踏み出せば真っ逆さまに落ちて、命はない。恐怖に震える阿曽を見かね、温羅が「心配はないよ」と微笑む。
「あの白く光る板が見えるかい?」
「幾つも下に向かって階段状に並んでいる、あれですか?」
「そう、あれが浮橋。そしてあの浮橋が吸い込まれているように見える雲の下が一旦目指す島だ」
温羅の言う通り階段状の板は十枚ほどで終わり、その先は雲に隠れている。あの雲の中まで行くということらしい。
見れば、雲の帯は見渡す限り広がっている。だから万が一落ちても大丈夫なのかもしれないが、阿曽の足は
「あ、浮橋から落ちたら死ぬからな?」
「死ぬんですか!?」
「そう。淤能碁呂島に続く道は、あの一枚の浮橋から飛ぶことでしか繋がらないからな」
「……須佐男、脅さないでやってくれ」
「本当のことを教えたまでだぜ?」
にやにやと笑いながら我先にと浮橋を降りて行ってしまった須佐男にため息をつき、温羅は阿曽の手を引いた。
「一緒に行けば大丈夫。大蛇、
「わかった。阿曽、後ろはぼくが守るから、安心して乗ると良い」
「う……はい」
温羅に手を引かれ、阿曽は一段一段浮橋を降りて行く。風がないお蔭で突風に吹かれてしまう危険はないものの、自分の重心を保たなければ危うい。雲の目前まで来た時、待っていた須佐男が笑った。「出来るじゃねえか」と。
「死ぬかと思いましたよ」
「こんなの、死ぬうちに入らねえよ。さ、行こうぜ」
そう言うが早いか、須佐男はひらりと雲の中に身を躍らせた。
「わたしたちも行こうか」
「え、は、はい!」
覚悟を決め、阿曽は温羅と大蛇と共に雲の中に飛び込んだ。
「う……うわあああああああぁぁぁぁぁぁっ」
容赦ない浮遊感が、阿曽を包んだ。
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