第5話 会いに行くべき者

 賑やかな食事を終え、それぞれがあてがわれた部屋へと戻った。

 阿曽あそがあの足つきの板を素兔から寝台だと教えられて驚いていた時、ひょいと須佐男すさのおが姿を見せた。

「どうしたんですか、須佐男さん」

「ちょっと来てくれ、阿曽。これからのことについて話したい」

「わかりました」

 部屋を整えておいてくれるという素兔に見送られ、阿曽は須佐男について彼の部屋へと向かった。

 部屋の内装はいたって簡素なものだ。寝台の傍には大きな剣が立てかけられている。あとは中央に木製の机が置かれている。壁際に酒が入っているであろうかめが幾つもあった。何故それがわかったかと言えば、部屋中に酒の匂いが染みついていると感じられたから。

「やあ、連れて来たね」

「疲れているところ、悪かったね」

 大蛇おろち温羅うらもその場で胡坐をかいている。阿曽も温羅の隣に腰を下ろした。

 四人の目の前には、大きな地図が広げられている。それが何処のものかと阿曽が思うよりも先に、答えがもたらされた。

「これは、なかくにの地図ですよ。阿曽」

「なかつくに?」

 声のする方を振り返れば、先程まで姉の天照あまてらすと共にいた月読つくよみが立っていた。「オレが呼んだんだ」と言う須佐男を一瞥し、月読は弟の横に膝をつく。

「姉とも先程話しましたが、きみたちがこの世、つまり中つ国で動きやすいよう、ある者に接触しておいた方がいいという結論に至りましてね。彼のもとを訪ねるよう助言しに来ました」

「オレも名前だけ姉貴に聞いた。饒速日にぎはやひっていう人だっけ?」

「人、ではなく、れっきとした天津神ですがね。中つ国にいる時間が長すぎて、高天原でも彼を覚えているものはもう少ないでしょう」

 軽く嘆息し、月読は地図の一点を指差した。そこは中つ国のへそにあたる場所。

「ここに、彼の一族が治める国があるはずです。彼はこの国だけではなく、中つ国のあらゆるものとつながりを持っています。きっと、役に立ってくれるでしょう」

「月読さん、彼はどんな方なんですか?」

 大蛇が片手を挙げて尋ねる。その瞳には楽しそうな光が浮かぶ。

「まあ……武術馬鹿、というのが一番わかりやすいでしょうか。神力しんりきよりも己の拳を信じ、日夜鍛錬に励むやつです。その裏表のなさから、多くの人の信頼を勝ち得ているようですがね」

「兄貴の対極にいるみたいな神だな」

「間違いありませんね」

 それでも、と月読は微笑む。

「縁者であることは確かですし、僕も彼には信を置いています。……ただ、最近音沙汰がありません。須佐男たちが中つ国へ降りるというのなら、彼の様子をついでに見て来てほしいのです」

「初めっから、そう言ってもらってもよかったんですよ、月読さん」

 遠回りをして言わず、饒速日を心配しているから様子を見て来てほしいと素直に言えばいいのに。そう言って笑う温羅に、月読は苦笑で返した。

「そうですね、温羅。ただ彼と知り合うと知り合わないとでは、全く違うことも事実。頼めますか?」

「ああ、任せとけよ」

「須佐男の面倒を見ながら、彼にも会ってきますよ」

「お……俺も、行きます」

 胸を叩いて笑う須佐男の肩を叩きながら笑う大蛇、そして阿曽も急いで頷いた。

「また、外道丸のことをお願いせねばなりませんね」

 拾い児のことを案じる温羅に、月読は微笑んだ。

「彼のことは、姉が気に入っていますから大丈夫。では、お願いします」

 ぺこりと頭を下げ、月読が部屋を出て行った。彼の後姿を見送り、須佐男が呟きを漏らす。

「兄貴、いつも冷静沈着だけど、饒速日って人のことが心配なんだろうな。いつか、その人とは昔馴染みだって聞いた気がするし」

「聞いてる限り、正反対の性格をしてるみたいだけど、それが良いんだろうね」

 白湯をすすり、大蛇が言う。

 須佐男と大蛇、温羅もなかなか性格が違う。それが反対にお互いの穴を埋めているのだろう、と短い付き合いながらも阿曽は思った。

 月読が指した場所に小石を置き、温羅は「さて」と両手を合わせた。

「月読さんの頼みでもあるし、これからを決める指針の一つにもなりそうだ。明日は饒速日という方のもとを訪ねよう。阿曽も、それでいいかい?」

「良いも何も、俺は……」

「……阿曽は、もうぼくたちの仲間だ。忌憚なく、言っていいんだよ」

「大蛇の言う通りだぜ!」

「痛いっ。バッシバシ背中叩かないでくださいよ、須佐男さん!」

 背中がじんじんと痛む。きっと、赤くなっているに違いない。けれどそれに怒りを覚えることなく、阿曽は笑っていた。

 笑い過ぎて涙が出てくる。それを拭い、阿曽は真っ直ぐ三人の顔を見た。

「俺も、中つ国に行きます。そして、いつか自分のことも突き止めてみせますよ」

 何の力も持たない自分は、足手まといでしかないかもしれない。それでも、前に進みたい。何より、彼らと一緒にいたい。

 阿曽の思いを受け止め、三人は顔を見合わせ笑う。代表して温羅が阿曽の頭を撫でて、あとの二人に言いかけた。

「そう来なくては。じゃあ、解散としようか」

「明日の朝も、素兔がうまい飯を食わせてくれるはずだ。楽しみだぜ」

「全く、素兔さんが聞いたら喜ぶだろうけど、呆れそうだ。阿曽、ゆっくり休むんだよ」

「はい。須佐男さんも大蛇さんも、おやすみなさい」

 二人がいなくなり、温羅と阿曽が残った。この部屋は須佐男のもののはずだが、寝室は更に奥にあるようだ。

「わたしも寝よう。また明日、阿曽」

「はい。また明日」

 温羅は小さな友人に手を振ると、机の上に広げっぱなしだった地図を畳んで小脇に抱えた。それを棚に置き、去って行く。阿曽も自室に引き上げた。


 部屋に戻ると、素兔の言った通り寝台の上には柔らかそうな布が敷かれていた。その上に寝転がると、良い匂いに体が包まれる。

「これ、太陽の匂いだ」

 優しく、暖かく、安心感を与える。

 高天原とは一旦、明日でお別れだ。

 阿曽は一度寝返りを打つと、すぐに夢の世界へと誘われた。

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