第3話 人を呪わば穴二つ
「
「わたしはあの日、下界で出たという
「下界?」
「下界とは、阿曽たちが住む世界のことだよ。この広い世には、三つの世界があるんだ。神が統べる
「それぞれの話はまた機会を見つけてしよう。……まあ、わたしがその
「え?」
「先客がいた、ということだな」
須佐男が腕を組む。温羅は頷き、「初めて見る少年たちだったよ」と呟いた。
「たち? じゃあ、二人いたのか」
「ああ。鬼を狩るということは、黄泉の者であってわたしを追う者である可能性も高い。だから離れた場所から見ることしか出来なかった」
鬼女は、美しかったであろう髪を振り乱し、文字通り鬼の形相で男に馬乗りになっていた。鋭利な刃物を男の首に突き付け、「わたしの大事な人を返せ」と叫ぶ。女の口には牙が生え、目は血走っている。既に、ただの人の容貌ではない。
男は後ろ暗いことがあるのか、目を泳がせる。「わ、悪かった」と何度も恐怖に震える声で呟く。
それでもなお、女は叫び声を上げながら刃物を振りかぶった。
瞬間。
女の首があった場所から、血が噴き出す。その鮮血をまともに浴びて、男は失神した。
彼の傍に降り立ったのは、血がついた
血振りをした青い紐の少年が、もう一人を見る。
「
「ああ、そうだ。これで仕事は終わったよ、
ぐらり、と鬼女の体が傾ぐ。流れ出した血は、留まることを知らずに赤い泉をつくった。そして、骨も残さず消えてしまった。
二人は女の最期を見届けると、ぴくりとも動かない男に目をやる。
「晨、こいつどうする?」
「宵、こいつはこの女の恋人を騙し討ちした挙句に殺したと聞いている。何が原因だったか知りたくもないが、再び同じ過ちを犯さないと、言えるか?」
「言えないね」
はっきりと、それでいて冷めた口調で宵が言い切る。晨もそれに同意してか、軽く頷いた。
しばしの沈黙の後、同時に息を吐き出す。
「……連れて、行くか」
「そうだね。そして、悔いなければ」
ひょいっと男を担ぎ上げ、晨は歩き出す。その後を追おうとした宵は、ふと温羅の隠れている方を振り返った。見つかったかと肝を冷やすも、宵は首を傾げて晨を追った。
「……というのが、わたしの見た光景だったよ。その場を後にして、高天原への近道であるあの森を通りがかった時、阿曽と桃太郎を見かけたんだ」
温羅は話し終え、白湯と共に出された菓子をつまんだ。新鮮な桃である。
大蛇が目を瞬かせ、疑問を口にした。
「じゃあ、桃太郎たち黄泉の勢力の他にも、堕鬼人を狩っている人々がいるということかい?」
「または、彼女らと協力関係にあるか」
「……なんで、みんな黙っちゃったんですか?」
ひそ、と阿曽が温羅に尋ねると、彼は困り顔で微笑んだ。
「そうか、阿曽にはまだ詳しい関係性の説明はしていなかったね。簡単に言うなれば、わたしたちと桃太郎たちは敵対関係にある。そして晨と宵という彼らが敵側の人間であるならば、いつか戦わなければいけない時が来る、ということさ」
「あ……」
「……僕たちは、堕鬼人を消し去る責任があります。けれど、それは下界の人間たちと敵対したいからではないのですよ」
「そう。神という立場にあるわたくしたちは、下界の出来事には必要以上の干渉を控えるべき。まして人間と争うなど、百害あれど一の利もありはしないわ」
「母上の手の届かぬところで行われている動き。それをどれだけ抑え込めるかと動いてきたけれど、あちらが人間も巻き込んでいるのなら、早く元を叩きたいところね」
「そうだな。まずは桃太郎たちの構成を調べないと。……そこは、兄貴の出番だろ」
「僕に諜報系の仕事を全て振るのはやめてほしいですが、仕方ありませんね。これまでの調べと合わせてやりましょうか」
「晨と宵の二人が男を連れて行った先も、近々知れればより近付けるでしょうね」
大蛇の言葉に、須佐男が息巻く。ガタリ、と椅子から勢いよく立ち上がった。
「それはオレたちの役割だ。阿曽も入ったことだし、明日から堕鬼人を追うぞ」
「ええっ、俺も!!?」
「当然だろ。温羅に見つかった時点で諦めろ」
「……あ、忘れてた」
須佐男と阿曽の掛け合いを微笑ましく見守っていた温羅は、改めて天照と月読に体を向けた。首を傾げた天照が先に口を開く。
「何を忘れていたの、温羅」
「天照さん、月読さん。阿曽のことを、何かご存じありませんか?」
ぴたり、と阿曽と須佐男、大蛇の動きが止まる。当初の目的を忘れていた。
天照は改めて阿曽の顔をじっと見た。美女に見つめられた経験のない阿曽が、わずかに目を泳がせる。
「……確かに、阿曽は鬼のように目が赤い。けれど、牙もないし特殊な力を持つわけでもなさそう」
「確かに。僕は少なくとも、彼のような人に会ったことはありませんね」
「わたくしも。温羅のような黄泉の鬼であるわけではないのでしょうけど、ではどうして目が赤いのかに関しては答えられないわ」
ごめんなさいね、と天照は頭を下げた。阿曽はそれに驚き、急いで両手を振る。
「いえっ、そんなことはないです。俺も、自分でもわからないんですから」
ぶんぶんと頭も振ってしまい、阿曽はくらりと平衡感覚を失う。阿曽の肩を支えて苦笑した温羅は、彼を一度座らせた。
「僕も姉も、彼について何かわかり次第、お伝えしましょう」
「そうしてもらえると助かります、月読さん」
感覚が落ち着いた阿曽がふと窓の外を見ると、夕暮れとなっていた。鮮やかな橙と赤、そして黒を混ぜたような光が地平線に消えていく。
「思ったより、遅くなってしまったわね。客間を用意しているから、みんな泊まると良いわ。あ、温羅はこっちに」
「はい。じゃあ、後で」
素兔について部屋を出て行った温羅とは反対の出口から、阿曽たちは退出する。須佐男の案内で歩いて行った阿曽の背を見送り、天照は目を閉じた。
「……この出会いは、吉か、凶か」
「どちらにしろ、意味のあることに違いはありませんよ」
「そうね」
弟の言葉に頷き、天照は桃を一かけ、口に入れた。
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