第3話 人を呪わば穴二つ

須佐男すさのお大蛇おろちとは、あの木の下で待ち合わせをしていたんだ。調査報告を兼ねてね」

 温羅うらは出された白湯を一口飲んだ。

「わたしはあの日、下界で出たという堕鬼人だきにを探しに行った。運よく見た彼女は、丁度男の首をかき斬る直前だったんだ」

「下界?」

 阿曽あそが首をかしげると、隣にいた大蛇が答えてくれた。指を三本出す。

「下界とは、阿曽たちが住む世界のことだよ。この広い世には、三つの世界があるんだ。神が統べる高天原たかまがはら。人が生きるこの世。そして、鬼が住む黄泉よみの国」

「それぞれの話はまた機会を見つけてしよう。……まあ、わたしがその鬼女きじょと目を合わせることはなかったんだけどね」

「え?」

「先客がいた、ということだな」

 須佐男が腕を組む。温羅は頷き、「初めて見る少年たちだったよ」と呟いた。

「たち? じゃあ、二人いたのか」

「ああ。鬼を狩るということは、黄泉の者であってわたしを追う者である可能性も高い。だから離れた場所から見ることしか出来なかった」

 鬼女は、美しかったであろう髪を振り乱し、文字通り鬼の形相で男に馬乗りになっていた。鋭利な刃物を男の首に突き付け、「わたしの大事な人を返せ」と叫ぶ。女の口には牙が生え、目は血走っている。既に、ただの人の容貌ではない。

 男は後ろ暗いことがあるのか、目を泳がせる。「わ、悪かった」と何度も恐怖に震える声で呟く。

 それでもなお、女は叫び声を上げながら刃物を振りかぶった。

 瞬間。

 女の首があった場所から、血が噴き出す。その鮮血をまともに浴びて、男は失神した。

 彼の傍に降り立ったのは、血がついたつるぎを持った二人の少年。年の頃も、見た目もよく似ている。赤と青の紐で装飾された剣が、彼らを見分ける唯一の方法と思えた。

 血振りをした青い紐の少年が、もう一人を見る。

あした、この鬼が頼まれたやつだったよな」

「ああ、そうだ。これで仕事は終わったよ、よい

 ぐらり、と鬼女の体が傾ぐ。流れ出した血は、留まることを知らずに赤い泉をつくった。そして、骨も残さず消えてしまった。

 二人は女の最期を見届けると、ぴくりとも動かない男に目をやる。

「晨、こいつどうする?」

「宵、こいつはこの女の恋人を騙し討ちした挙句に殺したと聞いている。何が原因だったか知りたくもないが、再び同じ過ちを犯さないと、言えるか?」

「言えないね」

 はっきりと、それでいて冷めた口調で宵が言い切る。晨もそれに同意してか、軽く頷いた。

 しばしの沈黙の後、同時に息を吐き出す。

「……連れて、行くか」

「そうだね。そして、悔いなければ」

 ひょいっと男を担ぎ上げ、晨は歩き出す。その後を追おうとした宵は、ふと温羅の隠れている方を振り返った。見つかったかと肝を冷やすも、宵は首を傾げて晨を追った。

「……というのが、わたしの見た光景だったよ。その場を後にして、高天原への近道であるあの森を通りがかった時、阿曽と桃太郎を見かけたんだ」

 温羅は話し終え、白湯と共に出された菓子をつまんだ。新鮮な桃である。

 大蛇が目を瞬かせ、疑問を口にした。

「じゃあ、桃太郎たち黄泉の勢力の他にも、堕鬼人を狩っている人々がいるということかい?」

「または、彼女らと協力関係にあるか」

 天照あまてらすの言葉は、その場に沈黙を呼んだ。

「……なんで、みんな黙っちゃったんですか?」

 ひそ、と阿曽が温羅に尋ねると、彼は困り顔で微笑んだ。

「そうか、阿曽にはまだ詳しい関係性の説明はしていなかったね。簡単に言うなれば、わたしたちと桃太郎たちは敵対関係にある。そして晨と宵という彼らが敵側の人間であるならば、いつか戦わなければいけない時が来る、ということさ」

「あ……」

「……僕たちは、堕鬼人を消し去る責任があります。けれど、それは下界の人間たちと敵対したいからではないのですよ」

「そう。神という立場にあるわたくしたちは、下界の出来事には必要以上の干渉を控えるべき。まして人間と争うなど、百害あれど一の利もありはしないわ」

 月読つくよみの言葉を受け、天照が緩く横に首を振る。

「母上の手の届かぬところで行われている動き。それをどれだけ抑え込めるかと動いてきたけれど、あちらが人間も巻き込んでいるのなら、早く元を叩きたいところね」

「そうだな。まずは桃太郎たちの構成を調べないと。……そこは、兄貴の出番だろ」

「僕に諜報系の仕事を全て振るのはやめてほしいですが、仕方ありませんね。これまでの調べと合わせてやりましょうか」

「晨と宵の二人が男を連れて行った先も、近々知れればより近付けるでしょうね」

 大蛇の言葉に、須佐男が息巻く。ガタリ、と椅子から勢いよく立ち上がった。

「それはオレたちの役割だ。阿曽も入ったことだし、明日から堕鬼人を追うぞ」

「ええっ、俺も!!?」

「当然だろ。温羅に見つかった時点で諦めろ」

「……あ、忘れてた」

 須佐男と阿曽の掛け合いを微笑ましく見守っていた温羅は、改めて天照と月読に体を向けた。首を傾げた天照が先に口を開く。

「何を忘れていたの、温羅」

「天照さん、月読さん。阿曽のことを、何かご存じありませんか?」

 ぴたり、と阿曽と須佐男、大蛇の動きが止まる。当初の目的を忘れていた。

 天照は改めて阿曽の顔をじっと見た。美女に見つめられた経験のない阿曽が、わずかに目を泳がせる。

「……確かに、阿曽は鬼のように目が赤い。けれど、牙もないし特殊な力を持つわけでもなさそう」

「確かに。僕は少なくとも、彼のような人に会ったことはありませんね」

「わたくしも。温羅のような黄泉の鬼であるわけではないのでしょうけど、ではどうして目が赤いのかに関しては答えられないわ」

 ごめんなさいね、と天照は頭を下げた。阿曽はそれに驚き、急いで両手を振る。

「いえっ、そんなことはないです。俺も、自分でもわからないんですから」

 ぶんぶんと頭も振ってしまい、阿曽はくらりと平衡感覚を失う。阿曽の肩を支えて苦笑した温羅は、彼を一度座らせた。

「僕も姉も、彼について何かわかり次第、お伝えしましょう」

「そうしてもらえると助かります、月読さん」

 感覚が落ち着いた阿曽がふと窓の外を見ると、夕暮れとなっていた。鮮やかな橙と赤、そして黒を混ぜたような光が地平線に消えていく。

「思ったより、遅くなってしまったわね。客間を用意しているから、みんな泊まると良いわ。あ、温羅はこっちに」

「はい。じゃあ、後で」

 素兔について部屋を出て行った温羅とは反対の出口から、阿曽たちは退出する。須佐男の案内で歩いて行った阿曽の背を見送り、天照は目を閉じた。

「……この出会いは、吉か、凶か」

「どちらにしろ、意味のあることに違いはありませんよ」

「そうね」

 弟の言葉に頷き、天照は桃を一かけ、口に入れた。

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