角のない鬼と目のない魂売師
烝
第一夜 恵鬼と陰玄
い
ある静かな新月の晩。
七尺(約二メートル)もの大きな影が、闇の中で揺れる。
足先から頭部まで覆い隠す紺色の
その巨体には似つかわしくない、ゆらりゆらりと足元が定まっていないかのような、頼りない動きで夜の
一見すると、飲み会からの帰り途中の泥酔者のように見受けられるが、そうではない。
どころか、此の者の正体は人ではなく鬼なのだ。
鬼。人の魂を喰らい、それを栄養として生きる生物。
無論、この時間帯では村民のほとんどは眠りに就いている。
鬼は立ち止まるとくいと顎を上げ、闇の先へ視線を送る。
常人にはまず何も見ることができないが、鬼の目には何が映ったのかフッと笑うと
「もうじきだ。これでまた一歩、オレの目的が達成に近づく……」
感慨深げにそう呟き、再びその歩みを始めようとした――そのとき。
「そこの鬼、ちょいと待ちなぁ」
突然の背後からの声にも驚くことなく、鬼は呼ばれるままに振り返った。
同時に、外套がバサリと音を立てて翻り、その中身がちらりと覗く。
なんと、鬼は右腕で自分の半分程度の大きさしかいない少女を抱えていた。
鬼を呼び止めた人物――腰を屈めた高齢の男は、その一瞬のうちに漏れた臭いを逃すことはなかった。
その男は低く腰を屈めた姿勢のまま、『ほう』と感心したように言った。
「すでに獲物を捕らえていたのかい? それでさらにこの先の村も襲うつもりとは、欲の深い鬼だねぇ」
鬼は法衣姿の男の言葉に、淡々とした調子で答える。
「アンタも精の出るこった。オレを退治しようってわけか、お坊さん?」
「坊さん、この俺が? へへへ。お前さん、俺が坊さんに見えんのかい?」
男の言葉に鬼は顔をしかめ、改めて男の様子を見た。
身には黒い法衣。しかしそれはいつ洗ったのか分からないほどに、あちこちが薄汚れていた。
手に持った
そしてその頭には、僧に似つかわしくない汚らしいちぢれ毛が生えている。
それを見て、鬼は男の正体が何なのか分かった。
「テメエ……
僧は神仏の力を借りて、人の魂を喰らう鬼に天罰を下す。
同時に、救われない魂を極楽浄土へ送るのがその役目だ。
だが、人の魂に
彼らの多くは、単独では他の僧や人間に敵わないため、鬼と組んで活動する。
こうして両者の利害は一致し、鬼と
魂売師の男は鬼に一歩近づくと、赤ん坊を相手にするような甘い声で誘いをかける。
「そういうわけさ。お前さん、魂はいらないかい?」
鬼は返事の変わりに、今度は自分から男へと近づいた。
段々と距離を詰めてくる鬼に、それまで
「なっ!?」
男の意思とは裏腹に、その体は鬼のほうへと強く引き寄せられていく。
男は錫杖を支えに、その場にとどまるのが精一杯。
老体にはその謎の力に抗うのは難しく、その額には脂汗がにじみ始めていた。
「魂ってヤツは死してなお仲間を常に求めている。オレの腹の中の魂たちがアンタの魂を引き寄せてんのさ。
ま、普段はオレの力でコイツらを抑えてるがな」
「た、頼む。助け……助けてくれ」
男はかすれた声で必死に助けを求める。
すると、鬼は意外にもあっさりとその声を聞き入れ、魂の力を押さえつけた。
不意に体の自由を取り戻した男は、ひざががっくりと折れて地に伏せる。
頭を垂れて肩で息をする男に対し、鬼は変わらず平坦で冷静な態度を崩さない。
「オレに売る魂があるのなら、その力を使って対抗できたし、そうでなくともマシな力があればもう少し抵抗はできる。
この程度に対処できないようじゃ、テメエの力の程も知れている。
もっとも、たとえテメエがやり手だったところで、オレは
男はようやくのこと息を整えると、立ち上がって以前と変わらぬ飄々とした調子を取り戻す。
「確かにお前さんの言う通り。今の俺が扱える魂の数はたかが知れているし、使える力もないに等しい。
だからこそ、お前さんのような強い鬼の力が必要なのさ」
「…………アンタに関して、一つだけ興味があることがある」
平行線をたどる議論に多少飽き気が差してきた鬼は、手っ取り早く話を終わらせるために、今まで避けてきた話題を口にした。
「何だい?」
男は待っていたとばかりに薄気味悪い笑みを浮かべる。
事実、男は『このこと』に鬼が触れるのをずっと待っていたのだ。
「オマエの目玉はどこにある?」
魂売師の目のあるべきところには、底の見えない穴が二つばかり空いていた。
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