穏やかな紅い色
〜4・穏やかな紅い色〜
朝焼けに染まる空に、一羽の白い鳥が、天高く羽ばたいていった。
セレス城を背に、城門前の開けた場所に集ったのは、東西南北に列する各部隊。
東に、イシオス率いる特務部隊の二百の精鋭。
剣を携え跪く兵たちの凛とした所作は、イシオスの統率力を物語っていた。
西には、レストを先頭に、防衛に長けた国境布陣部隊。
急遽王直々に密命を下された特殊能力者たちが列をなす。
各々戸惑いの色は浮かべているものの、特殊能力者たる所以か、動じずに様子を伺っている。
北には、王であるジェイを囲むように陣を整えた近衛部隊が、槍を真っ直ぐに立てて微動だにせず立ち並ぶ。
その中には、武装したルーチェの姿もあった。
そして南……
ヴァルド寄りに位置する方角の最南端には、エナ率いる、ヴァルドからの亡命を斡旋されたアーリア系部族の陽動部隊。
単独作戦で動くシェーナやエイシアも、この中に紛れている。
総指揮官に任ぜられたアズロは一人、前を見据えて佇んでいた。
そよぐ風を受けながら、少し伸びた蒼い髪をなびかせて兵たちのほうに……セレス城を振り返ったアズロは、柔らかく微笑んだ。
「思ったより、多いね。皆、本当に大丈夫? ……これから皆を待っているのは、ヴァルドの……皆の十倍くらいの異能者だよ。それも、とても強力だ。……だから、もう一度だけ言う。私に……否──僕に、ついてこなくていい。ついて……こない方が、いい。
今回は、十中八九、乱戦になるだろう。僕は危険能力者でもある上、リスク的にもセレス特務師団でのワーストに入る。だからこそ今まで全力は抑えてきたし、極力、能力の使用を避けてきた。師団長なのは……そういう意味だ。……僕は、例えば、一度に目の前の千の兵を消すことは可能だよ。だけど、その時は周りの全てが巻き込まれるんだ。
……君たちの力は、正直、とても惜しい。戦力として一人でも多くの兵が必要だ。だが……皆の命に、全く保証はできない」
穏やかに紡がれる声とは裏腹に、その内容は重々しい。
抑揚の控えめな響きを、氷のように受け取る者もいるのだろう。
しん、と静まり返る場に、ざりり、と砂を引き摺る靴音が、微かに聞こえ始めていた。
「師団長……」
一人の兵が口火を切ろうとした時、仰々しい靴音が複数、場に割り入って来る。
「なに、そやつに遠慮することなど無いだろう。放っておいても死なんさ。巻き込まれたくなかったら早々にその鬼から離れることだな」
「──ここに、何の用だ? 議会には民意の──」
思わずジェイが睨み付けた彼らは、セレスを半ば牛耳る議会議員たちだった。
「我らが王よ、何を懸念されます? このような軍などなくともそやつ一人で十分でしょう。さしたる根拠も無い情報にこのような動員は──」
「黙れ」
言葉途中で遮ったジェイの声色に満ちていたのは、怒りとは別の感情だった。
「根拠も無い師団長の情報に、この国の軍隊は何度先手を打てたか……命拾いしたか、覚えているか? 一度ではなかろう? 師団長が……アズロが、この国を守ろうとしなかったことがあるか?」
「それは……その」
「──なあ、お前達は前線に出たことは無いだろう? 俺はあった。王として君臨する前は、幾度もな。……そこは紅く、紅く、酷く臭ってなあ。最初のうちは吐き気に襲われたものだが、次第に慣れて感覚が冷えてゆくのが……紅い景色に慣れてくるのが、どこか恐ろしかったんだ。だがな、それでも俺は……俺たちは、剣を振るうことしかできなかった。そうしなければ、セレスとして……国として、世界で生き残ることができなかったからだ」
「だ……だからこそ、今回もこの者に任せてしまえば……」
議員の一人が口にして、ジェイは静かに首を振る。
「何を、聞いていた? 気付かないのか? アズロというこの男もな、お前と同──」
「お待ちを。私でしたら何も」
議員とジェイを見兼ねて、いなすように声をかけたアズロは、不意にジェイに名を呼ばれて。
「アズロ」
「はい?」
直後。
ごつん、という鈍い音が微かに響き渡り、へろへろとゆっくりと地面に落っこちたアズロの様子を、誰もが呆然と眺めていた。
そう。
議会にも一応冷酷で名の通っている特務師団の師団長が、一夜にして敵を壊滅させたとか言われている師団長が、国王の頭突きを受けて座り込んだ、という衝撃は、色々な意味で周囲を絶句に導いてしまっていた。
「いったた……」
くらくらしつつ立ち上がろうとして、額をおさえつつ腰についた土を軽く払うアズロに、数名の人間が駆け寄る。
「ちょ……! 何やってんですかアズロ様! そこはさらっとかわすとこでしょう?」
全力疾走でアズロの前に膝をついた、明らかに呆れているイシオスの声。
「これ掴む?」
どこからか出したフライパンの持ち手をそっと向けるエイシア。
「エイシアさん、それはちょっと……」
フライパンをやんわりと、しかし強い力でどけて、やはりその辺にあった木の棒を差し出すシェーナ。
「……ふっ」
笑いを噛み殺せずに思い切り吹き出してしまったアズロは、朗らかな声で笑いながら言葉を繋ぐ。
「あはは! 何ですかそれ……っ、あーもう、みんな、面白いなあ……! それにしても、久々の頭突きは……ったた、いたっ、やっぱり痛いかも。馬鹿……力……は、けんざ──っと、なんでもな……」
目に涙を溜めたまま笑う子供のようなアズロの姿に、議員達は顔を見合わせ、まばたきを繰り返した。
「……君は、そういう風にも笑うのか」
「──え?」
「いや、なんだ……その、今までは薄気味悪い……感情の見えない笑みしか見たことがなかったからな。君も……一応は、人間なのかと……」
訝しげに一歩だけ歩み寄った議員の背を見ながら、ジェイは静かに微笑んでいた。
少しだけ見守って、それから、片手を差し出す。
ジェイの利き手である、右手。
一国の王が、利き手を貸して臣下を立たせる──
その挙動が示す事実は、一目瞭然だった。
議員たちは、諦めたように軽く左右に首を振り、改めて敬礼する。
「……信頼しておられるのですな、そやつを」
「ああ。この者がいなければ、この国は建たなかっただろう」
「……と、申しますと……?」
「矛盾の理由は後で話そう。今は情報操作に専念してくれ。お前たちは民意の動きに明るいはずだ。だからこそ託せる。此度の進軍における民の不安を、できるだけ少なく留めてほしい。お前たちならば、民意を上手く回せるだろう? 期待している」
「王……」
「シグルズ様……」
感嘆の声で応えた彼らの様子を、遠くから見守っていたエナは、小さく囁いた。
「……貴殿のような王がもし、そばに居たなら……リゲルも……」
そして頭を振ると、再び指揮へと戻ったアズロに視線を向ける。
(今は──ここだけに)
後退りした兵の中には、場に踏みとどまる者も多く。
城内から様子見をしていたのか、噂を聞きつけたのか、一般能力兵たちも一人また一人と、どこからか加わって。
セレス史上初の、一般能力者・異能者連合部隊が大陣を成し、遥かヴァルドを見据えていた。
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