夜明け前

〜3・夜明け前〜



 まだ雲が暁に染まる前の時刻。

 早朝より少しだけ早い静けさの中、王城の執務室には、八人の人間が集っていた。


「……ふむ、君がヴァルドの諜報兼刺客……」


 苦笑いしながらセレス王……ジェイが握手したのは、今までアズロの部下であり、現在正真正銘アズロの部下になったらしきイシオスだ。

 彼は無言で略礼し、爽やかに微笑む。


「アズロのことは粗方聞いたのかね?」


「ええ、色々と奇想天外が過ぎて、実感はありませんが……。まあ、どうでも構いません。俺はただ、命に従いましょう」


「昨日の今日で、か?」


「信用ならないのはごもっとも。なんなら見張りをつけていただいても。……万一のことがあれば、即消していただいて結構です」


 にこりと揺るぎない笑みを保持するイシオスの瞳は、澄んだ青。

 何が君をそうさせた? と問いかけると、瞳はより穏やかな青さを増した。


「──アズロ様は、色々と危なっかしい気が。俺の中の母性本能が……あ、いえ。部下として敬愛しておりますゆえ……」


「イシオスー?」


 唸るように言ったアズロの脳天に一撃を入れつつ、笑い続けているのはエイシア。

 淡い紫の髪の中、ちらちらと揺れる紅色のピアスが仄かに煌めいている。


「あははっ、愉快だね! ほんとこの子危なっかしいから、できるだけ守ってあげて。僕は僕で動かなきゃいけないからね」


「シア、あんた人のこと言えないでしょ? 全く、急にヴァルドから飛んで来い、なんて呆れるわ。守り人が最初から関わって手出しするなんて、どんな処分が下されるやら……頭痛い」


 エイシアの横には、エイシアより頭一つ分ほど背が高い女性……

 ラシアンの雑居区画で宿を営んでいたルーチェが腕を組んで立っていた。

 急いで城に転移したらしく、格好は宿にいた時のままだ。


「僕はルーチェさんも界の守り人だったってことに唖然なんだけど……酷いよねえ、美味しいスープで騙すなんて」


「騙し合いはお互いさまでしょ師団長君、ラナンキュラスのおさ君」


「うっ……」


 気まずそうに後退りしたアズロの背を、それまで黙っていた子供がそっと受け止める。

 柔らかな金髪に藍色の瞳……特殊能力者の証の容姿は、どこか儚げだった。


「義父さん、この人たちは、大丈夫なんでしょう?」


「あ、ごめんねレスト。そうじゃないんだ、彼らは冷たかったり手厳しかったりどついたりアホズロとか言ったりするけど、害意はないから」


 戦災孤児でたまたまアズロが引き取って一定期間育てた少年、それがレストだ。特殊能力の中でも危険な部類の能力を有するため、暴発した時の対応のためにアズロがそばに居るのが真の理由ではあったのだが。

 レストは心根の優しい少年で、能力をある程度制御できるようになってからも、義父としてのアズロを慕い、度々アズロの隠れ家に訪れていた。

 ……手製の傷薬をたくさん持って。


「大丈夫よレスト君、それよりあなたは大丈夫なの? 本当に参戦するの……?」


 不安げにシェーナが訊くと、レストはふわりと微笑む。


「はい、僕も参戦します。とはいえ義父さんに釘を刺されたので、前線とはいえヴァルド進攻でなくセレス側の防衛布陣の前衛ですが……。僕の能力は、相手の能力発動と繋がって方向性を変化させること。小さな範囲ならば守備を貫けますから、こちらに進攻があれど時間は稼げるでしょう」


「レスト……本当に…」


「義父さんは、僕の力を見て知っているよね。それで一度大怪我したよね? それでも僕のそばにいてくれた。……義父さんの役目を知った今も、義父さんは僕の大切な義父さんです。お願いだから、僕にもこの場所を守らせて下さい。ここは僕が育ててもらった、大切な土地だから」


 藍色の瞳は、真っ直ぐにアズロの緑の瞳を見据える。

 アズロは小さく首を横に振った後、少し唸って、諦めたように苦笑した。


「頼むから、無理無茶だけはしないように」


「はい、了解しました」


 満面の笑みを見せたレストと不安げなアズロを見比べて、エイシアは感慨深げに口を開いた。


「ほんっとできた子なんだね。アズロ君に育てられたなんて想像もつかないよ。あれだね、これは子供のほうが苦労する典型的パターンだねえ」


「エイシアさん……ふと思ったんですが、僕をやたらつつくのは、何かの悪趣味ですか?」


 相変わらずのエイシアの調子にげんなりしたアズロが恐る恐る訊くと、エイシアはふと真顔になって。

 淡い紫の瞳は、ほんの少しだけ揺らいでから、明後日の方向に固定される。


「エイシアさん?」


「……さあ、ね。教えてあげない。でも……そうだね、君がこの事態を無事に乗り切ったなら、その時は教えてあげなくもない」


「今ではいけませんか?」


「うん、頑張ってね!」


 答えにならない答えを放り投げたまま、エイシアはエナに向き直る。


 先ほどから一人、時折窓の外を眺めては、苦しげな表情を浮かべていた。


「……エナさん?」


「あ、ああ、すまん。柄にもなく考え事をしていた」


「エナ殿は、ヴァルド進軍の囮部隊を率いるとのことだが、貴殿にとって、ヴァルドの司令官は……」


「その事なら全く問題ない。シグルズ王はセレス王城の盾となられるのだろう? 私はヴァルドの地理に明るい。陽動部隊を率いて囮となりヴァルド本部隊を引き付け、シェーナ君やアズロ殿、エイシア殿や少数精鋭特務部隊をヴァルド城内へ潜入させる隙を作る役には最適だろう。……大丈夫さ、リゲルのことなら区切りをつけた。あいつと面と向かっても揺らぎはしない。ただ少し、痛むだけだ」


 エナの悲し気な笑みに、ある者は俯き、ある者は天井を見上げ……


 静まり返った空気の中、皆が言葉を探し始めた時。




 ぼふっと豪快に風音を立てて、背中側からエイシアがエナに抱きついた。


 二人の身長差は頭一つ分ほどあり、端から見ると親子が戯れているようだが、エイシアの表情はエナを見守る……さながら親のようなもので。


「こうやってね、ぎゅーっと抱きしめられるとさ、何かね、ちょっとはいいかなって」


「エイシア……殿?」


 不意の挙動に驚き、若干声音の揺れたエナを、エイシアはなおも強く抱きしめ続ける。


「おーい、シア。シアさん、その辺でやめてあげな。彼女、びっくりするでしょ?」


 はー、とため息をつきながら、ルーチェは二人に歩み寄り、いとも簡単にエイシアをエナから引き剥がすと、その辺に景気よく放り投げる。

 いわゆる、一本、といったところだ。

 見事な体術が披露され、それに対して見事な受け身が披露される。

 一本、にはならず、エイシアはルーチェの投げ技の途中から身体をひねり、弾みをつけて床に着地を決めていた。

 思わず拍手するシェーナに、ルーチェは苦笑いする。


「この子、いつもこうだからね。挙動が……あー、シエラさんのお父さんに似ているかしら? まああの人よりはマシだけど……色々、慣れてるのよ。気にとめなくて構わないからね、エイシアは変人って理解しておくといいわ。あなたも抱きつかれないように気をつけて、シェーナ」


「変人さん?」


 首をかしげながら心にメモしようとするシェーナに、エイシアは嘆願の眼差しを送った。


「ちょっと!  待って待って!  変人だけどさ、変人っていうとちょっとその……やめてくれないかな? それに投げ技もやめてくれないかな?」

「どうせ着地できるでしょ? レディーファーストならぬ女好きなシアさん?」

「えっと! 待って誤解を招くから!  たしかに女の子は可愛くてふわふわで…もしくはクールでもしくは情熱的でとにかく全般好きだけど!!  あれだよ紳士的な、ね? ね?」


 必死に弁解するエイシアの姿を眺めて、アズロは不思議そうに呟いた。


「エイシアさんにも、上手は居るんですね……」


 現在のアズロにしては珍しくストレートに呟かれたその言葉に、ルーチェとエイシアは顔を見合わせ、同時に吹き出してしまう。


「シア、あんたアズロ君をどれだけ怖がらせたの?」


「え? 普通程度……かなぁ。んー……今はその必要はあんまりないから……。僕も一応、心のある人間なんだけど」


「……貴殿のイグニスでの殺気は、凄まじかったが……」


 ぽつりと口を挟んだジェイの哀愁ある声の響きは、今にも消え入りそうで。

 エイシアは、過去に思いを馳せ、そっと頭を下げた。


「ごめん……あの後君たちを、どうすることもできなかった。見守るだけしか……界の守り人の規定内では、あれが限界だった。──そのぶんも、僕は……今を、守るよ」


「……」


 ジェイはあえて言葉を紡がず、同様に礼を返す。

 そしてアズロを振り返ると、頷き合った。


「……あと少しになってきたね。あと数刻で──始まる」

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