第六章 明日の明日のまた明日

◇第六章.明日の明日のまた明日◇

〜1.開かれた扉〜



「……んー、だめかぁっ」


 白い光に包まれて、再びラナンキュラスに降り立ったアズロとシェーナは、ただ仄かに光るだけの首飾りをちらりと見やった。


「……ごめんシェーナさん、なんか途中でこの首飾りの意識?に吐き出されちゃったみたいだ」


「そうね、急に戻される感じだったから……ってアズロ! あれだけ無理はするなと言ったでしょーに。全く……あなたの記憶にはリリーが必要そうね。私にも使えたらよかったのに……生憎あいにく薬剤知識の他にはあなたを傷つけることだけだわ」


「ごめんごめんー、でもシェーナさん、シェーナさんって自分で気付いてないだけですごく癒しの力があると思うよ? それも、リリーよりもっと大きな何か……。今ふと思っただけだけど」


 相変わらずシェーナの長い髪は紫のまま、瞳の色も藍のまま変わらない。

 何か少しでも手がかりが掴めればと思ったのだが、首飾りの時間切れか、アズロ自身の精神力不足か、中途半端なところで返されてしまった。


 ──けれど。


 確かな感覚。

 アズロだけは、何かが、何かがほんの少しだけ動いたのを感じていた。


 ラナンキュラスに吐き出される瞬間に、シェーナさんは見ただろうか。

 あの、足先まで髪の伸びた、白衣≪はくえ≫の紫髪の人物を──。


 もし、もしも幻ではないのなら。

 今思い出しただけでもぞくりとする殺気を放つ、あの人物なら何か知っているのかもしれないな……。


 アズロは不確定な想いを胸に秘めたまま、再びシェーナへと向き直ると、残念そうにため息をつくシェーナの手を取った。


「セレスに行こう、シェーナさん。余計な時間を使わせちゃってごめん、今からまた飛んでも大丈夫? 酔わない?」


「酔うのならとっくに酔ってるわ、大丈夫。だけどアズロ、ここから飛ぶって──来た道みたいに封印の扉をくぐらなくてもいいの? それに、あなたの体力が……」


「大丈夫大丈夫、まあ任せてよ。結界は内側からなら破り易いし、補修はアミィに教わったからそれで繕っておけば大丈夫。今は急いでセレスに行かないとね」


 シェーナはアズロの発言に懐疑の眼差しを向けながらも、浮かび上がった体──飛翔時のその感覚に感嘆の溜息をついて。

 導かれるままにラナンキュラスの地を後にした。


 額に汗を浮かべながらアズロが結界を破った刹那、シェーナはアズロの放ったその特殊な力にどこか懐かしさを覚えて──


「アズロ、ちょっといい?」


 外側から結界の補修に取り掛かったアズロの左手にそっと右手を重ねると、あろうことか補修速度がみるみるうちに加速し──


「不思議ね、ものは試しでやってみたんだけど。上手くいった?」


「……あ、ああ、うん」


 予測すらしていなかった事態にアズロは不器用に笑った。


「シェーナさん……僕より補修向きなんじゃ……。いや、それよりどうして急に──や、何でもない。今はセレスに急ごう」


 シェーナさんのおかげで補修も完璧だ。

 アズロはにっこり微笑むと、ラナンキュラスに背を向けて一途セレスへの道を辿る。

 ぐんと速度を上げたアズロはラナンキュラスでの出来事を反芻しながら、繋いだ手の先にあるシェーナの温もりがそのままであることを、静かに祈った。


 もう二度と、二度と、繋いだ温もりを喪わぬように。


 ──大切な人を、喪わぬように。





 ──辺りが紅い夕焼けに包まれた時刻、慎重に隠れ場を見つけつつセレス城上空にたどり着いた二人は、アズロの誘導のもと、ゆっくりと城主の執務室の窓の外に降り立った。


 バルコニーに座り込む形で身を潜めた二人は、執務室から漂ってくるなにやら妙な気配に顔を見合せる。


「シェーナさん、寒いけどこれ羽織ってちょっと待ってて。まずは僕だけ中に──」


 マントを脱いで、シェーナに被せようとアズロが手を伸ばした瞬間、ガラっと勢いよく開け放たれた窓から延びてきた二本の腕に首根っこを掴まれるカタチで、二人は室内へと引き摺り込まれた。


「……っ」

「ぐえっ」


 片方は小さく、もう片方は引っ張られ所が悪かったのか濁った悲鳴を上げる。

 尻餅をついて室内に引き摺り込まれた二人の前に回って微笑んだその人物を見上げて、二人は小さく息を飲んだ。


 見紛うこともない。

 淡い紫の短髪に同色の瞳を持つ少女──アズロの首飾りの記憶で出会った少女が、自分たちの目の前に立っていた。


「遠慮しないで入ってくればいいのにー。もぞもぞしてるから引っ張っちゃった、ごめん」


 悪びれる様子もなく笑顔で話す少女の後ろでは、執務机を斜めに挟む形で椅子に腰掛け、何やら語り合う男女の姿。

 その片方の黒髪の男がジェイ……王だと気付いたアズロがげんなりとした眼差しを投げれば、王からは「すまない」の一言が返ってくる。

 理由は全く察せないが、どうやらジェイは「少女」が此所に陣取っていることを了解済みらしい。


「あー……これはだな……」


 ジェイが口を開こうとした瞬間、その声は軽やかな声に遮られる。


「はいはいっ、皆々様落ち着いてっ。僕に害意は無いからつまみ出さないでね。とはいえあちらの王様と華麗なレディには話し済みだけれど、改めて」


 年齢不詳の少女は、身に纏った淡い紫と紺の衣の両裾を持ち上げ恭しく礼をすると、アズロとシェーナに両手を差し出した。

 二人がおそるおそる片手ずつ取って立ち上がると、少女は嬉しそうに微笑む。


「アズロ君は久しぶり、生きててくれてありがとう。シェーナさんは初めましてだね、僕はエイシア。今はアクアの西神殿で巫女──ネウマ様のお側仕えをしています」





 巫女の側仕え。

 アクアの神殿で研鑽を積んだ女性のみに許されるその職位に少女が居ることが──否、“あの時”少女だった少女が今なお少女の姿でいることに疑念を覚えたアズロが口を開けば、天真爛漫な笑みが返ってきた。


「おおよそ予想通りかと思う。僕はアズロ君、キミと似たようなもの。ただひとつ、違っているのは“この世界の住人ではない”こと。……詳細は言えない、けど、決してこの世界に害なす者ではないことは知っていて欲しい」


 少女……エイシアはやんわりと語ると、緊急時だから明かしたけど、これは此所にいるみんなだけのヒミツね、と言って人差し指を口元に当てる。


「緊急時……?」


 シェーナの問いに視線で応えたのは、ジェイと向き合い話をしていた金の短髪の女性──


「……エナ大隊長?」


 驚きを隠せないシェーナに、エナと呼ばれたその女性は淡々と語った。


「──その声、特務のシェーナ君で間違いないようだな。見違えたぞ、今の君の風貌では総司令すら気付かないだろう。エイシア殿が何も言わないということは、これも“時の導き”なのだろうが……」


 それにしても驚いた、女性は感嘆の息を吐きかけて、「今は時間がないのだったな」と首を振る。


 ──女性……エナという名のその人は、ヴァルドにおいてはなくてはならない存在、軍部の大隊長だった。

 出身国であるログレアに籍を置きながらヴァルドの軍に入隊し、女性ながらに剣一本で大隊長にまで上り詰めたエナは、軍属の女性たちの憧れで……本来なら、セレスに居る人物ではない。


「シェーナ君、そしてアズロ殿と言ったか……。私はな、記憶を失ってアクアとの国境付近をさ迷っていた所を偶然遭ったエイシア殿に救われたんだ。己の名しか判らず、己が何者かも判らなかった私はどうやらリゲ──総司令に記憶そのものを封じられていたようだ。──エイシア殿は、アーリアに古くから伝わるという『夢紡ぎ』の秘術とやらで私の記憶を引き出してくれた。……その場で蘇った記憶に驚愕した私は、秘密裏にセレスに入国したいとエイシア殿に懇願した。未だ中立を保つアクアの神殿に籍を置くエイシア殿の手引きなら、セレスへの入国も叶うと踏んだんだ」


 エナはヴァルドが極めて危険な兵器を保有していること、その兵器が近々使用されようとしていること、そして、ヴァルドの軍師にして総司令、リゲルが兵器とはまた別の手段でヴァルド・セレス両国の異能者全てを殲滅せんめつしようとしていることを淡々と語った。

 まさかセレス王、シグルズ・フェイン・セレス殿と対話ができるとは思ってもみなかったがな、と少しだけ微笑んで。





「アズロ、お前がヴァルド侵攻を躊躇していたのはこのためか?」


 ぽつりと問うたジェイに、アズロは静かに首を振った。


「いや、そんなとんでもないことが計画されてたって知ってたら何より先に報告するよ。僕が隠していたのは……否、存在を認めたくなかったのは……ヴァルド首都アフィリメノスの地下に構築された広大な異能者管理施設」


 忌々しそうに口に出したアズロの瞳をちらと見やって、そこに昔日の凍てついた眼差しを確認したジェイは、一度だけ深く息をすると、穏やかに声を発する。


「──アズロ、思い詰めるな。全く……今さら俺に遠慮とは馬鹿馬鹿しい。大丈夫だ、歴史は繰り返さない。だから先ずはお前の知っている詳細を洗いざらい話してもらおうか、なあ、特務師団長殿?」


 これで点と点がさらに繋がったな、と。

小さな溜息とともに、微かな武者震いを孕んだ低音が紡がれて。

 頼もしいな、とエナは口の中で呟いた。


 アズロはシェーナと顔を見合せて、お互いに頷いてから説明を始める。


 ヴァルドには以前から異能者が発覚したらその者を収容、管理する広大な地下施設があること。

 その存在はヴァルドでもごく一部しか知らず、隠蔽されている……軍事機密ということ。施設はアフィリメノス市街地の地下にまで及ぶこと。

 シェーナのような強力な能力を持つ者、且つ統御のとれる者は施設の中でも比較的重宝され扱いもよい反面、暴走危険因子……能力の制御が難しい異能者、能力に呑まれやすい者たちは秘密裏に処分されたり実験台になることもある恐ろしい場所。

 異能者の中で能力の弱い者は管理者の監視の元、能力開発研究に携わることが常なこと、そして監視者の中には、稀に特能と呼ばれる者もおり、管理者と異能者のパイプ役となることもあること。

 ……収容者の数も管理者の数も多く、その数合わせて数千にも及び、外壁からの侵入は非常に困難、近付けば猛毒の矢や暗器を持つ近衛たちからの急襲を受ける不落の要塞──。


「──セレスの王さま、私たち異能者……主に特務兵には何故か最近長い休暇が出されました。普段は監視のつく行動にもある程度の自由が。……これもエナ大隊長の仰った計画の一部なのでしょうか」


 藍の瞳でじっとジェイを見つめたシェーナに、“セレスの王さま”か、と軽く微笑んだジェイはエナと──そして、動向を見守っていたエイシアに視線を移した。


「──解らん。私はシェーナ君も知っての通りあいつとは昔からの馴染みだが、時々あいつが何を考えているのか解らなくなるんだ。ただ、あいつは……少なくとも、下手な手は打たないはず」


「……そうかなあ? 僕が総司令だったら、異能者に休暇なんて与えずに一ヶ所に集めて監視を厳しくしておくけど。……一人たりとも、網から逃がさないように、ね」


 渋い顔をしたエナに、エイシアはにこやかな表情を向けた。

 その瞳はどこまでも透明な紫で、感情という感情が見あたらない。


「貴殿は敵に回したくはないな」


「ふふ。……まあ、でもさ、だから僕らはこの休暇に救われてるわけだよね。シェーナさんに休暇がなければ僕らはこうして会えてなかったし、施設の情報の詳細も判らなかった。加えて、この休暇期間に僕らは作戦が立てられる」


 なおも微笑むエイシアに、エナは小さくため息をつく。


「これといった打開策もないがな」


「まあね。でも、ちょうどいいとこにアズロ君も来たことだし、改めて一から練り直せるよ。なんたってアズロ君は、エナさんやリゲル君……古代兵器の“知”を司る地の民の末裔と対になる、空の民の末裔だからね。抑止力になる何かを期待してもいいと思うよ」


 さらりと。

 簡単にさらりと機密のようなものを明かしたエイシアは、さらにこう続けた。


「……この世界は、ずーっとずーっと庇護されてきたんだよね。その間に庇護の層が少しずつほどけて、向き合わなきゃなんないものが浮き彫りにされた。そろそろなのかも。色んなことが、そろそろなのかもしれない」


「──庇護……それより、地の民って……」


 アズロは瞬きをしたまま固まり、エナは合点がいったように何度も頷く。


「……そうか、アズロ殿は空の民だったのか」


「エナ殿……?」


「我ら地の民は、空に手を伸ばしてはならぬと言い聞かされてきた。アスプロ神の神話のようにな。……空に手を伸ばせば、哀しみが大地を襲うであろう、と」


「──んん、と。地の民は、古代兵器の稼働の方法を知っていた……でも稼働させる力は持たなかった……そしてその力は、空の民にある、と。そういう事ですか?」


「そうだ。地の民は知識のみを代々継承する。その知識を秘伝とし他言無用にて死守しながら、次の代に託し一生を終える……それが地の民の定めだった。……地の民が古代兵器の知識を保持していたのは、この世界が再び戦禍に見舞われた時に、空の民と結託して圧倒的な力で皆の戦意を削ぐため」


「……なるほど、ならば私達空の民が地の民を知り得なかったのも頷ける。……私達は、古代兵器の恐ろしさは伝え聞いていましたが、兵器を知る者も稼働させられる者もとうの昔に滅んでいたものとばかり……。確かに、力と知識がひとところに存在するのは危うかったのでしょう」


 アズロは一度首を縦に振ると、ではリゲル殿は? と眼差しだけでエナに訊ねた。

 訝しげなその眼差しに、エナは小さくため息をつき、困惑した表情で口を開く。


 透明な青の瞳が、僅かに曇っていた。


「……総司令リゲルだが、あいつは生まれつき、小さな器機ききなら動かすことができた。大型となると僅かに振動させるほどだったが、それでも地の民の皆を震撼させるには十分だった。あいつはその頃既に両親はいなかったし、皆は成長しないうちにあいつを消そうとして……偶然それを聞いていた私は、あいつと近くの街まで逃げようと走り出したんだ。……その時な、背中の方角──集落の真横の崖が、いきなり崩れて──追ってこようとした皆も、立ち止まっていた皆も──二十人ちょっと居た地の民は、皆巻き込まれた。私とリゲル以外はな。だから今生きている地の民は私達だけだ、地の民に空の民の存在が知れることは案ずるな」


 静かに微笑んだエナの瞳に、アズロは昔の長……エドゥカドルの面影を見る。


 リゲルという人物と自らの歩んできた道のり……それがほんの少しだけ重なっている気がして、一度瞳を閉じ、呼吸を深くした。


「……エナ殿は……」


「私のことなら心配無用だ。私の父母は当時生きていたが……あの時リゲルと走り出したことは──背中で父母の絶命を感じる道を選んだことは、後悔していない。……だが、近年のリゲルの目指すもの、それに気付きながら阻止できぬ己の無力さが……恨めしくてならん」


「エナ大隊長は、なぜ異能者に寛容なのですか? ログレアやヴァルドに住んでいたなら、大隊長にとって私達異能者は……」


 そっと訊ねたシェーナに、エナはふわりと微笑む。


「君たちとて、同じ人間だろうに。同じ血が流れる民を、何故憎まねばならん?」


 柔らかな微笑は、シェーナの胸の奥、どこか深い場所に、穏やかに降り注いだ。


「……驚きました。ヴァルド上層部に、貴女のような方もいらっしゃったのですね」


「軍部では私は異端だったかも知れんな。まあ、今私がここに居るのも偶然ではなかったのだろう。……ところで、シェーナ君のその髪と眼は一体……?」


 エナは不思議そうに訊ねて、シェーナは、忘れそうになってた、と小さく呟いた。


 おもむろに左手を動かすと、風の刃で紫色の髪を散らせる。


「えっ!」

「シェーナ君?」

「シェーナさん?」


 瞳を瞬くだけだったジェイ以外の三人が声を上げる中、肩よりも短く断髪したシェーナは何事もなかったように笑った。


「この色は目立つでしょう? かつらで隠すにしても、長すぎます。これから乱戦になるのなら、身軽が一番ですよね?」


 片手に残った、今まで髪を結んでいた緑色のリボンを服に仕舞うと、唖然とした表情で見守っている観衆を見回す。


「……どうか、しました? あ、髪は片付けますから」


「えっと、ちょっと待って。アズロ君ナイフ貸して、どうせ仕込んでるでしょ?」


 エイシアはアズロの袖口に手を突っ込むと手頃なナイフを強奪し、長さの揃わないシェーナの髪をひとふさ、軽く握った。


「軽く揃えておくから。……それにしてもいきなり思い切ったねえ」


 慣れた手つきで整えてゆくエイシアを眺めながら、アズロは小さくため息をつく。


「シェーナさん……ごめん」


「いいの。あ、そうだアズロ──これ、貴方が使ってくれる?」


 シェーナは一度仕舞ったリボンを再び取り出すと、アズロに手渡した。

 穏やかな緑が、アズロの瞳の色と呼応する。


「──これ、確か」


(シェエラザード……シエラさんのって言ってたような……)


 瞳を見開いたアズロに、シェーナはゆっくり微笑んだ。


「けっこう丈夫なのよ。蒼にもよく映えるはず」


 アズロは、それまで髪を結わえていた深みのある色の布切れをそっとほどくと、シェーナから手渡された緑のリボンで髪を結わえ直した。

 ほどけないように、固く結ぶ。


 元の布を仕舞おうとすると、それは横から華麗に強奪された。


「もうこっちは必要ないでしょ? ……というより、そろそろいいでしょ?」


「エイシアさん、その、それは──」


「この布切れに染み込んだ血の重さは、もう十分味わってきたでしょ? 土に、還すといいよ」


 感情の見えない声音で語ったエイシアを、アズロは不思議そうに見つめる。

 目の前の人物の口から出た発言とは思えない……そんな眼差しで。


「滅びたイグニスに年々広がってる花畑は、アズロ君……キミでしょう?」


「ああ、俺はめったにここを離れられんからな……こいつで間違いないだろう」


「エイシアさん……ジェイ……」


 曖昧に微笑むアズロの頭上に手を伸ばし、手のひらでポンポンと軽く叩いたエイシアは、驚くほど柔らかい表情を見せた。

 次の瞬間、袖口から細身の扇を取り出して──


「──あおあかを継ぎしユンヌが一子いっし、慣例に従いて時の終焉しゅうえんを告げん。界を超え、安寧あんねいの地に至れ。──さあ、散った命よ、僕の中においで。ゆきたい場所まで渡そう」


 流れるような所作とともに、アズロが自らの戒めとしていた布切れは、宙に舞い上がり──

 集まった光の粒とともに、エイシアの身体の中へと消えるように吸い込まれてゆく。


 そして、光はエイシアが持つ扇へと伝わり、窓の外、天高く昇って、やがて見えなくなった。


「──おわり。もう大丈夫だよ」


 エイシアは淡い紫の髪を耳にかけ直しながら、ゆっくり微笑む。

 何かを思い出すような微笑みは、どこか哀しげだった。


「──さて。ごめんね、僕が話を混線させてしまったかな」


 一人呆然と状況を見つめていたエナに向き直ると、エイシアはシェーナ、アズロ、ジェイの三人と小さく頷き合ってから、口を開いた。


「改めて──僕について少し話すよ。僕はこの世界の歪みを正す者──とでも思ってもらえればいい。詳細は言えないけど、近年はとある情報源から、ここ一帯を監視してたんだ。……ただ、僕自身はこの世界にあまり干渉できないし、普段はしてはいけない。大部分は、この世界の住人に託すしかないんだよ」


「……エイシアさん、貴女の姿が数十年前そのままなのはもしかして」


「まあ、ラナンキュラス……空の民とちょっと近いね。アズロ君たち空の民は、長く世界を見守るために地の民に比べて長い寿命……僕も似たようなものだよ。空の民はだいたい三百年くらい生きるけど、僕の寿命は……この世界でいうなら八千年ってとこかな。今は二千六百五十歳くらいだよ」


 淡々と語ったエイシアに、四人は四者四様の反応を見せる。


 ジェイは途方もないな、と呟き。


 エナは空の民を超す寿命の種族が居るのかと瞳を見開いて。


 シェーナはアズロをちらりと見て──


 アズロは困ったように微笑んだ。


「……で、話を戻すけど。僕は──だから、皆が生まれた時から知ってるし、鍵となる位置に立ってた皆の動向もちょっとずつ見てきた。シェーナさんが国境監視の任務中にアズロ君に会ったことや、それからもたまに会ってたこと。リゲル君がエナさんの記憶を消して追放したこと。ジェイ君がセレスの統治に度々手を焼いていることも。……ヴァルドの首都アフィリメノス地下の異能者管理施設に潜入調査しようとしたアズロ君が迎撃されて致命傷を負ったことと……シェーナさんがそんなアズロ君を助けたこと。回復したアズロ君がシェーナさんと共にラナンキュラスに訪れたことや、そこでラナンキュラスに伝わる首飾りがシェーナさんの髪と眼の色を“元に戻した”ことも。


……エナさんはリゲル君を止めたくてジェイ君に打診して、シェーナさんは身に起こった変化の対処のために一時セレスで身を隠すべく、アズロ君に連れられてここに来た。……とりあえず、シェーナさんの髪と眼は問題ないから大丈夫。だけどここに来てくれたのは好都合だね。今は僕ら五人で至急作戦を練ろう。


──かつて、ジェイ君の生まれ故郷のイグニス国は歪みの力によって灰と化した。当時そこにいて生き残ったアズロ君とジェイ君は、消えた者の命を背負ってきた……。今起きている事態は、下手するとそれ以上になるかもしれない。──だから、どんな手を使っても、阻止しようね」


 まっすぐな眼差しで一人一人を見据えたエイシアに、それぞれの状況をあらかた理解した全員は首肯する。

 詳しいことを詮索している余裕があまり無いのだと、エイシアの紫の瞳は語っていた。


 今できることをする、迅速に動く──それが最善なのだと。


「じき日が暮れるな。シェーナ君は私が今居る宿に来るといい。構わないか、エイシア殿?」


「うん、あの部屋には結界を張っておいたから、何かあれば僕に伝わる。気をつけてね、僕はちょっと用事を済ませてから行くから……。じゃあ、ジェイ君、アズロ君、君たちもちゃんと休んでね。明日から、動こう」


「エナ殿、エイシアさん、シェーナさん……気をつけて」


 アズロは小さくなっていく三人の姿を見送ると、軽くジェイに手を振った。


「ジェイ、僕は師団の様子を見てから宿舎に戻るよ」


「ああ、無理するなよ」


 窓から飛翔し、アズロは城の裏庭に降り立つ。

 人気のない通路を選んで正面廊下に向かい、ごく自然に歩いていると、人懐っこい朗らかな声に呼び止められた。

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