◆intermezzo◆ 〜雨宿り・3〜



 ──穏やかに夜は過ぎ行き、アズロとアラマンダは、エスタシオンのもとで幾日かの時を過ごしていた。

 アズロとアラマンダによく世話を焼いてくれた幼い少女はシェエラザードということ。

 彼女のもっと幼い時に、彼女の母親……ラトレイアが亡くなったこと。

 シェエラザードは、だから、誰かの病気や怪我にはとても敏感なこと──


 接するうちにいろいろな事実を知りゆき、知ったがゆえの……柔和な態度をシェエラザードにとり続けるうちに、アズロとアラマンダは、まるでシェエラザードと、そしてエスタシオンと……家族のように和するようになっていった。

 いつの間にかアラマンダをさん付けで呼ぶのを止めたアズロに、怪訝な顔をしながらも頑なさを崩したアラマンダ、小さなシェエラ。

 森の中の一軒家には、柔らかく優しい、あたたかな風が吹いていた。


「アラマンダおねーさん、アズロおにーさん、いっしょにあそびましょー」

「あー! わー! シェエラ、そっちは崖だからっ!! 待ってー!!」

「二人とも、無謀です……」


 三人が危うくも穏やかに過ごすのを横目に、エスタシオンは一人、寂しげに微笑んで──


 ──そして、ある晩のこと。


 続く咳と、息をすると喉から発せられるらしい、草笛のような小さな音。

 小刻みに浅く繰り返される呼吸。


「……っ……は……」


 壁にもたれ掛かり胸を押さえながら、空気を求めるように天井を見上げる横顔。

 床板に垂れた、長い蒼の髪。

 歪められた眉と、時折口元に浮かぶ、苦しげな笑み。


「……我が身は……地に……我が魂は……深き淵……汝に成りて……汝へ還……雫……。……に……委ね……すれば……。……アクア……ティカ……水の……祝詞を……コホ……ゴホッ」


 アズロとアラマンダが、シェエラが無事眠ったことを告げに台所へと向かうと、そこにあったのはエスタシオンのいつもの微笑みではなく──。


「……ばれて……しまいましたか」


 エスタシオンは、少しだけ悲しげに、言った。


「アズロ、アラマンダ……。今の術が、何らかの禁術なのは……わかりましたね……?」


 未だ苦しげに顔を歪めながら、エスタシオンはしかし、穏やかに問うて。


「……はい」


 アズロとアラマンダは、顔を見合わせて頷く。


「……秘密は、守れますか?」


 次の問いにも、二人は互いの瞳を見つめ合いながら、静かに頷いた。


 それに安堵したかのように、エスタシオンは語り出す──。


「──刻限の掟を改変すれど、我が身は刻限より先……一年と半年ほどで果つるのです。|アクアーティカの禁術で保たせても、これが限界……。病は……八つ灯送り《やつびおくり》と呼ばれるもので……命を司る八つの灯が、一つ歳を刻むごとに一つずつ消えゆくような感覚で、年々身体から力や免疫機能が失われてゆく病。……最後の一年は……立つこともまならなくなります。発症例は極めて稀ですが、発症すると同時に、心臓の位置に小さな刻印が浮かび上がるのですよ。──八つの火の粉が円を象るような形で、ね。──でもこれは、本来セレス──この世界にある病ではありません。…………アズロ、アラマンダ。私は──とが、そのものなのですよ」


「……咎?」


「はい……長くなりますが……順を追ってお話ししましょう。──とある世界……狭間の世界と呼ばれる世界の隅っこの、少数民族……水の民、アクアーティカとして生を受けた少年は、アクアーティカに馴染まない体質を持っていました。少年は、あらゆる術に長け、どんな難題をも瞬時に解いてしまう力を持っていたのです。その力は、アクアーティカにとって、異質でしかありませんでした。ある時、その力を怖れた部族長によって、少年は遠い地方に置き去りにされます。少年はアクアーティカへ戻る道をも覚えていましたが、アクアーティカには戻りませんでした。戻っても、彼の居場所など、どこにもなかったからです。──少年は、旅に出ることにしました。自分には無い力を探すための旅。長い旅に──。……時は流れ、少年は青年になりましたが、やはりまだ旅の途中でありました。青年はいつしか何かを諦め、狭間の世界に存在しなかった総合学府──魔術と言われる術と、体術、薬学の三つの学府を統べる、エスタシオンという学校──セレスでいう、学び場のようなものです。……を創り上げ、学長の地位を手に入れます。敵対勢力を闇に葬り去りながら膨れ上がったエスタシオンは、狭間の世界の要とまで呼ばれるようになりましたが、青年にとってそんな偉業など、とるに足らないものに過ぎませんでした。青年は全てより、一つを──ただ、アクアーティカからの存在承認だけを、求めていたのですから。……しかし、アクアーティカからは何の連絡も無いまま、また時は流れて……青年は、己が身が、不治の病に侵されていることを知ります。──狭間の世界は、他の幾つかの世界の存在を知っていました。逆に言うなら、狭間の世界は、数多の異世界によって存在を支えられた、中庸の世界だったのです。青年は、その数多の世界の一つ、セレスに目を向けました。どうしてかは判りません。ただ、その星の蒼と緑が、青年を呼んだ──それだけだったのかもしれません。……青年は禁忌とされる『転生の方陣』の術を創出し、自らの命と引き換えに、セレスに──ラナンキュラスに転生してしまいました。成功に思えた転生は、記憶や病を引き継ぐなどの支障の中、静かにセレスの『黒点』となっていったのです──」


 纏めて話し終え、小さく息を吐いたエスタシオンの瞳は、未だどこか遠い処を眺めているようで。

 アラマンダはその瞳から目を背けずに、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、アズロはただ呆然と、その光景を見守っていた。


「──アラマンダ……ありがとうね。アズロ……戸惑わなくていいんです。君はあくまでも祝であればいい。……いずれ時が来たら、私は私の手で、私を跡形もなく葬り去ります。私の記憶や知識は、この世界にとって毒としかならないもの。それらが、一部の能力者──記憶を読み取ることのできる能力者に悪用されないよう、万全に策を弄して、私は逝こうと思います。私が消えれば、セレスは浄化される──ただ……」


 心残りなのは、君たちとシェエラなんですけどね。


 エスタシオンは笑う。

 今にも壊れてしまいそうな、けれど頑として揺るがない表情で──。


「──アラマンダ、あなたの首飾りは、きっと道を示してくれるでしょう。この先何があっても、あなたは微笑みを忘れずに──。アズロ……アラマンダという灯火のなかに、あなたは居ます。いつか出会えた時は、悲しみに呑まれないように、ね」



 イツカマタ、アエルヒマデ──



 ──言葉が、視界が、ぼやけてゆく……



 ──キミタチニ、アクアーティカノマモリヲ──




 ……



 ……



 ──晴れやかな、空。


 木の葉の、ささやき。


 目を覚ました少年と少女は、穏やかな木漏れ日に包まれていた。



 そこは、彼らが気を失った場所──。





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